第十七話 「何が起こるかな……この試合……」

 颯太はバックネット裏のやや後方の座席へ着き、戦況を見つめる。マウンド上では、台府銀行の右腕、山下正樹やましたまさきがキャッチャーからボールを受ける。


 それからすぐ、正樹の後ろ姿が颯太の目に映る。彼は十八番のユニフォームを着用していた。



「あの人がエースなんだろうな。十八番を背負っているから。この試合の先発なのかな。それとも、途中からロングリリーフで……」



 颯太の言葉からすぐ、七回の表の開始を告げるアナウンスが流れ、利堂クラブの二番バッター、城田雄大しろたゆうだいが左バッターボックス内へ入る。


 

「初球は何で入るか」



 颯太はそう言葉を発すると、前傾姿勢をとる。


 マウンド上で正樹は、サインに一度だけ首を振る。二度目で頷くと静止し、モーションへ入る。


 正樹は左足を上げる。そして、スパイクの底がマウンドの土を踏むと、右手指先からボールを放つ。


 颯太の目には一瞬だけ、白球が映る。



「ストライク!」



 ボールがキャッチャーミットへ収まってすぐ、球審のコールが颯太の耳に届く。颯太は背筋を伸ばすと、視線を電光掲示板のスピード表示へと移す。



「インコースの百三十四キロ。左バッターが少しのけ反った。ということは、スライダー系の変化球かな」



 颯太は静かに息をつくと、視線を正樹へと向ける。



「一球目がスライダー系の変化球。二球目はストレートか、それとも……」



 颯太の視線の先では、ボールを受けた正樹が何かを確認するように、入念に足場をならしている。颯太は彼の動きを見て、この大会かける意気込みのようなものを感じ取った。


 企業クラブは毎年のように高校、大学で名を上げた選手が入社する。引退後、社業に専念する社員もいれば、退社する社員もいる。理由は怪我、衰え、競争などさまざまだ。


 

「一日でも長く……」



 颯太がポツリと言葉を漏らす。その言葉が届いたかのように、マウンドに立つ正樹は頷く。


 目には見えない何かを背負ってプレーしている。颯太の目には、マウンドに立つ正樹の姿がそのように映った。


 

 颯太が静かに息をつくと、正樹はモーションへ移る。颯太は正樹のピッチングフォームに目を凝らし、二球目の球種を予想する。



「外の真っすぐかな」



 颯太の言葉からすぐ、正樹の右手指先から放たれたボールがキャッチャーミットへ収まる。

 

 

「ボール」



 微かに耳に届く球審のコールと同時に、颯太は視線を電光掲示板のスピード表示へと移す。



「百四十九キロ。ストレートだな。外の低めへのボール。揺さぶりをかけたのかな」



 颯太はそう呟くと、自身の高校時代までのバッティングを思い出す。


 

「俺は左右の揺さぶりに弱い。それを見破られ、内に外にボールを散らされた。原因の一つは、一球前のボールの残像が頭の中に残っていたから……」



 颯太は苦い体験を思い出し、悔しげに唇を噛み締める。



 一回戦で弱点が克服されたかどうかは颯太自身には分からない。いや、まだ克服中の段階なのかもしれない。


 

「一回戦は一球前のボールの残像が頭の中に出てこなかった。あれは、なんでなんだろう……それに、打席中に……」



 颯太が一回戦での出来事を思い出しているうちに、正樹はサインに頷き、静止する。そして、左足が僅かに後方へと動く。


 颯太は再び、前傾姿勢をとる。


 それからすぐ、正樹は左足を上げる。そして、右腕を振り下ろす。



 カァン。



 木製バットが硬式球を叩く音とともに、颯太は視線を上空へと移す。


 白球はバックネット裏、後方へ。



「球威があるな、あのストレート」



 颯太は打球の行方を目で追いながらそう呟く。



 それからすぐ、白球がスタンドの座席を叩く。同時に、颯太は電光掲示板のスピード表示に目を凝らす。



「百五十二キロ」



 颯太が呟いてからすぐ、二人の男性の会話が彼の耳に届く。



「いいピッチャーだな。この試合の先発だろ? 台銀の十八番」


「うん。もうすぐ、九十球かな」


「それでまだあれだけの球威が残っているのか」


「相当、鍛えられてるな。あのピッチャー」



 颯太は後方から届く二人の会話を耳に入れながら正樹を見つめる。



「九十球か。でも、九十球近く投げてもあの球威が残っている。変化球を交えて、左右に散らされたらそう簡単には対応できないな」



 颯太はそのように呟くと、唸るように息をつく。


 

「こんなにいいピッチャーがいたなんて知らなかったな。どうなるんだ? この試合」


 

 颯太は正樹のピッチングに圧倒されたかのように、力のない声を漏らす。それからすぐ、球審の力のこもった声が彼の耳に届く。



「ストライク! バッター、アウト!」



 颯太は電光掲示板のスピード表示を眺める。



「百四十一キロ。フォークボールかな」



 颯太が呟くと、正樹のグラブにボールが収まる。それからまもなくして、利堂クラブの三番バッターの選手名がコールされる。


 

「三番、ライト、杉山すぎやま



 颯太は視線を電光掲示板に表示されている苗字へと移すと唸るように息をつき、腕を組む。


 

「何が起こるかな……この試合……」



 颯太が低い声を漏らすと同時に、利堂クラブの三番バッター、杉山隆すぎやまたかしは右バッターボックス内へ左足を踏み入れた。


 



 

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