第五話 微かな歓声

 午前十時三十五分。颯太は三塁側ベンチ内でスパイクの紐を結び直す。きれいな蝶々結びが完成すると、この試合の先攻、岩浜クラブのスターティングメンバーの発表が始まる。


 

「一番、ライト、藤井ふじい。ライト、藤井。背番号、十五」



 颯太はアナウンスを耳に入れながら、電光掲示板を眺める。



「二番、セカンド、豊田とよだ。セカンド、豊田。背番号、二十七」



 颯太は視線を一塁側ベンチに向ける。



「バントができて、長打力がある。ランナーがいる場面で回ってきたら、どう出るかな……」



 スターティングメンバーの発表は続き、九番。



「九番、ピッチャー、中山なかやま。ピッチャー、中山。背番号、十一」 



 アナウンスと同時に、颯太の視線はあの選手に向く。



「やっぱり、先発か……!」



 颯太は口元を緩める。



 中山翔吾なかやましょうご。岩浜クラブのエース右腕だ。


 翔吾は一塁側ベンチ内で紙コップを傾け、喉を潤す。飲み終えた紙コップをビニール袋へ入れると、三塁側ベンチを見つめる。


 遠目からだが、颯太は翔吾と目が合った。


 

「今日こそ、勝たせてもらいますよ……!」



 颯太は右手に握り拳を作り、闘志を燃やす。


 それからすぐ、翔吾は一塁側ベンチ前へ姿を現し、軽くランニング。一分後に再び一塁側ベンチ内へ戻る。


 

「中山さん……!」



 颯太の言葉からすぐ、隹海クラブのスターティングメンバーの発表が始まった。


 隹海クラブの一番バッター。


 その選手は。



「一番、セカンド、京極。セカンド、京極。背番号、二十三」



 アナウンスからすぐ、バックネット裏のスタンドから颯太の名前を叫ぶような声が響く。


 颯太の聞き覚えのある女性の声だった。



「もしかして……」



 颯太の視線はバックネット裏のスタンドに向く。



「知り合いが来てるのか?」

 


 颯太の隣に腰掛ける高山文也たかやまふみやが問う。



「あ、いや……知り合いの声が聞こえた気がして」


「知り合い? 友達か?」


「友達というか、同じ会社に勤める仲の良い女性社員です」


「仲の良い女性社員か……」



 史也が腕を組み、視線を電光掲示板へ向けると同時に、三番バッターがアナウンスされる。



「三番、ライト、高山。ライト、高山。背番号、七」



 颯太は電光掲示板を眺める史也の横顔を見つめる。


 颯太の視線に気付いた史也は電光掲示板を眺めたまま、颯太に言葉を掛ける。



「颯太達が出塁したら、俺達が次の塁へ進める。そして、ホームへかえす。頼んだぜ、隹海のリードオフマン」



 颯太は力強い史也の言葉にゆっくり頷いた。



 

 午前十時五十五分。



「行くぞ!」


「おお!」



 史也の一声に気合のこもった声で応えた隹海クラブのメンバーは整列に向かう。きれいに一列へ並び、岩浜クラブの選手と正対する。


 颯太の正面には翔吾が立つ。


 颯太と翔吾は睨み合うことなく視線を合わせる。無言で言葉を交わすと、主審の「礼!」の声が颯太の耳に届く。



「お願いします!」



 颯太は帽子を取ると深々と頭を下げ、セカンドのポジションに就く。その途中、背後から視線を感じ、振り向く。


 目に映ったのは颯太へ視線を向ける翔吾の姿が。


 翔吾の視線が意味するもの。それは颯太には分からない。だが、並々ならぬ気合を翔吾の眼差しから感じ取った。


 セカンドのポジションに就いた颯太は一塁側ベンチに腰掛ける翔吾へ視線を向ける。


 二人の視線が合う。それからすぐ、颯太は再び、こう言葉を発する。



「今日こそ、勝たせてもらいますよ……!」



 颯太の言葉に続くように、ボールがキャッチャーミットを叩く。


 颯太はマウンドに立つ、隹海クラブのエース右腕、林裕也はやしゆうやを見つめる。



「勝ちましょう……!」



 裕也はボールを受け、マウンド上をならす。それからまもなくして、西山取野球場内にアナウンスが流れる。



「一回の表、岩浜クラブの攻撃は。一番、ライト、藤井。ライト、藤井。背番号、十五」



 岩浜クラブの一番バッター、藤井太一ふじいたいちがゆっくりと左バッターボックスへ入り、足場を作る。


 颯太は僅かにファーストベース寄りにポジションをとる。



「引っ張る打球がほとんど。でも、センター方向へ打ち返されても……」



 颯太はその先の言葉を発することなく、腰を落とす。



 マウンド上の裕也は隹海クラブのキャッチャー、大野俊介おおのしゅんすけとサインを交わす。


 裕也は一度首を横へ振る。二度目で頷き、静止。そして、モーションへ移る。


 裕也の指先からボールが放たれる。


 右バッターボックス寄りの低めのボール。太一はそのボールを叩く。



 カァン。



 木製バットが白球を捉える。白球はライナーで裕也の左を通過した。

 

 颯太から見て右への打球だ。


 西山取野球場のスタンドへ足を運んだ観衆、誰もが「抜けた」と思った。


 しかし。



 パシ。



 ボールがグラブに収まる。同時に、スタンドから微かに歓声のようなものが起こる。


 セカンドベース付近への打球を難しい体勢で捕球した隹海クラブの選手は軽快な動きでファーストの健一へ送球する。


 ボールが健一が構えたファーストミットへ吸い込まれると同時に、一塁塁審のコールが。



「アウト!」



 それからすぐ、スタンドからは微かに歓声が起こる。


 健一は「ナイス!」というファーストミットを突き出す。


 その相手は。



「いいぞ、京極!」



 颯太だった。



 颯太は健一のジェスチャーと言葉に帽子のつばを右手の親指と人差し指でつまみ、軽く頭を下げ、こたえる。


 それからすぐ、ショートを守る西川健二郎にしかわけんじろうが颯太に言葉を掛ける。



「さすが!」



 颯太は照れ笑いを浮かべ、頭を下げる。



「まだまだですよ。もっと上手くなれるように頑張ります」



 颯太の言葉に健二郎は笑顔で頷く。



 「楽しみにしてるぜ」



 健二郎はそう言い残し、ショートの定位置へ戻る。



「頑張ります……!」



 微かな笑みを浮かべ、そう応えた颯太は小さく頷き、セカンドの定位置へ歩を進めていった。



 

 


 

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