第8話 羨望と嫉妬
足早に騎士団長が退出した後も祝勝会の会場は賑やかである。
騎士たちにしてみればローランドが中途退出するのはいつものことで見慣れていた。
上司がいない方が宴会が盛り上がるというのはどこの世界でも変わらない。
部下に対しては決して悪い人間ではないが、どうしようもなく愛想がないということであればなおさらである。
羽目を外しすぎると翌日フィリップかガムランに叱責を受けることになるのでほどほどにする必要はあったが騎士たちは楽しく談笑していた。
ランスタットの町の住民も危機を救ってもらった直後ということがあり、騎士たちに対して恭しく接している。
愛馬を失った騎士は静かにその死を悼んでいたが、それ以外は賑やかな空気に包まれていた。
葡萄酒の樽から次々とグラスにバーガンディ色の液体が満たされる。
大きな塊からスライスされた肉が皿によそわれる端から胃袋に消えていった。
騎士の中には食い気よりも色気と会場にいる女性との会話に精を出す者もいる。
そんな中でフィリップは主の代わりに各方面に愛想を振りまいていた。
祝勝会の企画を立てた町長やその取り巻きに謝意を伝えた後、治療師の一団のところにやってくる。
にこやかな笑みを浮かべた。
「今日は皆さんのお陰で1人も仲間を失わずに済みました。団長に代わってお礼を申し上げます」
「いえいえ、そんな。お役に立てたなら良かったのですが」
治療師の長は機嫌よく答える。
その顔には疲労の影が残っていたが、目一杯化粧をして着飾っていた。
他の治療師たちも似たようなものである。
ここで将来有望な男性に見初めてもらおうと心中鼻息を荒くしていた。
治療を施した相手は好意を寄せてくる可能性は高いが、軽症者以外は祝勝会には参加していない。
同僚に施術する姿に心を動かされる騎士もいるはずなので、網は広くかけておきたいところである。
それに現金な話になるが、怪我をする者よりも無傷の者の方が腕がよく今後の活躍も期待ができた。
ローランドが退席した今となってはフィリップはもっとも価値がある標的である。
騎士団内で地位が高く、少々子供っぽいところがあるものの整った顔立ちで、槍の名手でもあった。
あけっぴろげで親しみやすい態度というところもポイントが高い。
戦場ではフィリップは負傷しなかったので施術する機会は無かった。
となれば祝勝会は話をする貴重な場である。
お互いに目線で牽制しあったが、立場を利用して長が話をつづけた。
「フィリップ様は一方の旗頭として大活躍されてましたわね。遠くからですが勇姿を拝見して心が躍りました」
「それも皆さんが後ろに控えていてくださったからです」
称賛の言葉に対してすぐに相手のことを引き立てる台詞を返す。
当意即妙な会話ができるのは武骨な騎士が多い中でさすがというべきだった。
フィリップはその言葉に続けて治療を受けた部下の名を挙げて礼を述べる。
「聞くところによれば骨が見えるほどの深手だったとか。この場への参加は控えさせましたが、深く感謝しているでしょう。彼に施術したのはどなたでしょうか?」
部下の人相風体を説明すると1人の治療師が手を挙げた。
フィリップは眩いばかりの笑みを浮かべ胸に手を当てて優雅に一礼をする。
「我が戦友にして大切な部下を癒して頂いたこと、私からも深く感謝します」
更にはその治療師の名を呼んでみせる。
祝勝会に臨むにあたって事前に参加者の名前と顔を暗記しておいたので、これぐらいの芸当は朝飯前であった。
しかし、当の治療師にしてみれば名前まで呼ばれるとは思ってもいない。
名を呼ばれて礼を施された治療師は頬を染めた。
他の治療師はその様子を見て笑顔を浮かべているが、背後からユラリと羨望の陽炎が立ちのぼる。
如才なくフィリップは通りかかった給仕からこの場にいる全員分の葡萄酒のグラスを受け取ると一人一人に名を呼びながら手渡した。
あくまで祝勝会の主役は騎士たちである。
参加は許されていても治療師たちは自ら葡萄酒を手にするのは憚られた。
はしたないと思われる可能性もある。
しかし、フィリップから手渡されたとなれば、受け取るのはやぶさかではない。
「治療師の皆さんへの感謝を込めて」
フィリップはグラスを掲げるとクイと飲み干し次のグループへと去っていく。
この場にいる治療師全員が声をかけられたことになり、先ほどの微妙な空気は解消されていた。
多くの治療師が胸の中でぽっと思慕の念を新たにする中で、治療師の長はオリヴィアのことで苦情を言われなかったことに安堵する。
騎士の治療にはあまり貢献できなかったくせにいつまでも戦場に残っていて、挙句の果てには意識を失ったと聞いていた。
きっと騎士に自分の存在をアピールしようと物欲しげにうろうろしていたに違いない。
そんなふうに治療師の長は考えていたが、他人のことを推し量るのに自分の行動が基準になってしまっている。
この場に当人が参加できず感謝の声をかけられなかったことは自業自得というものであったが、働きが悪いと長として責任を追及されてはたまらない。
実際のところは、フィリップはオリヴィアが意識を失ったことも、ローランドがお姫様抱っこをしたことも知らないので苦情を言うはずもなかった。
ローランドの代理をするということはなかなかに多忙なのである。
フィリップの口からは耳に入らなかったが、酒のせいで少し舌の滑りが良くなった騎士がオリヴィアに関して話していたので情報が治療師にも伝わった。
「いやあ、驚いたよ。うちの団長が女性を抱きかかえて戻ってくるんだからさ。前代未聞だぜ。そういえば、あの治療師の娘、この場にはいないな」
「ああ、聞いた。オリヴィアとかいう娘だろ」
にわかには信じがたいが、どうも半人前の腕前しかないオリヴィアが特別な扱いを受けたらしいというのは間違いないようである。
もちろんこのことは長を始めとする治療師たちに激しい嫉妬の念を呼び起こさずにはいられなかった。
その頃、ガムランは神殿に到着し、そこで佇んでいた門番にオリヴィアが戻っているかを尋ねる。
「はい。戻っておりますが、何か御用でいらっしゃいますか?」
門番は訝しそうに回答した。
なにしろ騎士団の魔術師がわざわざ直接訪ねてきたのである。
治療したはずの誰かの容体が急変したというような何か問題があったと考えたのは無理もない。
「呼んで参りましょうか?」
「いや、戻っているならそれには及びません。こんな夜分に呼び出すのは気の毒です。どうもお騒がせしました」
ガムランは見た目に似合わぬ丁寧な態度で手間をとらせた詫びをいうと道を引き返していく。
門番は真面目な男だった。
見聞きした出来事を上役に報告する。
神殿長ほか幹部は祝勝会に参加していて不在だったが、留守居をさせられていた当直責任者へすぐにこの情報は伝わった。
たまたま、この責任者はローランドの宿舎の者に知り合いがおり、人を遣わせて問い合わせをする。
その結果としてオリヴィアがローランドの指示で用意した部屋から勝手に抜け出したことが神殿側に暴露された。
恩を仇で返すような行動ということで、祝勝会から帰ってきてそのことを聞かされた神殿長は青ざめる。
さすがに深夜にたたき起こすのは憚られるとして翌朝に聞き取りをすることとした。
林檎しか口にせず少々お腹が空いていたものの何も知らずにぐっすりと眠ったオリヴィアは朝早くに呼び出されて非友好的な渋面に首をすくめる。
神殿長が口を開きかけたところで間の悪いことにキュルルとお腹が鳴った。
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