第19話 男バレ

 リビングに通されると、目の前には豪華な料理が並ぶテーブルが広がっていた。

大皿に盛られた色鮮やかなサンドイッチやカナッペ、こんがりと揚がったフライドチキン。さらにピロシキやボルシチといったロシア料理も彩りを添えている。ガラスのボウルには宝石のように輝くフルーツサラダが盛られ、テーブル中央には立派なデコレーションケーキが鎮座していた。まるでホテルのビュッフェ会場のような豪華さに、悠は圧倒されるばかりだった。


「ラザニアもうすぐ焼けるから、席に座って待っててね」

アリーナの母親が優しい声で告げながらキッチンへと戻ると、女子たちは各自好きな席に座り始めた。


(どこに座ろう…できれば端っこで静かに過ごしたいけど…)

悠が目立たない席を探してキョロキョロしていると、テーブル中央のアリーナが隣の椅子をポンポンと叩いた。


「悠はこの席ね!」


アリーナの母親とできるだけ関わらず、隅でひっそりと過ごすつもりだった計画は早くも崩壊した。主役の意向を無視するわけにもいかず、戸惑いながらアリーナの隣の席に座る。


アリーナ母が熱々のラザニアを運んできたところで、いよいよ誕生日パーティーが始まった。

 全員で定番のバースデーソングを歌い終えると、アリーナは頬を赤らめながら「ありがとう!」と笑顔で応え、フーッと一息でケーキのろうそくを吹き消した。拍手がわき起こり、リビングの空気は一層明るく華やかになった。


 それぞれ大皿から料理を取り分け始め、悠も控えめにローストビーフやサラダを皿に盛る。そして一口食べると、肉の柔らかさとジューシーな味わいに感動した。


「美味しい!」


 思わず声を上げると、アリーナが満足げに微笑んだ。


「そうでしょ、私のmama、料理上手なの。悠、もっとたくさん食べてね!」


 アリーナの促しに、悠は一瞬たじろぐ。


(あんまり食べると男だってバレるかもしれない…)


 慎重に食欲を抑えながら、少しずつ料理を味わっていく。それでも美味しい料理の数々に気分が高揚し、自然と笑顔がこぼれる。


 パーティーが進むにつれ、リビングには笑い声が絶えなくなった。美味しい料理を囲んで写真を撮り合ったり、友人たちがアリーナの子供時代の話で盛り上がったりと、和やかな時間が流れる。悠も周囲の輪に少しずつ馴染み、ぎこちなくも楽しそうに微笑んでいた。


 そんな中、アリーナ母が切り分けたケーキを運びながら、ふと悠に声をかけた。


「悠さんは、メイクしないの?」


 不意を突かれた悠は一瞬固まり、心臓が大きく跳ねた。アリーナ母の視線は悠の顔をじっと見つめている。


(や、やっぱり目立っちゃってるのか…? 他の女子たちはみんな華やかにメイクしてるし…)


 正面に座る由紀も控えめながらナチュラルメイクを施しているし、他の女子たちに至ってはリップやチークだけでなくネイルまで完璧だった。


(やばい…私だけノーメイクなんて、不自然だったのかも…!)


 どう答えればいいのかわからず焦る悠。その様子を見かねたアリーナが軽やかな声で助け舟を出した。


「悠はね、自然派なの。ほら、ノーメイクでも可愛いでしょ!」


 アリーナがさらりと言い切ると、アリーナ母も「まあ、確かにそうね」と納得した様子で微笑んだ。「紅茶を淹れてくるわね」と言い残し、キッチンへと戻っていく。


 ふぅ、と胸をなでおろす悠。隣を見ると、アリーナが小さくウィンクしながら「どう? 助けてやったわよ」とでも言いたげに得意げな表情を浮かべていた。


 食事もひと段落し、ケーキを楽しみながら話が盛り上がっていた頃、由紀が声を上げた。


「そういえば、そろそろプレゼントを渡しましょうか?」


「わあ、みんなプレゼント持ってきてくれたの? 楽しみ!」


 アリーナが目を輝かせて嬉しそうに言うと、女子たちは次々に用意してきたプレゼントを取り出し始めた。きれいにラッピングされた包みがテーブルの上に次々と並び、リビングの雰囲気がさらに華やぐ。


 その光景を見ながら、悠は少し居心地の悪さを覚えた。


(他の子たちはブランドのロゴがある豪華な包みばかり…私のは地味すぎるかも。)


 お小遣いの限られた中で選んだ、シンプルなデザインのバレッタ。アリーナに似合いそうだと思って選んだものの、他の女子たちがコスメ用品やブランドもののポーチを渡しているのを目にすると、不安が募った。


「悠も、準備してる?」


 アリーナが隣からにっこりと笑いかける。その笑顔に後押しされるように、悠は小さな包みを取り出した。


「誕生日おめでとう。これ、あんまり大したものじゃないけど…」


「ありがとう、悠!」


 アリーナは勢いよく包みを開け、中からバレッタを取り出した。蝶をモチーフにした繊細なデザインが光を受けて輝く。


「わあ、これ、すごくcuteね!悠が選んでくれたの?」

「うん…アリーナに似合いそうだなって思って。」


 他の女子たちが贈った華やかなプレゼントと比べて見劣りしないか不安だったが、アリーナは心から喜んでいるようだった。


「ありがとう、さっそくつけてみるね!」


 アリーナは髪を少し整えると、手早くバレッタをつけた。金髪に映えるその姿はとても可愛らしく、周りの女子たちからも「似合ってる!」と声が上がった。


 悠は思わずほっと胸をなでおろしながら、隣でにこにこするアリーナを見た。


(喜んでもらえたみたいでよかった…)


 アリーナはふと悠のほうを向き、小さく笑った。


「ねえ、どう?似合ってるでしょ?」

「うん、すごく似合ってるよ。」


 悠が答えると、アリーナは満足げに髪を揺らしながら微笑んだ。その姿を見て、悠の心にじんわりと温かいものが広がった。


 ケーキも食べ終わり、テーブルの上には紅茶やジュースが並べられていた。女子たちはドリンク片手に、アリーナを中心として楽しげな女子トークに花を咲かせている。メイクやファッションの話題に、自然と笑顔が広がる。


 悠もそれとなく会話に加わりながら、場の雰囲気に馴染もうと努力していたが、次第に尿意を感じてきた。さりげなく席を立とうとすると、アリーナが話を中断して声をかけてきた。


「Oh! 悠、どこ行くの?」

「ちょっと…お花摘みに。」

「あ、トイレはリビング出てrightよ!」

「ありがとう。」


 自然な笑顔を作ってアリーナに応じると、悠はそっとリビングを抜け出した。


 トイレに入り、ドアを閉めた瞬間、悠は深く息を吐き出した。

(今のところ、バレてないよな…)


 アリーナ母にノーメイクを指摘されたときは焦ったが、アリーナの機転のおかげで何とかその場を切り抜けることができた。だが、この気の抜けない状況に、心の疲れを感じずにはいられない。

(あと1~2時間…集中を切らさず、乗り切らないと。)


 自分にそう言い聞かせ、気合を入れ直してトイレを出た。


 ところが、廊下を歩き出した悠は、すぐに異変に気づいた。アリーナ母がトイレの近くに立っている。トイレを待っていたのかと思い、「失礼しました」と軽く頭を下げてリビングに戻ろうとすると、アリーナ母の声が悠を呼び止めた。


「悠さん、ちょっといいかしら?」


 振り返ると、アリーナ母が柔らかな微笑みを浮かべて近づいてくる。その表情に特に警戒心を抱く理由はないものの、何となく胸騒ぎを覚えた。


「はい、何でしょうか…?」


 その瞬間、アリーナ母は素早く悠の背後に回り、そっと腕を回して抱きしめるような形をとった。


「えっ…!?」

 驚いて体を固める悠。だが、次の瞬間、アリーナ母の言葉が耳を打った。


「やっぱり…胸がないわね。悠さん、あなた…男でしょ?」


 その一言に、悠の頭の中が真っ白になった。全身から血の気が引き、心臓が大きな音を立てているのを感じる。


(終わった…!もう言い逃れなんてできない…)


 体を触られた瞬間、悠は覚悟を決めた。人生終了だと悟りながら、目の前が暗くなる感覚を必死にこらえる。


「ごめんなさい!本当は…」


 そう言いかけたその瞬間、アリーナ母がふっと微笑みを浮かべた。


「大丈夫よ、悠さん。」


「えっ…?」


 思わぬ言葉に、悠は困惑する。


「私、わかるのよ。体は男の子だけど、心は女の子、ってことでしょ?最近はそういう方も多いものね。」


 アリーナ母は自信満々に断言した。どうやら悠のことをトランスジェンダーだと勘違いしているようだった。


(えっ…まさか…?)


 悠は戸惑いつつも、目の前の状況を理解し、大ごとにはならなさそうだと察した。この場を乗り切るためには話を合わせるしかない。


「は、はい…。そうなんです。でも、あまり知られると誤解されることもあるので、内密にお願いできますか?」


 悠は両手を合わせて頭を下げた。緊張で汗ばむ手を何とか押し隠しながらお願いすると、アリーナ母は満足げに頷いた。


「もちろんよ!そんなこと気にしないでね。私、そういうことには理解があるの。大丈夫、大丈夫。」


 さらにアリーナ母は少し目を細め、優しげに言葉を続ける。


「アリーナもね、悠さんが同じクラスになってから毎日楽しそうに学校に行くようになったのよ。本当にありがとうね。」


 そう言って、アリーナ母は悠の手をしっかり握った。その温かさに、悠は何とも言えない安堵を感じた。

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