第15話 中間テスト
英語の授業が始まると、採点の終わったテスト用紙が返却された。
出席番号順に名前を呼ばれた生徒たちは、黒川のもとへ歩き、成績を受け取りながら軽いアドバイスをもらっていた。
「いい努力が見えるわね。次はもっと点を取れるわよ」
「スペルミスが多かったわ。丁寧に書くことを心がけてね」
そんなやりとりを耳にしながら、悠の順番が近づいてきた。
心臓がドクン、ドクンと大きく脈打つ。自分ができなかった問題を思い返すたびに、不安が増していく。
「瀬川さん」
黒川の声に呼ばれ、悠はおそるおそる席を立ち、教壇へと歩みを進めた。
黒川はいつものように柔らかな微笑みを浮かべながら、悠にテスト用紙を差し出した。
「瀬川さん、もう少し頑張りましょうね」
テスト用紙を受け取ると、目に飛び込んできたのは大きく赤で書かれた「28」の数字だった。
予想はしていた。テストを受けたときから、自分が点数を取れていないことはわかっていた。それでも、こうして現実を突きつけられると胸の奥がズンと重たくなる。
テスト用紙をクラスメイトに見られないように、胸に抱きかかえながら自分の席に戻った。
お昼休み、クラスメイトは楽しそうにお弁当を食べているが、悠は浮かない表情を浮かべていた。
「瀬川さん、どうしたの?私が作ったお弁当美味しくなかった?」
悠のためにお弁当を作ってきてくれた村田絵里奈が心配そう尋ねた。
「いや、美味しいよ。このミートボールも美味しいし、きんぴらも美味しいよ」
「そう、良かった」
絵里奈はホッとした笑顔を見せる。絵里奈が作ってくれたお弁当は、味はもちろん彩もよく理想的なお弁当だった。
「テストの点数がさ……あまりに悪くて。こんな美味しいお弁当を食べてるのに申し訳ないよ」
悠は無理やり笑顔を作りながら、「美味しい」を連発しながらお弁当を食べすすめたが、心は落ち込んだままだった。
英語だけではなく他の教科も赤点ばかりで、数学に至っては15点と壊滅的な点数だった。
前の学校では成績は普通レベルだったが、この聖心女学院では最底辺レベルのようだ。聖心女学院の学力の高さは入学前に聞いていたが、ここまで差があるとは思っていなかった。
絵里奈はお弁当の中からミニトマトを箸で持ち上げながら、励ますように笑みを浮かべた。
「まだ転校したばかりだから慣れてないだけよ。期末テスト、一緒に勉強しようよ」
「えっ、いいの?」
悠は思わず顔を上げて聞き返した。一人で勉強しているだけは分からないことばかりなので、絵里奈の申し出はありがたかった。
「もちろん! 瀬川さん一人暮らしなんでしょ?だったら泊まりに行って、夜通しエンドレスで勉強しようよ。私がご飯も作ってあげるし、寝る時間もちゃんと管理するから安心して!」
満面の笑顔でまくし立てる絵里奈の勢いに、悠は少し気圧されつつも、慌てて手を振った。
「さすがに泊まりはまずいよ」
勉強を教えてもらえるのはありがたいが、愛くるしい笑顔を振りまき、無防備に接してくる絵里奈と一晩一緒に過ごすなんて、冷静でいられる自信はない。
「え~、私は気にしないよ!」
「そっちが気にしなくても、こっちが気にするよ……」
心の中でツッコミを入れながらも、断り切れずに困り果てている悠を助けてくれたのは、クラスのリーダー的存在である由紀だった。
「村田さん、抜け駆けはダメですよ」
由紀が穏やかに微笑みながら軽く指摘すると、絵里奈はハッとした表情を浮かべた。
「そ、そうね。ごめんね、ちょっと舞い上がっちゃった」
ようやく絵里奈が諦めてくれて、悠はほっと胸をなで下ろした。しかし、その安堵は長く続かなかった。
「それでは、私の家で勉強合宿をするというのはどうでしょう?」
由紀が提案した内容に、悠は思わず固まる。
「私の家には離れのゲストハウスがありますの。そこなら10人ぐらい泊まれますから、他のクラスメイトも誘って、みんなで悠さんの勉強を手伝いましょう!」
「わ~、それいいね!なんだか楽しそう!」
絵里奈は目を輝かせながら拍手し、すっかり乗り気だ。
一方で悠の心は激しく揺れ動いていた。
(本当にみんなと一緒に泊まるの?しかも、10人で?そんなに大人数で勉強なんて集中できるのか?いや、それ以前に、女子の中に男一人で泊まるなんて……!)
すでに先行きが不安で仕方がなかった。
◇ ◇ ◇
帰りのホームルームが終わったあと、悠は帰り支度をしているところを黒川に呼び止められていた。
「瀬川さん、今日の7時半に私の部屋に来なさい。テストの復習をするわよ」
淡々とした口調ながら、その言葉には逆らいがたい威圧感があった。
指定された時間に黒川の部屋に到着した悠は、促されるままリビングのテーブルに座った。黒川の指示でテスト用紙を並べると、そこには低い点数の数字がずらりと並んでいる。
黒川はテスト用紙をじっと見つめ、一つ一つの数字に目を通すと、ため息をつきながら悠を見た。
「世界史や化学はまあまあだけど、英語28点、国語35点、数学は……15点。主要教科が壊滅的ね。これ、本気で解いたの?」
刺すような言葉に悠は肩をすくめて小さくうなずいた。
落ち込む悠を気にすることなく黒川は言葉をつづけた。
「ふぅん、本気でこれって……。うちの学校は赤点3つで留年よ。もう一度2年生をやり直す?それとも今から1年生に編入する?……あっ、いっそのこと中等部からやり直してみる?」
黒川の淡々とした声と冷たい笑みが、悠の胸に突き刺さる。
(そんなことになったら……この女装生活が終わらなくなる!)
悠は慌てて首を横に振り、必死に反論しようとするが、うまく言葉が出てこない。
「そうだね、留年したくないなら、しっかり勉強しましょ。それじゃ、まずは数学からね」
黒川はテキストを手に取ると、悠の横の椅子に腰を下ろした。
黒川は担当の英語以外も教え方は上手く、テストの解き直しもスイスイと進んでいった。テストの解き直しが終わると、テストと似た問題が並ぶ演習プリントを渡され黒川の指導の下、解いていった。
「数学は条件を整理して数式にするのが基本よ」
「古文では、敬語や文脈を頼りに主語を推測することが重要よ。例えば、この『給ふ』の相手は誰か考えてみて」
「文法は例文で覚えれば応用が効くの。これ、他の問題にも使えるわよ」
黒川の指導で少しずつ問題が解けるようになり、悠は演習プリントに集中していたが、不意にチャイムが鳴った。
「鈴木先生!?」
振り返った悠の目に飛び込んできたのは、居心地悪そうに立つ数学担当の鈴木先生だった。ピンクのリボン付きブラウスに白のスカートと、今日もフェミニンな装いだ。
「ああ、瀬川さんもここにいたのか…」
鈴木先生は黒川に促されるでもなく、テーブルの前でスカートの皺を整えながら正座をした。その様子に悠は驚きつつも視線を戻せずにいた。
「瀬川さん、これ解いておきなさい」
黒川は新しい演習プリントを悠に渡すと、鈴木先生の前に立った。
「鈴木先生、あなたのクラスのテスト結果、他のクラスよりも平均点が低いのよ」
「申し訳ありません…」
黒川は鈴木先生の授業映像をテレビに映し出し、冷静な口調で叱責を続けた。
「解き方だけ教えて満足しているんじゃない?『なぜ』その方法を使うのか、根本的な部分を説明していないわ。これでは生徒が応用できるはずがないでしょ」
鈴木先生は肩を小さく震わせ、泣き出しそうな表情で「すみません」を繰り返すだけだった。
悠は目の前の課題を解きながらも、胸に罪悪感が広がっていった。自分の成績の悪さが鈴木先生を苦しめている――そう思うと、集中するのが難しくなり、手が止まってしまった。
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