第29話 因果は巡る

 差し出したもののローランドが受け取ろうとしないことにオリヴィアは戸惑う。

 やっぱり王族に渡すには貧弱過ぎたかな、などと反省していた。

「あのう。今日給料を頂いて、ニーメライさんからお世話になった方にお礼をする習わしだと聞いたんです。それでローランド様にもと考えたのですが、こんなものでは不足でしたでしょうか?」

 不安そうに顔を伏せる。


 は? あの野郎、またつまらない嘘をついたな。

 ローランドの顔に苛立ちが浮かんだ。

 丁度顔を上げたオリヴィアはタイミング悪くローランドの怖い顔を見る。

 最近はあまり見ることの無かった厳しい表情に体に震えが走った。

 仮にも王族がこんなみすぼらしいものを使うわけないだろう。

 そんなふうに叱責されて治療師を首になり、ひもじさに耐えつつ花売りをする幻影が見える。

 しかし、絶望する暇もなく、すっとローランドが包みを手にし中からハンカチーフを出した。


 まさかの大胆な告白かと思った後の肩透かしである。

 ローランドは求愛の表明ではないことを本気で残念なように感じ始めるのだった。

 とりあえず口にしては感謝の言葉を述べる。

「素敵なハンカチーフだ。剣の稽古をした後ににじむ汗を抑えるのにも良さそうだな、うん。本来こういう気遣いは不要だが、折角の気持ち有難く使わせてもらうよ」

「喜んで頂けたなら何よりです。お給料を手にするのって初めてで、私を採用してくださったローランド様には本当に感謝してます。これで持参金を用意することもできそうです」

 オリヴィアが無邪気に言った。


「持参金? オリヴィアには許婚がいるのか?」

「いえ、実家にはお金が無くて持参金が用意できないぐらいなので許婚なんていません。持参金もこの調子で貯めていくと最低でも3年はかかるんですけどね。あ、お恥ずかしい話でお耳汚しを失礼しました」

「こちらこそ立ち入った話を聞いて悪かった」

 先ほどからのローランドの感情の上がり下がりはまるで風に翻弄される木の葉のようである。

 ただ、表面上は鍛えた鉄面皮を保ち感情を露わにはしていなかった。


 ローランドにハンカチーフを気に入ってもらったのに気をよくしたオリヴィアは鞄の中から包みを2つ取り出すとガムランとフィリップに差し出す。

「お世話になっているお二方にも」

 ガムランは反射的に受け取ったが、フィリップは手を出すのを躊躇ちゅうちょした。

 包みの形状的に中身がハンカチーフであることは明白であり、先に渡されたローランドがどんな反応をしたのかを見ている。

 最初に意図が分からない段階では驚きつつもまんざらでもなさそうな様子だった。

 実際のところは初任給のお礼でしかなかったわけだが、フィリップたちにも渡すとなると更に特別感が無くなってしまう。


 しかし、この状況下でフィリップだけが強く拒否するわけにもいかず受け取る以外の選択肢は無かった。

 ただ、できるだけ義理感を出そうとする。

「いやあ、悪いね。まあ、ローランド様のお裾分けってことで頂くよ」

「そんなことはないですよ。服も買って頂いてますし、以前の私の手持ちのものだと周囲から浮いただろうなというのは分かりますし」

 オリヴィアは両手を広げてみせた。


 間が悪いことに今日はフィリップが買ったものを着ている。

「ああ、うん、そうね。ほら、でもローランド様が買ったものの方がずっといいでしょ?」

 オリヴィアは小首を傾げた。

「私はあまりそういうセンスが良くなくて。ただ、確かにニーメライさんとかは閣下に買って頂いたものを良いって言いますね」

「やっぱりそう?」


 あっぶねえ。

 フィリップは手の汗をそっとズボンで拭う。

 長い付き合いによる観察でローランドの苛立ちが薄らいだのを感じた。

 そのローランドが咳払いをする。

「オリヴィア。これから治療師室に行くんだったら、ニーメライに私のところに来るように伝えてくれないか?」

「分かりました。すぐに行ってきます」

 ローランドの頼みにオリヴィアは一礼すると風のように駆け去った。


 ハンカチーフを大切そうに折り畳みポケットにしまうローランドを見ながらフィリップはどうしたものかと考える。

 オリヴィアにハンカチーフの持つ意味やその他の恋愛作法を教えるべきかどうかが悩ましい。

 ド田舎出身な上に父親がアレなもので貴族の習わしをほとんど知らないというのは今後に障りがありそうである。

 ローランドがオリヴィアに関心を示し始めたことは構わないのだが、オリヴィアが意識せずにもっと意味深なことを実行すると面倒なことになることが予想できた。

 今日のようにいきなり大きな落とし穴に陥るのは勘弁して欲しい。


 ローランドは世間一般が思うほど冷酷ではないが、こと恋愛に関しては観察したことがないのでどんな反応をするか予測しづらかった。

 オリヴィアにそういう感情を抱いていない自分をライバル視されても困る。

 女嫌いを返上するきっかけぐらいになればいいと気軽に考えていたが、ローランドがここまで本気になっているのは計算外だった。

 ガムランは条件面だけで考えて割と本気でオリヴィアを推しているようだが、肝心の当人がローランドのことを全然視野に入れていない。


 結婚願望があるのはいいとして、最初に考えるのが持参金というのが貧乏弱小貴族の娘として生まれた悲哀だった。

 現実問題としてローランドに嫁ぐとなれば持参金の話は避けて通れない。

 相手は王族のクリーブス公爵家。

 オリヴィアが考えている金額とは桁が違う。

 まあ、ローランドがその気になれば迂回融資するなりなんなりはするはずであった。


 あとはローランドの両親であるクリーブス公爵夫妻がどう思うかが最大の障害となる。

 王家からいらぬ猜疑心を向けられているのであまり有力な家でも困るだろうが、吹けば飛ぶようなサンバース家から嫁取りすることを良しとするかは一般的には難しそうだった。

 フィリップ自身はローランド本人の知遇を得たが家族に会ったことはない。

 ローランドも両親のことを口にしないし、クリーブス公爵夫妻はあまり表の舞台に立つこともなかった。


 まあ、ローランドが気持ちを固めるのが先か。

 少々先走った想像から意識を現実に引き戻すとフィリップはローランドに進言する。

「工事の監督はやっておきます。ローランド様もお忙しいでしょう?」

「そうか。では任せた。私は執務室にいる。こちらにニーメライが来たらそのように伝えてくれ」

「了解しました」

 フィリップはこれから叱られるだろうニーメライにちょっとだけ同情した。


 治療師室に行ったオリヴィアはその場にいる同僚の数を確認する。

 2人不在にしていたので残りのメンバーにタルトを配った。

「初めてお給料をもらったので、お世話になっている皆さんへの感謝の気持ちです」 

 ニーメライは首を振る。

「嘘だって言ったじゃない。こんなことしなくても良かったんだよ」

 事情が分かると治療師たちは酷い奴という視線を自分たちの長に送った。

「そりゃ俺たちならね、冗談と分かるけどさ」

「新人さんに言うのはちょっとね」


 オリヴィアは慌ててニーメライを庇う。

「お世話になっているのは事実ですし、それを口実に私も食べたいというだけなので」

 年嵩のジルクロウは泣き真似をした。

「こんなに素直でいい子を騙すなんて、絶対罰が当たるぜ」

「そんなことないです。それじゃ食べましょう。頂きます」

 オリヴィアは自分の分を口に入れる。

「んー、美味しい」


 その様子を見て同僚たちもタルトを手に取った。

「普段はあまり甘いものは食べないがたまにはいいな」

「オリヴィア。悪かったね。でも折角だから」

「これ、結構値段がするやつじゃない? 確か……」

 シャーロッテがポツリと値段を言う。

「うわあ」

 非難の視線がニーメライに再び集まった。

「お前たちも食べたじゃないか。共犯だろ?」


 その様子を見ていたオリヴィアが、あっと小さな声を出す。

「そうだ。ニーメライさんをローランド様が呼んでましたよ」

「そ、そうか。それじゃ急いで行かないと。オリヴィア美味しかったよ。で、ローランド様はどこに?」

「ご自分のお部屋のところにいらっしゃいました」

 返事を聞くとニーメライはそそくさと部屋を出ていった。


 回廊を巡り歩いていくとフィリップが声をかける。

「ああ、ローランド様は執務室の方だ」

「団長も忙しいな。私に何の用だろう?」

「さあ」

 本当は推測がついているフィリップだったがとぼけた。

「まあ、いいや。行けば分かるだろう」


 ニーメライは別の棟に行きローランドの執務室の扉をノックする。

「ニーメライです」

「入れ」

 中に入るとローランドは近くにいたガムランに席を外すように合図をした。

 執務机の前に立つとニーメライは姿勢を正す。

 どうも良くない話だと言うのは予想がついていたが、それをはるかに上回る熱量でローランドにこんこんとお説教をされた。

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