第二十八話 いつも通りの僕

 午後五時五十八分。


 颯太は一つ息をつくと、机上の書類の角をきれいに合わせ、封筒へ入れる。


 封筒を鞄へしまい、視線を時計の下に掛けられているカレンダーへと向ける。



「全国大会は七月二十日から……」



 颯太はポツリと呟くと腰を上げ、カレンダーの前に立つ。


 

「二十日の金曜日に、一回戦か……」



 颯太は静かに息をつき、六月のカレンダーの右上隅に小さく載っている七月のカレンダーを見つめる。


 

 都市対抗野球全国大会は七月二十日の金曜日に開幕し、トーナメント方式で争う。


 組み合わせはまだ決まっていない。



「全国に駒を進めたチームは分かっている。今の俺にできることは、出場チームの選手の特徴を掴み、研究すること。そして、普段の練習をしっかりこなすこと。ただそれだけだ」



 自身に言い聞かせるように言葉を発すると小さく頷き、自身の席へと戻る。そして机上の整理を済ませると幸仁達へ挨拶をし、エレベーターホールへと歩いた。



  

 午後七時九分に颯太は帰宅し、鞄を寝室の机の脇へゆっくり置く。


 

「皆、応援してくれている。試合に出て、下手なプレーなんかできない。いや、したくない。選んでいただいて、そんな結果で終わってしまったら……」



 颯太は右手を強く握り締める。


 

 普段からその気持ちを持ちながらプレーしているが、今度は状況がやや変わってくる。


 補強選手として、他のチームでプレーするのだから。


 その舞台が全国だ。緊張感などの度合いは普段の試合とは比にならない。



「全国の舞台は初めてだからな……どんな景色が俺を待っているんだろう……」



 試合を想像してか、颯太の声には緊張のようなものが窺えた。


 颯太はやや強張った表情を浮かべ、窓際に立つ。


 まだ明るさの残る外の景色を眺めていると、株式会社ウォーグの社員の顔が颯太の頭の中に浮かぶ。


 それからすぐ、昼休みに悟から掛けられた言葉を思い出す。



「『周りを惹きつける人』か……」



 ポツリと言葉を漏らすと、目を閉じる。


 颯太自身、不思議に思っていた。


 何故、自分の元に人が集まってくるのかということを。



 悟にあのように言葉を掛けられる前までは、からかわれているだけとネガティブに捉えていた。


 しかし、悟の言葉でその意識が僅かながら変化した。


 

「それだけ、話しかけやすいってことなのかもな」



 颯太は目を開けたと同時に、口元を緩める。


 

「でも、キャプテンには向かないな。リーダーシップに欠けるから」



 そして、自身をそのように分析すると窓に背を向け、キッチンへと赴き、夕食作りを始めた。




 六月二十三日の土曜日、午前八時三十七分。



「颯太、バットを新調してから更に飛距離が出たんじゃないか?」


「え? そうですか?」



 颯太は史也の問いに、首を傾げる。


 颯太自身、飛距離に変化が出たとは思っていない。


 しかし、史也の目にはそのように映った。



「『良いバットだな』と思いながら、颯太のバッティング練習を見ていたんだ。あのバット、どこで販売しているんだ?」



 史也からの問いに颯太は少しの間を置き、こたえる。



「あれはどこにも売っていません。試作品なんです」



 颯太の言葉に、史也は腕を組む。



「試作品?」


「はい。僕が勤めている会社で製造した、試作品の木製バットなんです」



 颯太はその先の言葉を飲み込む。


 

「そうか、試作品か」



 史也は言葉を漏らすと唸るように息をつき、小さく数回頷く。


 そして、視線の先に微かに映る赤褐色へ視線を移す。



「もし、販売されていたら買っちゃうかもな。俺の好きなデザインだから」



 史也は呟くように言葉を発すると、健二郎の元へと赴いた。


 颯太は史也の背中をしばらく見つめると、目を閉じる。


 それからすぐ、颯太の口が開く。



「興味を持ってくださって、ありがとうございます……!」



 お礼を伝えると目を開け、再び文也の背中を見つめる。


 次の瞬間、健二郎は一瞬だけ颯太へ視線を向ける。それからすぐ、健二郎の視線は一塁側ベンチ内へと移る。


 健二郎は視線の先にあるものが映ると腕を組み、一つ頷く。そして文也へ視線を戻す。


 文也と言葉を交わす健二郎の表情には、徐々に笑みが浮かぶ。


 何に対しての笑みなのか。颯太には分からない。


 颯太はしばらく、史也と健二郎が言葉を交わす姿を眺め、俊介の元へと赴いた。



 

 カァン。



 フリーバッティングの時間になり、右バッターボックス内に立った颯太は、快音を響かせる。


 颯太が弾き返した白球は、ワンバウンドでセンターのフェンスに直撃した後、コロコロと転がる。


 颯太はボールが返球されると一度、右バッターボックス内から出る。そして、自身が握っている、木製バットのヘッドへ視線を向ける。


 同時に、練習前に掛けられた文也の言葉が颯太の頭の中で流れる。


 その瞬間、颯太は口元を緩め、僅かに首を横へと振る。



「気のせいですよ、飛距離が出てるなんて……」



 囁くように史也へ言葉を贈ると、ヘルメットのつばを右手人差し指で軽く撫で、再び右バッターボックス内へ足を踏み入れる。


 そして。



 カァン。



 試作品の木製バットが捕らえた白球は、弾丸ライナーでレフトのフェンスに直撃し、勢いよく跳ね返った。


 

「いつも通りの僕ですよ……!」



 ボールを返球した史也は颯太の言葉に、どのようにこたえるのだろう。




 

 

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