第十六話 「だろうね」

 五月十日の木曜日、午前十一時二十三分。


 颯太は机上の立案書を眺め、小さく頷く。



「丁度、十五枚書き終えた。我ながら、いい出来だ。あとは、口頭で説明を付け加えて……」



 颯太はどのような説明を口頭で付け加えようか、立案書の文章を目で追いながら考える。


 颯太の頭の中では、無意識のうちに立案書に記された文章が音声として流れる。



「文章をそのまま読んだら口頭で説明する意味がないよな」



 颯太は笑いを浮かべると、頭の中で流れていた音声を停止させ、新たな口頭での説明を考える。



 「素材はですね……」



 手ぶりを交え、説明のフレーズの一部を呟く。



「耐久性に優れており……」



 颯太が続けると、近くを通りかかった幸仁が彼にやさしく声を掛ける。



「お、プレゼンの練習か?口頭での説明、上手くなってるぞ。どんな商品をプレゼンしてくれるのか、楽しみにしてるからな」



 幸仁は颯太の左肩に手を置くと、史俊の元へ赴き、言葉を交わす。


 颯太は幸仁の背中を見つめながら「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べる。そして、再び立案書を眺めながら頭の中に浮かんだ説明のフレーズを呟く。



「より長くご使用いただけるスパイクとなっております」



 試行錯誤しながら説明を考えているうちに、時計の針は正午を差す。



「あっという間だったな」



 颯太は立案書の角を合わせ、封筒へ入れる。



「続きは、休憩終わりに考えよう。口頭用の説明文を文字に起こしてみるか」



 颯太はゆっくりと立ち上がり、エレベーターホールへと歩を進めていった。




 

「そうか。向こうの一回戦は日にちが違うんだっけか?」


「うん。明後日の午前十時。試合間隔の違いがどう出るかだね」



 颯太は社員食堂の同じテーブルに着いた悟の問いに答えると、豚汁の器を持つ。


 

「間隔が空くことは有利でもあり、不利でもある。だから、一回戦の翌週から大学生を迎えた練習試合が組まれた。でも、結局は練習試合。本番とはまた違う。練習試合ではいいプレーができた。そのプレーをしっかりと発揮できるように本番に臨むよ」



 颯太はそう続け、豚汁を啜る。



 次の試合まで間隔が空くことには、しっかりと体力を回復した状態で本番に臨むことができるというメリットがある。しかし反対に、実戦から離れる期間が長くなるというデメリットが伴う。長く実戦から離れると、感覚を取り戻すことに時間がかかる。



 颯太は豚汁の器と箸をゆっくりトレーへと置く。



「向こうは一回戦の翌週に二回戦を迎える。勢いがある。俺達はそのチームと二回戦を戦う。きっと、厳しい戦いになるよ」



 そう話す颯太の眼差しは真剣そのものだ。


 悟は颯太をじっと見つめ、腕を組む。同時に、千恵のやさしい声が二人の耳に届く。



「お疲れ様」



 悟はゆっくりと腕組みを解き、視線を千恵へと向ける。


 

「何話してたの?」



 千恵が問うと、悟が口を開く。



「土曜日にさ……」



 話を聞いた千恵は席に着くと、視線を颯太へ向ける。



「確かに、間隔が空くと不安になるよね。私、中学のバスケ部を引退してから高校一年の最初の公式戦まで試合を経験してなかったから、途中出場の直前は不安だった。体力もそうだけど、試合感覚も大事だよね」



 颯太は千恵のやさしい声に頷く。



「本番の雰囲気にのまれて、練習ではできたプレーができないこともある。そのためには、本番の雰囲気をできるだけ短い間隔で味わったほうがいい」


 

 千恵はそう続けるとグラスを傾け、喉を潤す。


 颯太は千恵を見つめ、彼女の言葉に共感するように再び頷くそして、右手に箸を、左手にご飯茶碗を持つ。


 白米を口へ運ぶと、颯太の視線は社員食堂の窓へ。颯太の気持ちを示すように、上空は薄い雲に覆われていた。


 颯太は白米が喉を通ると、唸るように息をつく。



「明後日、どっちが勝つかな……」



 颯太が呟いてからすぐ、台府駅方面へ向かう下りの新幹線が勢いよく通過した。


 


 

 五月十二日。


 

「ありがとうございました!」



 午前十一時過ぎに練習を終えた颯太はバッグを携え、隹海駅へと急ぐ。


 隹海駅へ到着すると定期券で改札機を通過し、ホームに立つ。それからまもなくして、岩浜駅に列車が到着し、ドアが開く。颯太は乗車すると吊革に掴まり、岩浜駅まで揺られる。



「どっちが勝ち上がるか……」



 窓に映る景色を眺め、颯太が無意識に呟くと同時に、列車はトンネル内へ差し掛かる。再び明るい景色が窓に映し出されると、二人の男性の会話が颯太の耳に届く。



台銀だいぎんと利堂クラブだっけ? どっちが勝つと思う?」


「台銀じゃない? 普通に考えたら」



 二人の会話を聞き、颯太は無意識に首を横へと振る。



「何が起こるか分からないのがスポーツですよ」



 颯太がそのように口を動かすと同時に、列車は減速を始めた。




「岩浜に到着です」



 岩浜駅のホームへ降り立った颯太は階段を使い、改札口へ歩を進める。定期券で改札機を通過すると、小走りで岩浜野球場へ歩を進める。



「今、十一時四十七分。試合は六回くらいまで進んでるかな」



 颯太が呟くと、目の前の信号機が青に切り替わる。颯太は横断歩道を渡り、そのまま直進する。



 午後十二時十一分。


 颯太は岩浜野球場に到着。入場口でチケットを購入し、球場内へ。薄暗い通路を通り、階段を上る。


 視線の先には明かりが。颯太はその明かりを目指し、階段を上る。


 

「試合は……」



 そう呟くと同時に、颯太は階段を上り終える。


 次の瞬間、颯太は唸るように息をつき、腕を組む。



「だろうね」



 颯太の目には六回まで「0」を刻んだスコアボードが映る。


 試合は颯太の予想通り、投手戦になっていた。

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