第31話 都へ

 面倒だが断るという選択はできない。

 嫌なことに直面してローランドが考え付いたのは、だったら楽しいイベントにしてしまえばよろしい、ということであった。

 オリヴィアも連れていこう。

 ただ、自分で言うのは気恥ずかしくフィリップを通じて事務的に伝えさせた。

 そのことを最初に話を聞かされた時にオリヴィアは反射的に叫んでいる。

「なんで私なんですか?」

 ローランドがアックスたちを伴うので職務分掌上当然と言えば当然なのだが、そのことを聞いてもオリヴィアは渋った。

「都ですか……」

 

 辺境出身のオリヴィアは都に対して憧れ以上に気おくれがある。

 ボーネハムの町ですらキラキラしているのに、貴族の令嬢が多く住んでいる都に行ったら田舎者丸出しになることが分かっていた。

 それ自体は事実その通りなので構わないが、問題はその評判が主であるローランドに及ばないかということである。

 

 都に赴く狼牙騎士団のメンバーで唯一の治療師が半人前の上に野暮ったい人間ということになると侮られるのではないかという心配があった。

 集団の評価はそれを率いる者の評価に直結する。

 自分のせいでローランドの立場が悪くなるのは耐え難かった。

 ボーネハムの城に来てからはニーメライらと話すことでローランドの置かれている立場についてオリヴィアも理解するようになっている。

 煌びやかな外見と華々しい実績の割にはなかなかに厳しい立場だった。


 現国王は温厚で良識ある人物である。

 ローランドの王国への貢献も正しく評価していた。

 それだけに国王の血を分けた子供たちからは逆にローランドは疎まれ警戒されている。

 実際のところ、人気の上でも実力でも庶民の間ではローランドの方が上だった。

 王子たちのお守り役がすぐローランドの名を引き合いに出して勉強などに精励するように諫言したことも影響している。


 現国王は老齢であり、いつ世代交代が起こるか分からない。

 このため、貴族たち、特に都から動かない貴族たちは王子たちの意をくんでローランドに対して冷ややかな視線を送っていた。

 まあ、貴族たちにしてみても保身は必要というだけで、数人を除けば本気で嫌っているわけではない。

 北方の荒れ地からやってくる魔物を防いでいるのはローランド率いる狼牙騎士団であり、領地がその恩恵を受けている貴族の中には根強い支持もあった。

 とはいえ、陰謀渦巻く都では王子たちの本拠地ということもあって、ローランドの一挙手一投足をあげつらう雰囲気がある。


 そんなところに自分が行くのは怖くもあり、何かやらかしてローランドに恥をかかせるのではないかというのがオリヴィアの心配事であった。

 話を伝えにきたフィリップにそんな思いを縷々訴える。

「ニーメライさんの方が絶対にいいですよ」

「そうは言ってもねえ、あの人いたずらしてからブレイズに嫌われてるからさ。アックスにもジェイドにも」

「でも……」


「じゃあ、都で美味しいものを奢るから」

「何ですか。私のこと食べ物で釣れると思っているんですか?」

 オリヴィアは頬を膨らませた。

「そうかあ、クレープシュゼットとか、フルーツオムレツとかご馳走しようと思ってたんだけどなあ」

「なんですか、それ?」

「んーとね、薄い繊細なクレープに柑橘のソースがかかっていて、仕上げにブランデーをフランベするのがクレープシュゼットで、ふわっふわの温かいスフレに色んな果物とアングレーズソースが添えてあるのがフルーツオムレツ。すごく美味しいんだけど、都でしか食べられないんだよなあ」


 フィリップは目をつぶってうっとりとした顔をする。

 薄目を開けてオリヴィアを観察した。

 口元が緩んでよだれを垂らしそうになっている。

「人気店で普通に行っても簡単には入れないけど、オリヴィアが来てくれるなら、なんとか入店できるように骨を折ろうと思っていたんだけどね」

 フィリップは目を開けて笑いかけた。


「でも……私が一緒だとご迷惑をかけるかもしれないですし……」

 オリヴィアが葛藤しているのが手に取るように分かる。

「以前、ローランド様を良く思わないものがアックスに毒餌を盛ったことがあるんだよねえ。また、そんなことがあったときにオリヴィアがいると安心なんだけどなあ」

「そんな酷いことをする人がいるんですか? 分かりました。お役に立てるか分かりませんけど、できるだけのことはします」


「よし。んで、閲兵式が朝にあって、夜はパーティでダンスもあるから」

「パーティって、そんな場所に着ていくドレスなんか持ってません。フィリップやローランド様に買っていただいたものも素敵ですけど、そういう場に着ていくものじゃないですよね?」

「まあ、確かにフォーマルの範疇ではないな」

「パーティにはアックスたちは出ないんですよね。だったら、夜の部はお留守番してます」

「まあ、そこはおいおい相談するとしよ?」


 というわけで、オリヴィアは新年を都で迎えるローランドのお供を仰せつかる。

 半月ほどをかけて旅をし、今日中には都に着くというところまで来ていた。

 シルバースターを走らせながらなるべく左の方を見ないようにしている。

 すぐ右脇を元気に走っているアックスが首を捻りワンと励ますように鳴いた。

 冬曇りの鈍い日差しを遮る陰ができたと思うとすぐ脇をジェイドが追い抜いていく。


「おい、ジェイド。オリヴィアの邪魔をするなよ」

 ローランドが声をかけた。

 1度上空に戻ってからジェイドは再び舞い降りてきて今度はローランドの頭上を追い抜く。

「邪魔、違う」

 それだけ叫ぶとまた冬の曇空に戻っていった。


 オリヴィアがつい左を向くとそれに感づいたローランドが首を巡らせてまばゆい笑みを浮かべる。

「どうした?」

「いえ、なんでもありません」

 それだけ答えると顔を前に戻した。

 あっぶなあ。

 なんでこんなに天気が良くないのにキラキラしているのよ? 目がくらむところだったわ。

 世の女性が目にしたくてたまらない笑みを見て出る感想がこれである。


 ローランドの後ろで馬を走らせながらフィリップは2人の背中を見つめていた。

 いやあ、あのときは説得がうまくいって良かったぜ、という感想を改めて抱く。

 早々にオリヴィアを都に連れていくと決めたときは、アックスたちに何かあったら困るから、などと問われもしないのにローランドは独白していた。

 そして、もう決めているくせに、呼びつけて命令をせずフィリップに打診させる辺りで複雑な心情は明らかである。

 だいぶ心の中の天秤がオリヴィアに傾きつつあるのは間違いない。

 ただ、今までの女性嫌いのせいでどう行動したらいいのか図りかねている様子であった。


 それでも、ローランドの方は少なくとも好意の矢印がオリヴィアに向いているだろうことは間違いない。

 その一方でオリヴィアの方は矢印が出てすらいなかった。

 最初から未来の夫として視野にすら入っていないようである。

 普通に考えれば賢明な判断ではあるのだが、この場合においてはもう少し欲を出してほしいところであった。


 現時点ではオリヴィアがハンカチーフに込められた意味合いを知っているということはニーメライ経由で聞いて知っている。

 どうやら、本気で初任給のお礼のつもりだったらしいということも間違いないようだった。

 というわけで、あの雨の日に私室の中でローランドとオリヴィアの間に何かあったわけでもなさそうである。


 好意を抱きつつあるが、地位や身分で強制することはしたいくないローランドと、まったく相手のことを恋愛対象として考えていないオリヴィア。

 しかも外形的にはオリヴィアから求愛っぽい行動をして、それに対してローランドが何もリアクションをしていないという状況になっていた。

 この組み合わせで恋を進展させるというのは無理なんじゃねえか、とフィリップは悩ましい。

 ただ、留守を預かることになったガムランからは出発前にこの旅行中に少しでも関係を進めておいてくれと依頼を受けている。


 フィリップからしてみるとローランドが従前どおりのそっけなさで命令した方が早いんじゃないかと思わなくもない。

 それができれば苦労はしないんだけどな。

 そしてフィリップの悩み事はオリヴィアのことだけではなく、都に滞在中のトラブルの発生の防止もしなければならない。

 絶対に王子たちの取り巻きが何かを画策しているだろうことは容易に想像がつく。

 そちらへの対処の方がまだ動きやすいという事実にフィリップは馬上で辛気臭いため息を漏らすのだった。

 

 

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