第四十八話 探り
白球はホームベースの数メートル手前まで迫る。
颯太はバットを出すことなく、白球の軌道を目で追う。
いや、目で追うことで精いっぱいだった。
白球がキャッチャーミットに収まると同時に、球審の右手が上がる。
「ストライク!」
百五十キロを超える、右バッターボックス寄りの真っすぐだった。
颯太はそのボールにバットを出すことができなかった。
俺の弱点を知っているのか……。
颯太の心が切羽詰まったような声を漏らす。
健斗はマウンド上で白球をグラブで受けると、颯太の背中を向ける。
そして両腕を横に伸ばし、一つ息をつく。
健斗が右手に白球を握り、再びホームベース方向を向いたと同時に、颯太は一度、タイムをとり、右バッターボックスの外に出る。
そして二回屈伸をし、一つ素振りをすると、気持ちを落ち着かせるように深く息をつく。
「この弱点を克服できるのはまだ先なんだろうな、俺。でも、いつまでもこの弱点を
颯太はその先の言葉を発することなく、再び右バッターボックス内に立つ。
足場を作り直すと健斗に視線を向け、白球が放たれる時を待つ。
この時、颯太の頭の中に、ある考えが浮かんできた。
その瞬間、颯太はにやりと口元を緩める。
「俺は左右の揺さぶりに弱い。逆に、相手の弱点はなんだろう。弱点のない選手なんていないに等しい。ちょっと、探りを入れてみようか……」
誰にも聞こえないような声で言葉を発した颯太はグリップを左手で握る。
そしてすぐ、ヘッド部分を右手で掴む。
颯太の構えを見て、健斗はプレートに乗せようとした右足の動きを止める。
次の瞬間、颯太と健斗の視線がぴったりと合う。
探り合いのような雰囲気がマウンドから右バッターボックスの間を包む。
しばらくし、籠崎工業のキャッチャーがタイムをとり、マウンドに駆け寄る。
キャッチャーがマウンドの土を踏むと、内野手四人も駆け寄り、バッテリーを囲むように立つ。
ツーストライクと追い込んでいる状態でタイムをとる。
そのようなこと、なかなか起こることではない。
不思議なこともあるものだなというような表情を浮かべながら、颯太はマウンド方向を見つめる。
しばらくして、三塁側ベンチ内から一人の人物が「京極さん」と颯太の苗字を呼ぶ。
颯太が三塁側ベンチ方向に視線を向けると、ベンチを出た淳伍が彼に向けて、手招きをしていた。
颯太は駆け足で、淳伍の元に赴く。
淳伍はマウンド方向に視線を向けると、腕を組み、囁くように言葉を発する。
「きっと、次のボールは外してきます」
確信に近い淳伍の声を聞き、颯太は一瞬だけ籠崎工業バッテリーの姿を目に映す。
再び淳伍に視線を戻すと、台府銀行硬式野球部監督は微笑みに近い表情を浮かべる。
彼の無言のメッセージを受け取り、颯太は小さく頷く。
それからしばらくして、マウンド付近の輪が解ける。
颯太は健斗がロージンバッグに右掌を乗せたと同時に、右足から右バッターボックス内に入る。
ホームベースを見つめながら静かに息をついた颯太は、ゆっくりと視線をマウンド方向に移す。
一瞬だけ健斗と視線を交わし、颯太は左手でグリップを握り、右手でヘッド部分を持つ。
健斗はキャッチャーのサインに頷き、数秒間静止した後、ゆっくりと左足を浮かせる。
やがて、健斗の右腕が振り下ろされる。
颯太は白球がホームベース五メートル程手前に達したところで、バットを引く。
そこから若干の間の後、白球がキャッチャーミットに収まる。
左バッターボックス寄り、低めの真っすぐだった。
「ボール」
球審のコールを聞き、颯太はゆっくりとホームベースから遠ざかる。
そして三塁側ベンチを見つめると、小さく頷く淳伍の姿が颯太の目に映る。
淳伍の読み通り、三球目はストライクゾーンから外してきた。
淳伍は手を叩き、颯太を鼓舞する。
颯太はこたえるように小さく頷き、右バッターボックス内、ホームベース付近に立つ。
颯太は再び左手でグリップを握り、右手でヘッド部分を持つ。
それから少し遅れて、健斗はキャッチャーのサインに頷く。
颯太は静止した健斗を注視する。
健斗はキャッチャーミットを注視する。
数秒後、健斗は左足を上げる。
その瞬間、颯太は右でをグリップ部分に移す。
そして、健斗の左足がマウンドの土に触れると同時に、颯太はグリップを両手で強く握り締める。
すると、台府銀行硬式野球部にやってきた、隹海クラブ所属の補強選手の頭の中には、一つの球種とコースが浮かぶ。
それからすぐ、健斗の右腕が振り下ろされ、白球が颯太の目に映る。
白球は途中まで真っすぐの軌道を描くと、ホームベース数十センチ手前で下方向に軌道を変える。
そして、左バッターボックス寄りに構えたキャッチャーのミットに収まるようなコースを辿る。
颯太は白球がキャッチャーミットに収まる寸前のタイミングで小さくスイングする。
それからすぐ、何かが木材に当たるような音が関東ドーム内に響く。
颯太はバットを振り切ると、右バッターボックス内の土に右膝をついた状態で、白球の行方を目で追っていた。
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