第18話 バースデーパーティー
窓の外では、朝から降り続く雨が灰色の世界を作り出している。梅雨らしい湿気が窓ガラスを曇らせ、重たげな空模様が広がっていた。それでも教室の中は、雨の音を忘れさせるほどにぎやかだ。お昼休みの時間になれば、どんな天気でも生徒たちのエネルギーは変わらない。
お弁当を食べ終えた生徒たちや、学食でのランチを終えて戻ってきた生徒たちが、それぞれ仲良しグループに分かれてお喋りを始める。
推しているアイドルや人気のコスメといった女子高生らしい話題が飛び交い、それに混ざって「夏休みはどこのリゾートに行くか」や「インスタ映えするカフェ」といったお嬢様らしいトークも混じる。
賑やかな声が教室を満たし、雨の鬱々とした気分は遠くに押しやられる。
悠は初めのうち、この独特な会話のノリに戸惑い、どのタイミングで何を言えばいいのか悩んでいた。しかし今ではその乗り切り方をすっかり覚えた。
誰かが話すたび、「いいよね」「私も好き!」といった共感の一言や、「わ~すごい」「いいな」と少し大げさに称賛するだけで、自然と会話が続いていく。
自分がその話題に詳しくなくても、ちゃんと場を楽しんでる風に見せられるんだ。悠は心の中で少し得意げに思う。女子高の独特な社交術を身につけたことに、小さな達成感を感じながら、悠は周囲の笑顔に合わせて微笑んだ。
悠の周りでは、アリーナと女子二人が熱心に話している。アリーナの手振りや表情が、話の楽しさをより一層引き立てていた。
「それでね、そのお店、本場仕込みのザッハトルテがメッチャ美味しいの!濃厚なチョコレートに砂糖なしの生クリームが絶妙なハーモニーを奏でるのよ!」
アリーナが瞳を輝かせながら語る。
「え~、何それ、めっちゃ美味しそう!」一人が興奮気味に声を上げると、もう一人も「行きたい!場所教えて!」と続く。
話が盛り上がる中、アリーナがふと思い出したように声を上げた。
「あっ!Cakeと言えば、もうすぐ私の誕生日なの!それで、来週パーティーするの、みんな来てよ!」
「えっ、いいの?行きたい!」
「もちろんよ、Welcomeね。悠も来てくれるよね?」と、アリーナがニッコリ微笑む。
突然話を振られた悠は、一瞬戸惑いながらも返す。
「えっ、私も?誕生日パーティーって、アリーナの家で?」
「Off course!私のMamaとっても料理上手ね。それにね、Mama、悠に会いたがってた!」
「えっ、ママに……?」悠の顔が引きつる。
アリーナの家の母親──それは、悠の正体が男子であることが絶対にバレてはいけない相手だ。
愛娘のクラスに男が紛れ込んでいると知られたら、どうなるかは想像したくもない。悠の心臓はじわりと跳ね上がり、不安が頭をもたげた。
悠は断ろうと必死に抵抗したが、アリーナの押しの強さには勝てず、結局首を縦に振るしかなかった。
◇ ◇ ◇
不安を抱えたまま迎えた誕生日パーティー当日。駅前に着くと、すでに由紀たちが待っていた。
「お待たせ」
「私たちも今着いたところですわ。お気になさらず。それにしても…悠さん、制服なのですね?」
由紀は水色のストライプワンピースを身にまとい、清楚で上品な雰囲気を漂わせている。その肩には白いカーディガンが掛けられ、柔らかな印象を引き立てていた。他の女子たちもそれぞれオシャレな私服で華やかだ。
一方悠はミニスカートだと脚の太さなどで男とバレそうなのが不安なのと、どんなコーデが正解なのか分からなかったので制服できていた。
「まあ、制服も素敵ですわ。悠さんらしいですわね」
周囲の華やかさに少し圧倒される悠を、由紀は優しく励ましてくれた。
4人ずつタクシーに分かれて乗り込み、10分ほど走るとアリーナの家の前に到着した。
白い洋館風の佇まいは、まるで映画のワンシーンのようで、クラシックな装飾が施された門や手入れの行き届いた庭が広がっている。悠は思わず息を飲んだ。
由紀がチャイムを押すと、ほどなくして玄関のドアが開いた。そこには笑顔のアリーナが立っており、その後ろからはエプロン姿の母親が穏やかな笑みを浮かべて現れた。金髪に青い目を持つ彼女の美しさは、まるで絵画から抜け出してきたようだった。
「ようこそ。今日は楽しんでいってね」とアリーナが歓迎する。
続けて由紀が一歩前に出て、深々と礼をした。
「クラスメイトの桐原由紀と申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます。それから、こちら、ささやかですがお持ちしました」
そう言って由紀が手土産を差し出す。母親は微笑みながら「まあ、わざわざありがとう」と受け取った。
由紀の優雅な振る舞いに悠は見惚れたが、その瞬間、自分が手土産を全く用意していなかったことに気づく。背中に冷や汗が流れる。
(どうしよう…他のみんなも手土産を持ってるのに!)
周囲の紙袋を目にしながら悠は内心パニックに陥ったが、そんな悠を察した由紀がさらりと救いの一言を添える。
「こちら、悠さんと一緒に選んだものですのよ」
由紀が微笑みながらそう言うと、悠の動揺は悟られることなく、母親は嬉しそうに受け取った。
「まあ、二人で選んでくれたなんて素敵ね。ありがとう」
悠は胸をなでおろしながらも、由紀の気配りに密かに感謝した。
みんなが純に挨拶しているのに続いて、悠も母親に挨拶をした。
「せ、瀬川悠です。アリーナさんとは仲良くさせてもらっています」
悠もぎこちなく挨拶をすると、その少し低めの声に母親が一瞬きょとんとした表情を見せた。しかし、その刹那の違和感をアリーナが機敏にフォローする。
「悠はハスキーボイスなの。すっごく素敵でしょ?」
自信たっぷりに笑顔を見せた。母親は娘の説明に納得いったのか、目を輝かせると悠にギュッと抱きついた。
「会いたかったわよ、悠さん!アリーナも毎日毎日、家で悠のこと話してるね」
その瞬間、アリーナの母親の柔らかい感触が悠に直接伝わり、思わず背筋が硬直する。
悠は「うわっ!」と声を上げそうになるのを、必死に飲み込んだ。
頬にじわりと熱が広がるのを感じながら、冷や汗は止まらない。どう反応すればいいのか分からず、ただ困惑しつつもぎこちなく笑顔を作る。
「え、えっと、ありがとうございます…」
アリーナの母親はそんな悠の動揺には気づかないまま、「これからもアリーナのことをよろしくね」と微笑んで言った。その言葉の裏に、何か鋭い母親の勘が働いていないことを祈りながら、悠は曖昧に頷くしかなかった。
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