第四十七話 体感速度、百五十キロ後半の真っすぐ。

 五回の表は無得点で終了し、颯太はヘルメットを右手に持ちながら三塁側ベンチ内に小走りで戻る。


 ベンチにゆっくりと腰掛けると走塁用手袋を外し、守備用手袋を左手に着ける。


 感覚を確かめるように左手で握り拳に近い形を作ると僅かに口元を緩め、小さく頷く。


 それからすぐ、視線をバッターボックス方向に移した颯太は、第三打席での出来事を思い出す。



「あの時、縫い目がはっきりと見えるくらい、ボールがはっきりと目に映った。そしてスイングを始めると、スローモーションのように時が流れている感覚に陥って……あれはなんだったんだろう……」



 動体視力なのか、それとも別な……。


 あれこれ考えているうちに、颯太以外の先発メンバーの八人はすでにグラウンドに立っていた。



「いけない……!」



 颯太は急いでグラブを左手に着けると素早く立ち上がり、全力疾走するように自身のポジションに就いた。




 試合は三対〇のまま、八回の表を迎える。


 台府銀行の先頭バッターは颯太だ。


 セカンドの守備から戻った颯太はベンチに腰掛け、バッティンググローブを着ける。


 それからすぐ、関東ドームにアナウンスが流れる。



「籠崎工業、ピッチャーの交代をお知らせいたします。永山に代わりまして、吉田よしだ。ピッチャー、吉田。背番号、五十一。時浦商業ときうらしょうぎょう高校」



 颯太はアナウンスが終了すると、一塁側ベンチを眺める。


 しばらくして、一人の選手が駆け足で一塁側ベンチ内から姿を現す。


 颯太は駆け足でマウンドに向かう彼を目で追う。


 

「どんなピッチャーなんだろ」



 颯太はマウンドにゆっくりと上がった右腕を眺め、ポツリと言葉を漏らす。


 

 吉田健斗よしだけんと。二十七歳の右腕だ。


 

 健斗がマウンド上で小さく頷くと、彼に言葉を掛けたキャッチャーはゆっくりとポジションに戻る。


 健斗はロージンバッグに右手を置くと、しばらく静止する。数秒後にロージンバッグから右手を遠ざけ、足場を作る。


 十数秒後、足場を作り終えた健斗はセットポジションの構えをとり、キャッチャーに球種を示し、左足を上げる。


 白球がキャッチャーミットを叩くと、颯太は唸るように息をつく。



「威力がありそうだな、あのストレート」



 颯太はこう言葉を発すると、健斗と対峙した時のイメージを掴もうと、バットを持つ構えをとる。


 颯太の頭の中には、マウンドに上がった健斗の姿が映し出される。


 健斗はセットポジションの構えで静止した後、左足を上げる。スパイクの底がマウンドの土を力強く踏んでからすぐ、右腕を思いきり振り下ろす。


 颯太は白球を捉えようと、スイングを始める。


 それからコンマ数秒後、颯太の両掌に圧力のようなものがかかる。


 颯太は、その圧力のようなものに負けまいと、バットを振り切る。


 

 そこで、颯太の頭の中に映し出された映像が途切れる。


 結果は実際にバッターボックスに立たないことには分からない。


 途中で映像が途切れたのは、そのためだ。

 

 あくまで、颯太の頭の中に映し出された映像はイメージなのだから。




 イメージ通りにいくこともあれば、その反対もある。


 颯太は心の中で自身にそう言い聞かせる。


 

 しばらくして、健斗がピッチング練習を終え、ロージンバッグに右手を伸ばす。


 同時に、颯太は右手にヘルメットを取ると、自身の頭に被せる。


 そして、赤褐色のグリップを右手に持ち、右足から三塁側ベンチ前の人工芝を踏む。


 颯太はネクストバッターズサークルに赴くと、滑り止めのスプレーをグリップに吹きかける。


 そして両手でグリップを持ち、握り具合を確認する。



「よし……!」




 颯太がそう言葉を発し、頷いてからすぐ、アナウンスが流れる。



「八回の表、台府銀行の攻撃は。一番、セカンド、京極。セカンド、京極」



 アナウンスが終了すると、颯太は木製バットに描かれた鳥の翼をイメージしたデザインに一瞬だけ視線を向け、ゆっくりと歩みを進める。



 右バッターボックス内に入り、足場を作る。



「よし……と」



 小声で言葉を発した颯太は一つ息をつくと、木製バットのグリップ部分を見つめる。


 すると、颯太の眼光が鋭くなる。



 球威に負けない……!


 心でそう言葉を発した颯太は眼光の鋭さを保ったまま、マウンドを見つめる。


 颯太の視線の先で健斗はキャッチャーのサインに頷き、グラブを自身の腹部辺りにやさしく当てるように構え、静止する。


 それから数秒後、健斗の左足がゆっくりと浮く。


 その瞬間、颯太は球種とコースを絞り、グリップを強く握り締める。


 

 やがて、健斗の右手指先から白球が放たれる。


 白球は真っすぐの軌道で、左バッターボックス寄りに構えたキャッチャーのミットに鋭く突き刺さるように収まる。


 颯太は右バッターボックス内でスイング後の構えをとりながら、マウンド方向を見つめていた。


 

「速い……」



 颯太が驚きを抑えたような声を発してからすぐ、健斗のグラブに白球が収まる。


 球種とコースは予想通りだった。

 

 しかし、バットで捉えることができなかった。


 初見のピッチャーで、その初球ということもあるだろうが、理由は他にもあると颯太は思った。



「球威があるからこそ、スピード表示以上に速く感じる。このストレートは百四十八キロの表示だけど、体感速度は百五十キロ後半……」



 唸るように息をついた颯太は、グリップを握り直し、二球目のコースと球種を予想する。


 

「ピッチング練習を見る限り、球種はストレート、スライダー、フォーク……」



 球種はある程度把握できた。


 問題は、どの球種をどこに投げてくるかだ。



 颯太は構え、マウンド方向に視線を集中させる。


 そして、球種とコースを予想しようとした瞬間、そのような時間を与えないといわんばかりに、健斗はキャッチャーのサインに頷く。


 颯太は球種とコースを予想できないまま、二球目を待つ。



「何がくる……」



 颯太が言葉を漏らすと同時に健斗は左足で力強く踏み込み、二球目を投げ込んだ。

 


 

 

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