第二十九話 「商品化してくれよ」

「ありがとうございました!」



 午後一時十七分に練習が終了し、颯太は一塁側ベンチ内で帰宅の準備を進める。


 

「よし……と」



 颯太がバットケースのファスナーを閉めると、史也が歩み寄る。



「颯太が使用している木製バット、商品化してくれよ」



 史也の問いに、颯太の手の動きが止まる。


 一瞬だけ史也へ視線を向けると、颯太はバットケースを見つめる。


 

「商品化……」



 颯太は小声で言葉を発すると、バットケースのファスナーをゆっくりと開け、試作品の木製バットのグリップ部分を右手で掴み、ゆっくりと目を閉じる。


 すると、悟のあの言葉が颯太の頭の中で流れる。


 

「数量限定」


 

 颯太がそう言葉を発するように口を動かすと、日差しがやや強まる。


 瞼の裏に眩しさが伝わると颯太はゆっくりと目を開け、史也を見つめる。



「この木製バットに興味を持っていただき、ありがとうございます。今の段階では、詳しく話すことができません。ですけど、もしもそういった話になった場合は、高山さんにその旨をお伝えしますね」



 颯太はやさしい笑みを浮かべ、そうこたえるにとどめた。


 史也は「そうか……」と呟くように口を動かすと、スコアボードへ視線を移す。



「絶対に売れると思うんだ……」



 史也の声が微かに耳に届いたと同時に、颯太は再び試作品の木製バットのグリップ部分を見つめる。


 史也がどのような根拠を持ち、そのように話したのか颯太には分からない。


 颯太は史也に「売れる」と思った理由を尋ねようと、口を開き、言葉を発しようとした。


 同時に、史也は颯太の言葉を遮るように「じゃあな」と彼にやさしく言葉を掛け、練習場を後にした。


 颯太は口を開いたまま、ただただ史也の背中を見つめることしかできなかった。


 その姿に気付いた俊介が颯太の元に歩み寄る。



「どうした? 颯太」



 俊介が言葉を掛けてからしばらくして、はっとしたように颯太は彼へ視線を向ける。



「何かあったのか?」


「あ、いえ……」



 颯太は俊介の問いに曖昧な返事をすると、顔を僅かに俯ける。


 視線の先には、自身が使用している木製バットのグリップ部分が映る。


 颯太が視線を向けている対象に気付いた俊介はやさしい声を発する。



「それにしても、良いバットだよな。どこのメーカーだ?」



 颯太は俊介の言葉から少し遅れて、こたえる。


 

「ウォーグです」



 颯太の言葉からすぐ小鳥が一羽、練習場の上空で翼をはためかせた。




 午後二時過ぎに颯太は帰宅し、バッグとバットケースを寝室へ置く。


 

「興味を持ってくれた人が現れた……」



 颯太はバットケースを見つめながらそのように言葉を漏らすと、笑みを浮かべる。


 

 興味を持ってくれた人が現れたということは、商品化に一歩近づいたということ。


 一度はボツとなった颯太の案が形となるかもしれない。


 これも、夢のような話だ。



「世に出ないと思っていたからなあ……」



 颯太はバットケースへ右手を伸ばし、ファスナーを開ける。


 それからすぐ右手でグリップを握り締め、抜き取る。


 

「この木製バット」



 言葉を繋げた颯太は、自身が使用している試作品の木製バットを眺める。


 

「メンバー発表で、自分の名前が呼ばれたことと同じくらい嬉しい。あとは、どれだけ売れるか……」



 仮に商品が決まった場合、最初は数量限定での販売となる。颯太は具体的な数字を聞かされていない。


 何本製造し、何本以上売れたらレギュラー商品化するのだろうかと唸るように息をつき、考える。

 

 数字を達成できなければ、レギュラー商品化の話はなくなる。颯太としては、それを避けたい。


 なんとかして、数字を達成したい。そして、多くの選手に使ってもらえる商品になってほしい。


 そのような願いを右手に握る、木製バットへ込める。


 

「まずは、悟に報告して……だな」



 呟くように言葉を発した颯太は、ゆっくりと試作品の木製バットをバットケースへ戻した。




 六月二十五日、月曜日の昼休み。


 颯太は自身が考案した木製バットに興味を持ってくれた選手が現れたことを悟へ伝えた。


 

「おお、そうか」



 悟は颯太の報告を聞くと嬉しそうな表情を浮かべ、腕を組む。


 

「先輩選手は『絶対に売れると思う』と仰っていたんだ。でも、その根拠が俺には分からなくて」



 颯太がそのように話すと、悟は腕を組んだまま若干前傾姿勢をとる。それからすぐ、千恵が同じテーブルへ着く。


 そして、千恵が颯太へ視線を向けたと同時に、悟が口を開く。



「デザインだけでは売れない。使用するバットが選手のバッティングに影響を及ぼすわけだからな。デザインが良く、性能が備わっているからこそ売れる。先輩選手はデザインに加えて、颯太のバッティング練習での打球の質なども見て『売れる』と思ったんじゃないか?」


 

 悟の言葉で、颯太は二日前の練習前のことを思い出す。


 颯太自身、そうは思っていないが、史也の目には彼の打球の飛距離が伸びているように映っていた。


 自分のことは意外と分からないもの。


 

「他人から言われて気づくよな、自分のことって……」



 颯太は笑みを交え、囁くように言葉を漏らす。


 颯太の言葉を聞き逃さなかった悟と千恵は共感するように頷く。


 颯太は一つ頷き、箸を持つ。そして、視線を悟へ向ける。



「製造、よろしくね。悟」



 颯太のやさしい声に、悟は笑顔で頷く。



「任せとけ!」



 颯太は頼もしさが窺える悟の表情を見つめ笑顔で頷くと、テーブル上のトレーへ視線を向け、手を合わせた。

 

 

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