第二十一話 試合会場を訪れていたスーツ姿の男性二人

 両チーム無得点で試合は続き、迎えた三回の裏。


 台府銀行はワンアウトから三連打で二点を記録した。


 裕也は連打による失点で一瞬動揺しかけたが気をしっかりと保ち、後続を二者連続三振で抑える。


 スリーアウトになると、隹海クラブのナインは駆け足で三塁側ベンチ内に戻る。


 颯太はグラブをベンチへゆっくりと置くと、バッティンググローブを左手に装着する。じゃんけんのグー、パーをするように左手指を動かすと、マウンド上でピッチング練習をする正樹を注視する。



「一人もランナーが出ない状態で二巡目に入る。ボールの球威、変化の質はある程度分かった。あとは、ボールを捉えることができるか……」



 唸るように息をついた颯太はヘルメットを左手に取るとそのまま、ネクストバッターズサークルへ歩く。


 滑り止めのスプレーを木製バットのグリップへ吹き付ける。そして両手でバットを短く持ち、右バッターボックス内へ歩を進める。




「四回の表、隹海クラブの攻撃は。一番、セカンド、京極。セカンド、京極」

 


 颯太はゆっくりと右バッターボックス内へ入り、足場を作る。


 バッターボックスの白線は消えかかっていた。



 颯太は足場を作り終えると、マウンドに立つ、正樹を見つめる。


 初球は何で入るか。心で呟くとバットを短く持ち、構える。


 正樹は翔太のサインに一度首を振る。


 正樹の仕草が、颯太の頭の中の選択肢を増やす。


 颯太は一瞬だけ険しい表情を浮かべる。



「第一打席は真っすぐから。同じように攻めてくるか……」



 颯太がバットを強く握り締めると同時に、正樹が首を縦へと振る。


 正樹は数秒間静止し、投球モーションに移る。


 颯太はバットを更に短く持ち、初球を待つ。


 正樹の左足が上がる。そして、右腕が振り下ろさる。



 白球は真っすぐの軌道を描く。


 颯太は左足を上げず、ただボールを目で追う。


 

「真っすぐと見せかけて……」



 颯太がそのように口を動かしてからすぐ、白球に変化が加わる。


 左バッターボックスへ向かう軌道へ変わる。


 颯太は白球を目で追い続ける。



「スライダーか」



 颯太の囁くような声と同時に、白球は翔太のキャッチャーミットへ収まる。



「ボール」



 ストライクゾーンから僅かに逸れ、初球はボール球となった。


 翔太が正樹へ返球すると、颯太は電光掲示板のスコアボードへ視線を向ける。



「ビハインドの状況。まずは、塁に出ないと」



 そう呟いた颯太は異常なほど落ち着いていた。



 まだ負けが決まったわけではないからだ。




 まだ四回で、二点差。十分、チャンスはある……!


 颯太は心でそう呟くと口元を緩ヘルメットを被り直す。


 マウンド上では、正樹が翔太のサインに頷き、静止する。


 すると、颯太と正樹の視線が再び合う。


 

 何を投げてくる。


 何を待っている。



 二人の考えが交錯したように、太陽が雲に隠れる。


 

 正樹が翔太のキャッチャーミットへ視線を移すと、バッターには不利な向かい風が颯太を襲う。

 

 一瞬だけ目を細めた颯太の視線の先には、正樹の姿がはっきりと映る。


 正樹は自身にとっての追い風にどのようなコースにどのような球種を投げるのか。向かい風を浴びながら、あれか、これかと颯太は考える。


 コースの球種を絞ることができないまま、颯太は正樹のモーションを注視する。


 

 きた球を振るしかないか……。


 颯太が心で呟くと、白球が放たれる。


 

 お……。


 颯太の心が言葉を漏らす。


 白球はゆったりとしたスピードで、颯太の背中へと向かう軌道を描く。


 颯太はける動きを見せないまま、軌道を目で追う。



 胸元から外への軌道だった。


 颯太の心の言葉と同時に、白球はホームベース上を通過し、左バッターボックス寄りに構えた翔太のキャッチャーミットに収まる。



「ボール」



 球審のコールと同時に、翔太はボールを右手に持ち替える。そしてタイムをとり、駆け足で正樹の元へ駆け寄る。


 颯太はマウンドで言葉を交わす正樹と翔太へ視線を向ける。


 サインの確認か。それとも他に……。


 あらゆる考えが颯太の心を駆け巡る。


 颯太がマウント方向を見つめていると、一瞬だけ、正樹と目が合う。



「なんだろ……」



 颯太の心の声が漏れる。



 正樹の仕草が意味したものとは……。



 タイムから二十秒ほどして、翔太がキャッチャースボックス内へ戻り、構える。


 正樹は翔太のサインに首を縦に振る。


 颯太は一つ息をつくとバットを短く持ち、構える。視線の先には、闘争心のようなものが窺える、正樹の姿が映る。


 颯太は思わず、正樹の雰囲気にのまれそうになった。



「なんだ……」



 そう言葉を漏らした颯太の膝が一瞬だけ、ガクンと動く。


 それからすぐ、正樹は左足を後ろへ下げる。


 颯太は口元を真一文字に結び、三球目を待つ。



 狙い球を絞らずに、振ってみるか。


 颯太の心の声からすぐ、白球がホームベースから三メートルほど手前まで迫る。


 颯太の体は自然と動き、いつの間にかバットを振り抜いていた。



 カァン。



 打球音とともに、白球は左中間方向へ勢いよく飛ぶ。


 レフトを守る選手とセンターを守る選手が打球を追う。


 颯太は白球を目で追いながら徐々に加速する。そして、ファーストベースを右足で踏むと同時に、スタンドから歓声が起こる。


 その対象は、守備に対してではない。



「いけ、颯太!」



 ネクストバッターズサークルで控える、健二郎の声で更に加速し、セカンドベースを狙う。


 ボールはまだ返球されない。


 

 颯太の目の前にはセカンドベースが映る。同時にセンターを守る選手が、中継に入ったショートの選手へ送球する。


 颯太はセカンドベースを踏み、ショートの選手へ視線を向ける。



「いいぞ!」



 三塁側ベンチ内が沸き立つ。同時に、彼らの声量に負けないほどに、緑石野球場のスタンドから歓声と拍手が沸き起こる。



 隹海クラブのこの試合、初めてのヒット、そして初めてのランナーが出た。


 颯太は一つ息をつくと、バックネット裏へ視線を向ける。すると、スーツを身に纏った二人組の男性の姿が目に飛び込んだ。


 

「誰だろう……」



 颯太がポツリと呟くと、颯太から見て左の男性は、なにかを書き込むように右手を動かす。


 そして、颯太から見て右の男性はグラウンドを見つめ、小さく頷く。



 彼らは一体何者なのか。


 颯太が考えを巡らせていると、二番バッターの健二郎がゆっくりと右バッターボックス内へ足を踏み入れた。

 

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