第17話 妄想

 オリヴィアとフィリップは騎士団の拠点となっている屋敷に戻ってきた。

 門のところで数人の住人がガムランや数名の騎士と問答をしている。

 大柄なガムランは人垣の中にそびえたつ山のようだった。

 いち早くオリヴィアのことに気が付いて声を出す。

「ああ。オリヴィアが戻ってきましたよ」


 人々は振り返ると一様に安堵の表情を浮かべた。

 少し息を切らせ気味にオリヴィアが到着すると人々は周囲を取り囲む。

「オリヴィアちゃん。無事だったかい?」

「お姉ちゃん、変なことをされなかった?」

「随分とおめかしをしているんだね。それじゃあ、ひょっとすると本当に職場が変わるのかい?」


 ここに集まっているのはオリヴィアに以前治療をしてもらった患者たちだった。

 時間こそ長くかかってはいるものの、苦痛を取り除いてくれたオリヴィアのことを気に入っている。

 そのオリヴィアが粗相をして騎士団長に処断されるという噂を聞きこんでやってきていたのだった。

 情報が錯綜していただけということが分かって皆胸をなでおろす。


「寂しいけど出世だからね。騎士団でも頑張りなさい」

「お姉ちゃん、この間はありがとう。ときどきはランスタットに遊びに来てね」

「オリヴィアさんが居なくなるとちょっと神殿には通いづらくなるなあ」

 元患者たちは事情を把握するとオリヴィアに餞別の小銭を渡しながら別れの挨拶をした。

 お婆さんが代表をしてフィリップに申し入れる。

「よろしくお願いしますよ。こんなに親切な治療師さんはなかなか居ないんだから」


「ああ、分かっているって。任しておきな」

 フィリップは安請け合いをした。

「それじゃ、お騒がせしました」

 お婆さんたちはガムランに向かって頭を下げると三々五々と散っていく。

 ガムランはやれやれというように首を振った。

 フィリップがニヤニヤ笑う。


「オリヴィア、意外と熱心なファンが居るんだね。あのお婆さんたち、オリヴィアがひどい目にあっていないかと結構な剣幕でガムランに詰め寄っていたんだぜ」

「せめて亡骸に花を手向けたいとまで言い出して大変だったのですから」

 ローランドの冷淡さから変な方向に話が膨らんでいたようであった。

 まあ、そういう誤解が生まれるのも無理もない。

 事情を聞かされたオリヴィアは慌てて詫びを言う。

「とんだご迷惑をおかけしてすいませんでした」

「オリヴィアに責任はないでしょう。昨夜の話と今朝の話が妙に混じって伝わってしまったようです。それにフィリップがさっさと連れ帰っていればこんなことにはならなかったんですから。一体どこで何をしていたんです?」


「あ、フィリップさんが私に服を買ってくださっていたんです。私が着ていたものだと騎士団にふさわしくないとかで」

「そうそう。この格好ならバッチリだろ?」

 フィリップが胸を張り、ガムランは改めてオリヴィアの格好を観察した。

「まあ、確かに悪くないですね。元の格好を見ていないのでその点については何とも……」


 オリヴィアに随行していた騎士2人の顔を見てガムランは言葉を切る。

「そうですか。まあ、フィリップもきちんと仕事をしたようですね。それならば仕方ありません。閣下のお側近くにいるのに変な服装で気を散らしてもいけないですから。帰りが遅くなったことについてはこれ以上追及はしません」

 フィリップはやったぜというように片腕の拳を突き上げた。


「おおかた、オリヴィアの服を買うという口実で仕事を怠けるつもりだったのでしょうけど、大目に見ましょう。では、オリヴィアを部屋に案内してからブレイズの厩舎に来てください。ローランド様が用があるそうです」

「了解」

 一緒になって歩き出したオリヴィアが不思議そうな声を出す。

「閣下のお側近くってどういうことですか? 私は治療師として働くのですよね?」

「そうです。治療師として働くのはその通りです。ただ、閣下の相棒の3体を優先的に診て頂くことになりますね」

「はい?」


「当然でしょう。他の治療師のことを嫌がるのですから。治療の度に騒ぎになり閣下の顔が険しくなるのは御免です。あなたならあの3体も大人しく身を任せるでしょう」

「でも、私は半人前……」

「あなたが自分の能力をどう考えているかは問題ではありません。アックスが死にかけていたところを救ったのは間違いないないのですから。ダークエルフの使う毒による麻痺を治すのは簡単なことではないでしょう?」


「えーと、ローランド様はどのように考えていらっしゃるのですか?」

「もちろん同意されてます。あの3体に関することを私の独断で決めるなどありえませんから」

 一縷の望みも断たれたオリヴィアは恐れおののいた。

 アックスたちの治療をするのはいい。

 しかし、そうなると必然的にローランドの目の届く範囲をうろうろすることになる。


 オリヴィアは昨日のように何かドジをする自信があった。

 そこをローランドに目撃され逆鱗に触れて処断。

 流れるようなバッドストーリーが脳内に再生される。

 嫌ああ。

 脳内で悲鳴をあげるオリヴィアに気付かずガムランは立ち去った。


 フィリップたちに案内された部屋はよりによって昨日オリヴィアが休んでいた部屋である。

 せいぜい2、3日のために新たに部屋を用意する手前をかけるのも無駄ということで有効活用しただけであるのだが、そんなことをオリヴィアは知らなかった。

 まことに合理的な判断ではあったのだが、失態を目の前に突きつけられたようなものである。


 クローゼットに鞄をしまった騎士を連れてフィリップは部屋を立ち去った。

「まあ、のんびり過ごしていてよ」

 オリヴィアは所在なげにベッドの端に腰を下ろす。

 ヘッドボード近くの台に籠があり赤い林檎が盛り付けてあるのを見つけて喜んだ。

 そこまでは良かったのだが、1人には大きすぎるベッドにはふかふかの大きな枕が3つセットしてある。


 ん?

 夜用、お昼寝用、朝寝用じゃないわよね。

 複数の枕が何を意味するのかという程度の知識はオリヴィアにもあった。

 んんん?

 自然と頬が熱くなる。

 落ちつくのよ。この部屋のベッドメイクの流儀がこうなっているだけよ。

 オリヴィアは必死に自分に言い聞かせた。


 しかし、床に視線を移したことで裾がまくれあがり、かなり奥の方までローランドに見せてしまったことを思い出す。

 治療師をしていたせいで、男性は愛情抜きで欲望を満たすためだけに女性を抱くことがあるということを知っていた。

 そしてオリヴィアが女性であることは間違いのない事実である。

 ローランドの伴侶に選ばれると思うほど自惚れてはいなかったが、1夜の快楽の相手としては対象になりえなくもないと考えてしまった。

 殿下も若い男性ですからねえ。

 オリヴィアは困ってしまう。


 いくら超絶美形相手とはいえ、刹那的な関係の相手になるつもりはない。

 これからは現金収入の道が見えてきたことで、持参金を用意できる可能性も僅かながら出てきたところである。

 都に住む女性であればまた別なのかもしれないが、オリヴィアはそういう行為はきちんと結婚してからという価値観を持っていた。

 しかし、相手は王族である。

 拒否が可能かといえばなかなかに難しい。


 うんうん唸りながらオリヴィアは考える。

 そして閃いた。

 どうも自分の服は相当ダサいらしい。

 あの格好になっていれば興奮に冷や水を浴びせる効果があるのではないか。

 羊皮紙にくるんで紐で縛ってある服を取り出して着替える。

 大きく立派な姿見の前に立って改めて見てみると、確かに田舎者感丸出しであった。

 オリヴィアはにっこりと笑う。

 さすがにこれなら平気に違いない。


 懸案事項が解決して満足したオリヴィアはたちまちのうちに退屈する。

 仕事もしていないので疲れてもいないし、豪華なベッドは変なことを連想させて具合が悪かった。

 そうだ。ランスタットの町から離れるなら思い出のために一巡りしてこようっと。

 オリヴィアがおやつに林檎を2つポケットに詰め込み部屋を出た途端に声をかけられる。

「何か御用ですか?」

 小間使いの格好をしている女性たちが目の前に立ちはだかった。

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