第三十八話 決戦の地へ

 七月十九日の木曜日、朝六時二分。


 微かに耳に届いた雨音で颯太はゆっくりと目を開ける。視線をカーテンに移してからすぐ起き上がり、窓際に立つ。


 カーテンをゆっくり開けると、小さな雨粒が付着した窓が颯太の目に映る。



「雨か……」



 颯太がふと呟くと、雨脚がやや強まった。


 

 窓に付着した雨粒が颯太から見て、左から右に流れる。颯太はその雨粒を目で追いながら、翌日に控えた一回戦のことを考える。


 

 台府銀行は二十日の一回戦で、籠崎工業かごさきこうぎょうと対戦する。籠崎工業は打線が強力で、一次予選、二次予選と圧倒的な攻撃力で勝ち進み、全国への切符を掴んだ。


 

「打線が強力。だからといって、攻撃で対抗するのは、相手の思う壺。勝つためには……」



 颯太は僅かに眼光を鋭くさせる。


 すると、新たに一粒の雨粒が颯太から見て、左から右に流れる。


 雨粒が窓の淵に当たり下へ垂れると、視線を上空に移す。



「守りで打線を封じる」



 力強く言葉を発すると、雨脚が一瞬だけ弱まる。そして再び、やや強い雨脚で雨粒が窓を叩く。



 明日の関東地方は晴れるだろうか。


 颯太は心の中でそう呟くと、ゆっくりとした足取りでキッチンに赴き、冷蔵庫を開けた。




 午前八時二十七分、ネクタイ姿の颯太はバッグ二つを左手に提げ、バットケースを左肩に掛け、玄関を出る。


 ゆっくりとドアを閉め、鍵を掛ける。颯太は小さく頷くとドアに背を向け、上空を眺める。



「絶対に勝ち進む……!」



 自身に気合を入れるように低く、力強い声を発する。


 すると、颯太の全身を熱が包む。


 蒸し暑さが理由ではない。


 

 颯太の全身を包む熱はやがて、彼の心の中と瞳の奥に、熱いものを滾らせる。


 颯太は心の中と瞳が熱くなるような感覚を覚えると、軽く目を閉じる。


 そして、再び声を発する。



「そして、優勝する……!」



 颯太は一気に目を開け、雨が降りしきる外の景色を見つめる。



「それだけだ……!」



 重みなる声を発したと同時に、隹海駅に向けて颯太は右足から一歩を踏み出した。




「まもなく、終点の台府です」



 座席で三十分程列車に揺られた颯太はバッグ二つとバットケースを左手に持つと、ゆっくりを腰を上げる。


 列車は徐々に速度を落とし、台府駅を目指す。


 颯太は一つ息をつくと、視線を列車の進行方向に向ける。


 

 まずは、一回戦を突破する。そうすることで、二回戦を戦うことができる。


 颯太が心で呟くと、台府駅のホームが列車の窓に映る。


 颯太は台府駅から先の区間へ向かう列車が目に入った瞬間、颯太の口が動く。



「目的地に辿り着いたら、その先を目指す。そこにある景色を見てみたい。そして、更にその先の景色を求めて……!」



 颯太が口を閉じると、列車は停車し、ドアが開く。


 列車内に生暖かい空気が入り込み、やがて颯太の頬を撫でる。


 颯太は自身の頬に生暖かい感覚が伝わると、一瞬だけ目を閉じる。


 目を開けると鋭い目つきで、改札口に続く階段を見据える。



「さあ……行くか……!」



 低く、力強い声を発し、颯太はホームに降り立つ。そして、ゆっくりと階段を上っていった。




「京極さん、おはようございます」



 九時四十一分、颯太が三階の新幹線乗り場の改札口前に到着すると、寛人が笑顔で歩み寄る。


 

「おはようございます、田中さん」



 颯太は寛人に挨拶を返す。


 颯太と寛人以外の姿はない。



 二人は淳伍達が到着するまで、言葉を交わす。



「籠崎工業さんは打線が強力なチーム。だからといって、こちらがバッティングで対抗したら、籠崎工業さんの思う壺です」



 寛人は颯太と同じ考えを持っていた。


 

 打ち合いでは、台府銀行に勝ち目はない。


 ならば、守りで対抗する。

 

 そして、打線を封じる。



「守備こそが大きな武器になる。私はそう思っているんです」



 寛人はそう話すと、颯太のバッグとバットケースを見つめる。


 寛人の視線こそが、勝利のために必要なものを示していた。


 

 寛人は颯太に視線を戻すと、こう言葉を繋げる。



「京極さんは勝利に欠かせないピース。抜けられたら困ります。都市対抗野球の最後の試合まで、ともに……!」



 力強さの伝わる寛人の眼差しが颯太を見つめる。

 

 

 都市対抗野球全国大会終了後、颯太は株式会社ウォーグに、そして隹海クラブに戻る。


 仕事上の取引先という関係は変わらないが、野球では敵に戻る。


 寛人をはじめとした、台府銀行の選手とともに練習で汗を流し、戦うことができなくなる。


 

 すると、颯太の頭に一瞬だけある思いが浮かぶ。

 

 寛人は颯太の思いを読み取ったように首をゆっくりと横に振ると、やさしい声で言葉を掛ける。



「我々は京極さんをお借りしている。ウォーグさんに、そして隹海クラブさんに京極さんをお返しする義務があります。大事な社員さんで、選手。我々があなたを引き抜くなんてことはできません。お取引先として、対戦相手として」



 寛人はその先の言葉を発することはせず、笑顔で颯太を見つめる。


 颯太は寛人の目をじっと見つめ、ゆっくりと頷く。


 そして、やさしい笑みを浮かべる。



「はい……!」

 


 颯太がこたえてからしばらくして、淳悟達が姿を現す。


 やがて、全員が到着した。


 

 そして、午前十時五分。



「行くぞ!」

 

「はい!」



 淳悟の声に颯太達はこたえる。そして、切符を改札機に通し、新幹線ホームに向かう。


 颯太は改札機に通した切符を受け取ると、車両名、行き先、発車時刻が記された電光掲示板を見つめる。


 すると、颯太の瞳の奥が更に熱くなる。



 颯太はにやりと口元を緩め、囁くように言葉を発する。



「待ってろよ、全国……!」



 それからすぐ、颯太達が乗り込む新幹線の接近を知らせる、駅員のアナウンスが流れた。

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