第18話 食あたり

 昨日いつの間にか抜け出した前科持ちのオリヴィアである。

 また勝手にどこかに行かないようにとの監視がつくのは当然だった。

「えーと、特に用はないわ。ちょっと出かけてくるだけ」

「ちょっと、とはどちらでしょう?」

「その辺をぶらっと散歩に」

 まったく回答になっていない。

「お伺いを立ててきますのでお待ちください」

 2人組の小間使いの1人が階下に下りていく。

 オリヴィアは少しだけ考えた。

「フィリップは好きに過ごしてていいと言っていたわ」


 そう宣言すると小走りで階下に向かう。

 リスのように素早く駆け下りると建物の外に出た。

 そこではなんとブレイズがオリヴィアを待ち構えている。

 また林檎をねだりにきたのかとオリヴィアは身構えたがどうやらそうではなさそうだった。

 ブレイズは大きな体でオリヴィアの後ろに回ると背中をグイグイと押す。

「ちょちょっと、何?」

 そこではたと思い当たった。


 急患が出て治療師を呼びにくる人の真剣な感じにブレイズの様子は似ている。

「誰か病気か怪我をした人がいるの?」

 ヒヒンと小さく嘶くとブレイズは先に立って速歩で進み始めた。

 オリヴィアはそれを追いかけてさっと駆け出す。

 ブレイズが連れていったのはローランドが陣取るものよりも大きな厩舎であった。

 中に入っていくと馬房の中で何頭かの馬がぐったりと座りこんでいる。

 口から戻している馬もいた。


 オリヴィアはブレイズのたてがみを一撫でする。

「仲間の具合が悪いのを知らせに来てくれたのね。偉いわ」

 オリヴィアは表情を引き締めると早足で馬房を次々と改めていった。

 ぐったりとして元気がなさそうにしているのは15頭。

 1番具合が悪そうな馬の馬房に戻ると横木をくぐり抜けて中に入った。

「苦しいでしょ? 今治してあげるから」

 安心させるように声をかけてからオリヴィアは側に跪く。


 呪文を唱えて馬の体内を探った。

 何か悪いものを食べたことによる食中毒ではないかとの想像が当たる。

 体内に行き渡り始めていた毒素を消すと共に未消化の飼い葉を吐き出させた。

 靴や服の裾が汚れるが当人は気付いてさえいない。

 伏している馬の首を優しくポンポンと叩くと褒める。

「偉いわね。これで少しは楽になるわ。後で体も綺麗にしてあげるけど、今は我慢してじっとしているのよ。いい?」

 目を覗き込んでニコリと笑うとオリヴィアは次の馬の処置に取りかかった。


 数頭めの個体は気性が荒いのか具合の悪さに気が立っていたのか、首でオリヴィアを突き飛ばす。

 見事に馬糞の上に後ろ向きに倒れた。

 起き上がるとオリヴィアはその馬を叱る。

「駄目でしょ。治療できないじゃない。どんどん具合が悪くなっちゃうわよ。いい子だから大人しくして」

 後ろからブレイズも鋭く嘶き圧をかけた。

 してやったりという顔をしていた馬も少し耳を垂らす。

 オリヴィアは笑みを浮かべると呪文を唱えた。


 その馬の治療を終え馬房を出たところで鋭い誰何の声がかかる。

「そこで何をしている?」

 騎士団が駐留するというので臨時で厩舎の世話を命じられた男だった。

 薄暗い灯りの中に浮かび上がる薄汚れた小娘を見て、何か悪事を働こうとしていると判断した男はオリヴィアを捕まえようとする。

 近づくと田舎娘は馬糞などの異臭に塗れており、内心辟易しながらも手首を捕まえた。


「離して!」

 オリヴィアはまだ治療が必要な馬がいることに気もそぞろで激しく抵抗する。

 男はふと脇に視線を送ると地面にうずくまっている馬がいることに気がついた。

 自分の持ち場に勝手に小汚い変な女が侵入して何かしていた責任を取らされると考え怒りを覚えた男はオリヴィアの頬を張る。

 パアンと鋭い音が響くと同時に奥の馬房からブレイズがやってきて男の肩に噛みついた。

 もちろん手加減はしている。

 それでも激痛にたまらず男はオリヴィアの手を離した。


 ブレイズはぐいと前に出て男を厩舎の外まで引きずっていく。

「イテテ」

 ブレイズは男を離すと向きを変えて後ろ脚でポンと蹴った。

 倒れた男は起き上がると応援を呼びに行く。

 騒ぎは大きくなり、騎士もやってくるが、ブレイズは大きな体で入口を塞いで中に人間を入れようとはしなかった。


「中に気色悪い変な女がいて馬が具合悪くしているんです」

 男が言いつのるので、騎士がブレイズを宥めようとするが一向にどこうとはしない。

 ついには諦めてローランドを呼ぶことになった。

 ようやく場所を空けたブレイズに一堂が厩舎の中に入っていく。

 中にいた酷い格好のオリヴィアを見てローランドの眉間が寄せられた。


 ***


 しばらくして、ローランドは冷然とした面持ちでオリヴィアを前に宣言する。

「死刑だ」

 絶句したオリヴィアはすぐに気を取り直して反論した。

「それはあまりに罪が重すぎます」

 あ?

 ローランドは納得がいかんというように顔をしかめる。

 それを見てオリヴィアは縮み上がったが懸命に口を開こうとした。

 そこにヘラヘラとフィリップが割って入る。


「あー、ローランド様。とりあえず議論は後回しにしてオリヴィアに湯浴みさせてあげません? さすがにこの状態のままにしておくというのはちょっとどうかと思います。私でもきついですよ」

 騎士というのは仕事がら馬の排泄物には慣れているものだった。

 落としものをブーツで踏むというぐらいであればよくあることである。

 それでもオリヴィアの状態はなかなかにない。

 ローランドは今気付いたという顔になる。


「オリヴィア、よくやった。湯浴みをしてきなさい」

 ほんの数語であったがローランドをよく知る人間からすると驚愕の事態であった。

 女性の名を覚えており、労いの言葉をかけている。

 ガムランはローランドの意を汲んで宿舎の責任者に直ちに湯浴みの準備をするように命じた。

 痛んだ飼い葉を提供した科で死刑と言われていた責任者は這々の体で母屋に走っていく。

「湯の準備だ。石鹸と香油、タオルも用意しろ!」

 同時にその辺にいた使用人にオリヴィアを丁重に案内するようにも命じた。


 浴室に連れていかれたオリヴィアは抵抗したものの小間使いの手によって服を脱がされる。

 かろうじてポケットに手を突っ込んで林檎を回収した。

 肌着と下着だけを身に着けた状態で林檎を両手に持つシュールな図になる。

 すぐに林檎も取り上げられ裸にされたのでオリヴィアは急いで花びらの浮かぶ浴槽に身を沈めた。

「ちょっと、その林檎は私の」


 小間使いは驚いたが甕の水で林檎を洗うとオリヴィアの手が届く台の上に置く。

「先に体を洗います」

 宣言すると数人がかりで柔らかいブラシを使ってオリヴィアを洗いあげた。

 頭のてっぺんから足の爪の間まで磨き上げるとふわふわのタオルで水気をふき取り肌触りのいいガウンを着せる。

 それからカウチに座らせ髪の毛を新たなタオルで包んだ。

 

 ようやく解放されたオリヴィアは身を乗り出して林檎を手にするとしゃくしゃくと食べ始める。

 お行儀がどうかと思わなくもなかったが、馬15頭に治癒魔法を施してさすがにお腹が減っていた。

 軽食と飲み物も用意されたのでそれも美味しく頂いてようやくオリヴィアは人心地がつく。


「お召し物をどうぞ」

 まず用意された下着類は普段使っているものとは大違いでレースの縁取りなんかもあり大変に大人びた品であった。

「私が着ていたものは?」

「今洗っております」

 そう言われれば仕方ない。

 

 用意されたものを身に着ける。

 フィリップに買ってもらったものと遜色ないかさらに上品な服だった。

「こちらへどうぞ」

 誘導されるままに連れていかれたのは感じのいいティールームである。

 問題なのは唯一のテーブルについて待ち構えているのがローランド主従の3人ということだった。

 

 

 


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