第9話 誤解
口を開きかけていた神殿長は、大きなため息をつく。
「オリヴィア。あなたは自分の立場が分かっているのですか? 狼牙騎士団が迅速に対処してくださったから大事にならないで済みましたが、そうでなければランスタットの町はモンスターの襲撃を受けて大惨事になっていたかもしれません……」
くどくどくどくど。
この神殿長は話が長い。
しかも、まだ話の内容は本題に入っていなかった。
オリヴィアはお腹に手を当てる。
また鳴りそうなお腹を必死になだめた。
「……ローランド様のお手を煩わせた挙句、休むための部屋まで用意していただいたのに勝手に抜け出すとはなんという恩知らずでしょう。ローランド様は王族なのですよ。それなのに、あなたときたら、なぜそのような無礼なことをしたのですか。神殿の責任者として私はローランド様に合わす顔がありません」
結局、なんで朝からお小言を食らっているのかはっきりとは分からず、オリヴィアは恐る恐る質問をする。
「それで、団長閣下から苦情が来たのですか?」
長くしゃべりすぎて息継ぎをしていた神殿長は口を挟んだオリヴィアをキッと睨んだ。
「いえ。まだ今朝は連絡を頂いていません。でも、昨夜わざわざ魔法使いを派遣して居場所を確認しているのです。おっつけ問責の使者が来てもおかしくはありません」
「それじゃあ、どの件で怒っていらっしゃるかは分からないんですね?」
オリヴィアの言葉が頭にしみ込むと神殿長は顔色を変える。
「ご好意を無碍にしてご挨拶もせずに勝手に帰ってきた以外にも何かしたのですか?」
一晩寝たことで頭の整理がつき思いついたことを話した。
「馬に乗せていただくときに閣下のブーツを踏んで泥をつけちゃったかもしれません。たぶん。でも、あの時は急いでいたし仕方なかったんです」
「は?」
「それと殿下の愛犬に治療魔法をかけていたんですけど、途中で魔力切れで失神しちゃいました……」
こちらの件はオリヴィア自身も気にかけていたことなので、だんだんと声が小さくなる。
「一応、一命はとりとめたと思うんですけど……」
神殿長は記憶を探った。
「確か、ローランド様の愛犬は自分で走って帰営したと騎士の方が話していました」
「ああ、良かった」
オリヴィアは両手を胸の前で組み合わせて安堵の声を漏らす。
きゅるる。
その途端にお腹が空腹を主張した。
恥ずかしそうに面を伏せながらオリヴィアは他に思いつくことを一気にしゃべる。
「閣下が部屋に入ってこられたときに、とっさに布団の中に潜り込んでしまいました。それはまずいと思いなおしてベッドから慌てて出て転がり閣下をちょっと蹴ってます。それとベッド脇にあった林檎を全部持ち出して食べてしまいました。これぐらいだと思うんですけど……」
そうっと顔を上げて神殿長の様子を確認する。
その神殿長は眉を寄せて考えていた。
色々とやらかしているが、最後の林檎というところが引っ掛かる。
オリヴィアは気が付いていないようだが、枕元に置いてあったということはどう考えても見舞いの品だった。
ローランドは愛犬のことをとても大切にしているようだし、その命を救ったのであれば思ったよりも事態は悪くないかもしれない。
ただ、勝手に帰ったのは非礼といえば非礼だった。
これは本人に詫びに行かせた方がいいのは間違いないだろう。
神殿長は重々しくオリヴィアに言い渡す。
「殿下のところに出向いて非礼を誠心誠意お詫びしてきなさい。ただ、朝も早いので殿下もまだお休みでしょう。殿下の前でお腹を鳴らすわけにもいかないでしょうから、朝食を取ってから治療師の制服に着替え宿舎にお伺いするのです」
「分かりました」
オリヴィアは少し震える声で返事をして、一礼すると部屋を出ていった。
また戻ってくるのは面倒と自室に戻って制服に着替る。
昨日1日着ていた制服はだいぶ薄汚れていたが昨夜のうちにブラシをかけておいたので着られなくはない状態だった。
食堂に行くと配膳台のところで係のおばちゃんに声をかける。
「大盛にしてください」
普通ならばこれからどうなるんだろうと心配になって食事が喉を通るところではない。
だが、オリヴィアはちょっと違った。
なんだか大事になっているようで、もしかすると最悪の事態もあるかもしれない。
ということは、この朝食が最後の食事になる可能性があった。
処刑ということにならなくても牢屋に入れられるということは十分にありえる。
牢屋の食事は粗末で量も少ないに違いなかった。
いずれにしてもお腹いっぱい食べておいて損はない。
そうじゃなくても昨日は魔力切れを起こすほどに治療魔法をかけたので少しやつれている気がする。
係のおばちゃんはたっぷりとオリヴィアの鉢に根菜のスープを盛りつけた。
厨房の中で働く人は概ねオリヴィアに好意的である。
食事を作る立場にしてみれば、体形を気にして食事を残す人間よりも、なんでも美味い美味いと残さず食べるオリヴィアの方を気に入っていた。
個数が決まっているものは難しいが、スープを多くよそい、パンも分厚いところを選ぶぐらいは問題ない。
テーブルにトレイを置き椅子に座るとオリヴィアは豊穣と愛を司る女神へ日々の恵みの感謝の祈りをささげる。
そして、さっそく食事を食べ始めた。
おいしい。
頬に手を当ててニコニコとする。
この後に待ち構えることなどすっかり忘れて食事に集中した。
あらかた食べ終わった頃、オリヴィアの横に治療師の長が座る。
気が付けば反対側も向かいの席も治療師の同僚が座っていた。
オリヴィアは慌てて口の中のものをコクンと飲み込む。
「お早うございます?」
どういう理由かは分からなかったが周囲の治療師たちはいつも以上に冷ややかな態度をしていた。
「オリヴィア。ほとんど騎士の治療をしていなかったのにローランド様に介抱してもらったのはどういうわけ?」
「適当に治療魔法をかけていたの?」
「最初から抜け駆けするつもりだったのね?」
「普段は大人しそうなフリをしておいて、いざというときは目端が利くんだ」
口々に詰問の言葉が浴びせかけられる。
オリヴィアはきょとんとした。
「えーと、なんの話ですか?」
「とぼける気? あなた、ローランド様の心を射止めるつもりなんでしょ?」
「え? なんで?」
オリヴィアにはそんなつもりは全くない。
なにしろ、持参金が用意できなくて奉仕活動をしているぐらいである。
その返事は周囲の治療師たちの神経を逆なでした。
「ちょっと配慮してもらっただけのくせに、もう婚約でもしたつもり」
「あんたみたいな半人前がローランド様の妃ですって?」
「一体どんな姑息な手を使ったのよ」
糾弾がヒートアップする。
オリヴィアと他の治療師たちの間にはローランドとの関係に関しての認識に決定的な齟齬があった。
ローランドは王族であり、王室法により結婚相手は貴族の子女に限られている。
平民との間の貴賤結婚をすれば王位継承権を失うことになるのだった。
オリヴィアは子爵家の子女であり形式的には資格がある。
しかし、実質的に平民と変わらない経済水準のサンバース家は家格として釣り合わないと理解していた。
その一方で他の治療師たちは平民の子である。
貴賤結婚を禁ずる王室法の内容も知らないし、勝手に夢を見ているのであった。
オリヴィアは驚きの声を上げる。
「だって、資格がないじゃない」
この台詞は少し言葉足らずだったのは確かであった。
優位に立ったオリヴィアからの煽り文句と受け取った1人がスープの鉢をつかむとばっと残りをぶっかける。
1枚きりの制服をビーツの赤紫色が点々と彩った。
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