第二十七話 「野球界を引っ掻き回せ」

 六月十七日、月曜日の正午過ぎ。



「おめでとう!」


「ありがとう……!」



 社員食堂内で颯太は千恵の言葉に、照れた表情を浮かべる。


 千恵が左手に持つ携帯電話の画面には、都市対抗野球全国大会で補強選手に選出された選手の氏名が記されたサイトが表示されていた。


 千恵はしばらく画面を眺めた後、ゆっくりと携帯電話をテーブルの上に置く。

 

 

「颯太が有名になっちゃうね」


「出番があるかは分からないけどね」

 

「もう……」



 千恵は颯太の言葉に駅れたような笑みを浮かべると、テーブルの上に置いた自身の携帯電話の画面を再び眺める。


 そこには、台府銀行の補強選手に選出された〈京極颯太〉の氏名が表示されていた。


 千恵が携帯電話を左手で掴むと同時に、悟が二人と同じテーブルに着く。



「颯太、選ばれたんだな。おめでとう!」

 

「ありがとう……!」



 颯太は再び、照れた表情を浮かべる。




 颯太にオファーを出した台府銀行硬式野球部の幹部は隹海クラブとの二回戦の試合をバックネット裏の座席で観戦していた。


 二回戦の試合中、颯太の目に映った男性二人は台府銀行硬式野球部の幹部だった。



 颯太は箸へ視線を移す。同時に自身の頭の中に、二日前の俊彦との会話の映像が流れる。



 

「一次予選の一回戦を別の幹部の方が視察で球場を訪れていたそうなんだ。その試合で颯太はスリーベースヒット、二本という結果を残した。守備では、抜けそうな当たりを見事にさばき、アウトにして見せた。恐らく、それがインパクトを与えたんだろう」


「インパクトですか……?」



 颯太の問うような声に俊彦は腕を組み、頷く。


 

「攻守に渡り、素晴らしい活躍を見せた。我々は二回戦で敗退してしまった。しかし、一部からは『二次予選まで進めた』という声をいただいた。皆のプレー、特に、颯太の活躍を見てだろう」


  

 俊彦は微笑みを浮かべる。


 颯太は謙遜するように、首を数回横へと振る。


 颯太自身、インパクトを与えたプレーができたとは思っていない。


 

 言葉を信じることができない颯太の表情を見て、俊彦はファイルから数枚の書類を取り出す。そして、文面を目で追いながら言葉を繋ぐ。



「二回戦までの成績は、しっかりと記録している。颯太にとっては、満足いく成績ではなかったかもしれない。だが俺達から見たら、素晴らしい成績だ」



 俊彦は書類を一枚捲ると、視線を颯太へ移す。



「インパクトという言葉が颯太には、大袈裟に聞こえたかもしれない。だが、それに近いプレーを二試合でやってのけたんだ。そのプレーに目を惹かれ、一回戦を観戦していた幹部の方が別の幹部の方に報告した。そして、報告を受けた幹部の方が応援の傍ら、颯太のプレーを確認した。動きを見て大丈夫だと考え、颯太にオファーを出した。こんなところだろう」



 颯太の頭の中で流れていた映像はここで途切れた。





「選出されたからには、優勝のために全力を尽くす。まずは、台府銀行さんの選手の皆さんに受け入れてもらわないことには始まらない」

 

 

 颯太は呟くように言葉を発すると、手を合わせる。そして箸を持とうとした瞬間、社員が次々と颯太の元へと歩み寄り、激励の言葉を贈る。


 彼らからの激励を受け、颯太は笑みを浮かべる。



「ありがとうございます!」



 颯太がお礼を伝えると、更に社員が颯太の元へ集まる。


 もはや、有名人だ。


 しかし、颯太はそのように思ってはいない。



「僕は、ただのサラリーマンですから」


「謙遜するなって!」


 

 先輩社員が茶化すと、颯太は思わず、ムキになったような声を上げる。



「先輩!」



 颯太の言葉からすぐ、やさしい笑いが社員食堂内を包む。


 

「颯太は誰とでもすぐに打ち解けることができるから、大丈夫だ。応援してるぞ!」


「本当に応援してくれます?」


「もちろん!」



 颯太は先輩社員の言葉に少しの間を置き、お礼を伝える。


 颯太の元には先輩、後輩問わず、人が集まる。颯太自身、それに気付いていない。


 その気付いていないものこそが、颯太の魅力の一つである。


 

 しばらくし、颯太は全員の激励にお礼を伝え、椅子に腰掛ける。その表情には、笑みが溢れていた。



「颯太の周りには本当に、人が集まるよなあ。なかなかいないよ、ここまで周りを惹きつける人って」



 悟の言葉に共感するように、千恵は頷く。


 颯太は箸を持とうとした手の動きを止め、悟へ視線を向ける。



「俺が、周りを……?」



 颯太は尋ねるように言葉を漏らす。

 

 悟は「うん」とこたえるように頷くと、社員食堂内を見渡す。



「颯太が現役でプレーしているからじゃない。颯太の人柄が周囲を引き寄せているのかもな」



 千恵は再び、悟に言葉に共感するように頷く。


 颯太は戸惑うように、悟と千恵を見つめる。


 

「部活で颯太と同じチームだったら、どれほどよかったことか……」



 悟は視線をテーブルへと向けると手を合わせ、箸を持つ。


 颯太は悟に言葉の真意を尋ねようと、口を開く。


 そして言葉を発しようとした瞬間、悟の声が颯太の耳に届く。



「明るくなれるんだ。颯太といると。暗い気持ちになりかけたいた時、颯太と一緒に話したりしているうちに、そんな暗い気持ちがすっかり晴れて。おかげで、仕事でいいパフォーマンスを発揮できた。颯太のおかげだよ」



 悟はそう話すと、笑みを浮かべる。そして少しの間の後、力強さの伝わる言葉を発する。


 

「颯太のプレーと、その人柄でチームを優勝に導け」



 颯太は悟の言葉から少し遅れて、引き締まった表情でゆっくりと頷く。


 そして、視線を千恵へ移す。


 千恵は颯太の目を見つめ、エールを贈る。



「颯太の武器で、野球界を引っ掻き回せ」


 

 千恵の言葉からすぐ、新たな始まりを告げるように、風が音を立てながら窓を叩いた。


 


 

 

 

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