第三話 一番バッター
四月二十七日の昼休み。
「明日、一回戦だっけ?」
社員食堂の空いている三人掛けの席へ着いた颯太にトレーを持った一人の男性社員が声を掛ける。
「うん」
トレーを持った男性社員は颯太の言葉に小さく頷き、笑みを浮かべる。
「一緒に食べようぜ、颯太。色々、話したいし」
「うん!」
颯太の目には「
「応援しているからな」
悟の言葉からすぐ、ネームプレートはテーブルの下へ隠れ、彼のやさしい表情が颯太の目に映る。
太田悟。所属部署は製造部野球グッズ課。千恵と同じく、颯太と同期入社であり、同い年の社員だ。入社当時は店舗運営部接客サービス課に配属され、颯太、千恵とともに二年間、店舗勤務に従事した。同い年ということもあり、三人はすぐに意気投合。
「俺の分まで思い切りプレーしてくれよ」
悟の言葉に、颯太は真剣な表情で頷く。
悟は小学校一年生から野球を始め、高校ではレギュラーに名を連ね、県大会ベストエイトまで勝ち進んだ実績を持つ。高校卒業後もプレーを続けることを望んていた悟だが、肘の怪我により、それを断念した。
「颯太の活躍が俺の活力になってるんだ。本当だぞ? 千恵ちゃんも同じく。都市対抗野球、勝ち進めよ?」
悟の言葉に少しの間の後、颯太はゆっくりと頷く。
それからすぐ、一人の女性社員の声が颯太と悟の耳に届く。
「一緒に食べよう! 颯太、悟」
笑顔の千恵の表情が颯太と悟の目に映る。
「おお! 食べよう、食べよう!」
悟は笑顔で千恵を席へと促す。
「ありがとう!」
お礼を伝えた千恵はトレーをテーブルへ置き、三人掛けの残り一つの椅子へ腰掛ける。それからすぐ、視線を颯太へ移す。
「明日だね、颯太」
颯太は千恵の言葉に小さく頷く。
「一回戦の相手は
悟は颯太へ問うと、手を合わせ、味噌汁の器を左手に持ち、啜る。
颯太は「うん」とこたえ、腕を組む。
隹海クラブの一回戦の相手、岩浜クラブは岩浜市に拠点を置くクラブだ。
「相性が良くなくてさ」
隹海クラブはこれまで、岩浜クラブに四勝九敗と負け越している。
「相手の研究はしてるんだろ?」
「うん。でも、見抜いた弱点を克服している可能性がある。そして、相手がこっちの弱点を更に掴んでいる可能性もある。一回戦から厳しい戦いになるよ」
颯太は悟の問いに答えると、腕組みを解く。
悟は味噌汁の器をトレーにゆっくりと置く。
「俺は左右の揺さぶりに弱い。それは、打席に立つ中で分かった俺の弱点。だからこそ、その弱点を克服するための練習もしてきた。克服できたかどうかは試合で打席に立たないと分からない。第一打席の結果次第でバッテリーの攻め方が変わってくる。それにより、試合の流れも。第一打席はじっくり、バッテリーの攻め方を見ていこうと思ってるんだ」
颯太はそう話すと、手を合わせ、箸を持つ。
悟と千恵は颯太をじっと見つめ、小さく頷く。
颯太は隹海クラブで一番バッターを務めている。高い出塁率と足の速さが求められる打順。
「持ち球を探るというのが一番の狙い。でも、じっくり攻め方を見ることで、フォアボールで出塁できる可能性もある。俺は一番バッター。まずは、出塁しないと」
それが、打者としての颯太の役割だ。
「任務を全うして、勝利に貢献。そして、二回戦へ」
そう続けた颯太は焼き魚の身をほぐす。
悟と千恵は再び小さく頷く。
それからすぐ。
「応援してるからね……!」
ご飯茶碗を置いた颯太の耳に微かに千恵のやさしい声が届く。
颯太は千恵を見つめ、やさしい笑みを浮かべる。
「ありがとう……!」
やさしい声でお礼を伝え、豚汁の器を左手に持った。
午後六時過ぎ、颯太は自宅のマンションへ。一人暮らしの寝室にはテレビ、タンス、野球用具が収納されたバッグなどが並ぶ。
颯太は鞄を寝室の机の上へ置くと、野球道具が収納されたバッグからグラブを取り出す。そして、椅子へ腰掛ける。
長年使い続け、すっかり左手に馴染んだオレンジカラーの内野用グラブを見つめ、颯太は翌日の試合へ気持ちを作る。
「応援してくれる人達がいる。その人達の気持ちも胸に、プレーする」
その言葉からすぐ、天井を見つめる。
「俺達と一緒に戦ってください……!」
それからすぐ、颯太の携帯電話に一通のメールが入る。メール画面を開いた颯太の表情には笑みが浮かぶ。
「ありがとう……! 頑張るよ……!」
颯太はメールの送り主に返信し、夕食作りのために、キッチンへ赴いた。
そして、翌日。
午前七時四十一分に試合会場の
「よし……頑張るぞ……!」
颯太は自身に気合を入れるように言葉を発し、隹海駅へ歩を進める。歩を進めるにつれ、緊張のようなものが颯太を襲うが、彼の頭の中で流れるある人物の言葉がそれを拭い去る。
マンションを出発してから十分ほどして、隹海駅へ到着した。券売機に小銭を投入し、画面をタッチすると、切符とお釣りの小銭が出てきた。
颯太は切符を財布とともに左手で、お釣りの小銭を右手で取る。小銭を財布へ入れ、切符を右手に持ち替えると、改札機へ歩を進める。
改札機へ投入した切符は駅名の左に小さな丸が作られた状態で颯太の右手に。切符を財布へ収納し、ホームに進む。
乗車口へ立つと同時に、颯太の携帯電話に一通のメールが入る。
送り主は颯太の頭の中で流れた声の主だった。
メール開封すると、颯太の表情には笑みが。そして、小さく頷き、囁くような声でこう言葉を発する。
「頑張ってくるよ……!」
それから数十秒後、颯太の言葉をメールの送り主へ届けるようなやさしい風を伴い、列車が到着した。
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