第30話 無知と理解

 ニーメライが部屋を出ていった後、年かさの治療師ジルクロウが尋ねる。

「お給料を貰ってその足で買い物に行ったの?」

「そうですね。実家に手紙を送って買い物をしてきました。その後、ローランド様のところに行ってこちらに戻ってます」

「それで師長殿への伝言を頼まれたわけか。ひょっとして団長にもお礼の品を?」

「はい。喜んで頂けたみたいです。こんなことはしなくていいんだ、とは言われましたけど」

 治療師たちはなんとなく流れを察した。

 こりゃ呼び出しの中身はお説教だな、と考える。


 ニーメライは部下への目配りも行き届いており上司として割といい人間であった。

 その一方でおふざけが過ぎるところがありフィリップと並ぶ騎士団の2大トラブルメーカーである。

 ただ、今回の件は冗談を言った相手がオリヴィアでなければこうはならなかった。

 まあ、いずれにせよ身から出た錆である。 

「で、ローランド様には何を?」

「ハンカチーフです」


 何の気なしに言った言葉に数人が反応した。

 騎士団の治療師たちはほぼ貴族階級かそれに近い出身である。

 当然ハンカチーフが持つ意味は承知していた。

 雰囲気が変わったのは贈り物の中身に差をつけたことが原因だとオリヴィアは考える。

「ジルクロウさんもハンカチーフの方が良かったですか?」

 これにはジルクロウも吹き出さずにはいられなかった。


「いや、贈り物の内容に文句を言ったわけじゃない。タルトでも十分過ぎるほどだ。しかし、私のような年寄りなら誤解は生まないだろうが、ハンカチーフを貰ったら女房には言えないなあ。シャーロッテならまあ問題はないだろうが」

「え?」

 オリヴィアはキョトンとする。

「いいかい。女性から男性へハンカチーフを渡すと言うのはね……」

 ジルクロウが説明をするうちにオリヴィアの顔はどんどん赤くなった。

 最後の方は先ほど口にしたタルトに乗っていた皮付き林檎の砂糖煮より赤くなる。

 しまいには両手で顔を覆ってしまった。


「ううう。それじゃあ私は身の程をわきまえない勘違い女じゃないですか。そんなつもりはないのに」

 シャーロッテが呆れた声を出す。

「あなた、ローランド様のことなんとも思ってないの?」

「だって王族ですよ。それにひきかえ私は貴族とはいえ名ばかりですし持参金も払えない家の出ですよ」


 そこには決定的な価値観と認識の差があった。

 シャーロッテや多くの女性にとってはローランドから愛されるだけでいい。

 究極的には1夜限りの関係でも愛しているとの囁きがあれば良かった。

 それに婚前交渉経験があることは一般的には禁忌だが、相手がローランドぐらいになれば話は別である。

 もしローランドと別れることになってもその後の結婚に致命的な支障にはならなかった。

 もちろん、辺境出身のオリヴィアは最近の身分が高い者の恋愛事情など知るはずもない。

 何しろハンカチーフの意味すら知らなかったぐらいである。


 様々な情念が渦巻くシャーロッテは言葉に詰まってしまった。

 実はシャーロッテは以前にローランドに対して日頃の感謝の意を込めてハンカチーフよりはもっとおとなしめのものを贈ったことがある。

 その時は一顧だにされず、手を振るだけで拒絶されてしまっていた。

 それ以前もそれ以降もまともに口をきいてもらったこともない。

 ローランドの肝煎りでオリヴィアが騎士団付きになったことも愛犬や乗馬の面倒をみていることもそこまでは我慢できた。

 しかし、ハンカチーフを受け取ってもらえたとなれば話は別である。


 それなのにオリヴィアにはローランドに対して思うところはないと言うのにはカチンときてしまった。

 シャーロッテは怒りがこみ上げてくるが、次の台詞に腰砕けになる。

「私、ガムランさんとフィリップさんにもハンカチーフをあげたんですけど」

「3人がいる場所で?」

「はい」

 ジルクロウは弾けるように笑いだした。


「そりゃ凄いな。堂々と私は恋多き女ですと宣言しているようなもんだ」

 顔を隠した手の下からオリヴィアは声を絞り出す。

「なんか変な間があるなとは思ったんですよ。でも品物がみすぼらしいと思われたのかなって。恥ずかしくて死にそう。そのとき教えてくれれば……」

「もっと辛くない?」

「そうですけど。普段だったらフィリップさん、絶対何か言うはずなのに」

「確かに。あの人なら大喜びで指摘しそうだよな。あ」

「なんですか?」


「言える雰囲気じゃなかったんだろうな。ローランド様が受け取った後だろ? 当然ローランド様がハンカチーフの意味を知らないわけがない。それで拒否しなかったということはだよ。つまり、受け入れるってことだよな。少なくともフィリップ殿はそう感じたんだろう」

「私にはそんな風には感じられなかったですけど」

「こう言っちゃなんだけど、ハンカチーフの意味も知らないオリヴィアじゃねえ」

「それはそうですけど……」


 ようやく手から顔を離したオリヴィアは決意を顔に滲ませた。

「私、これからそんなつもりは無いってローランド様に言ってきます」

「いやいや、ちょっと待て。ローランド様がハンカチーフを受け取ったのは事実だ。それがどういう意味合いかは分からないが、もし、求愛を込めたものだと解釈して受け取ったのだったら、今更撤回するのはとても失礼だぞ」

「そうなんですか?」


「逆の立場になってみろ。プロポーズされて受けたのに嘘でしたと言われたらショックだろ?」

「それはそうですね。私なら寝込みます」

「だろ? さらに閣下の方が身分が上だ。不敬罪と言われても仕方ないレベルの話だぞ」

「一応、初任給が出てのお礼だというのは伝えてありますけど」

「ものがハンカチーフだ。そういう建前にしてるだけで本心は別という解釈をされてもおかしくない。今までだってそういう話は山ほどあっただろうからな」


 ジルクロウは知らずにシャーロッテの古傷に塩を塗りたくっている。

 シャーロッテは顔をしかめ、それをオリヴィアは意見に同意して懸念しているのだと捉えてしまった。

 周囲も似たような深刻な顔をしている。

「えーと。それじゃあ私は何をどうしたらいいのでしょうか?」

「とりあえず静観しかないんじゃないか。ローランド様のリアクションを待つしかないだろう。それと君自身の心の整理だ。先ほどは諸条件から恋愛対象にはならないと言っていたが、条件さえ整えば考えが変わるのかよく考えておくんだ」


 その夜、オリヴィアはベッドに入ったもののなかなかに寝付かれない。

 自分の無知さ加減のために面倒なことになったことが気になって仕方なかった。

 ハンカチーフを渡した場面を思い出し、ローランドの反応を検証する。

 うん、確かに私が初任給のお礼だということを伝えた後に受け取っていた。

 だから、誤解はしていないに違いない。

 きっと大丈夫。


 そうやってオリヴィアがなんとか自分を落ち着かせようとしている頃、ローランドはまだ執務室で書類仕事をしていた。

 もうすぐ新年を迎える時期であるが、その日は慣例として都で国王による閲兵式に出なければならない。

 しかも、出席を促す手紙ではアックスたちも参加させるようにとの指示である。

 何を企んでいるのかまでは分からないが、国王の側近の中にいる誰かの嫌がらせに相違なかった。


 実際のところ、その想像は当たっている。

 アックスたちを帯同させ、勲章を授与される際にローランドが側を離れたときに興奮させて騒ぎを起こさせて閲兵式を混乱させたことを責める計画が進行していた。

 さすがに詳細までは分からず疑いどまりのローランドだが、それを別にしても単純に都にいくのは面倒という気持ちがある。

 閲兵式だけならまだしも、その夜にはパーティもあって、色んな思惑の視線が絡みつきローランドを縛ることになるのが煩わしい。

 ふうと息を漏らすと室内に誰もいないことを念を入れて確認する。

 そして、ポケットからハンカチーフを取り出した。

 オリヴィアのイニシャルの縫い取りを愛おし気に指で撫でる。

 それからローランドは先ほどまでとは意味の異なるため息を漏らすのだった。

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