第13話 ババ抜き

 ダイニングテーブルの中央には、見事な3段重ねのケーキスタンドが鎮座していた。白磁の花柄が描かれたスタンドは、優美な曲線を描くゴールドのフレームで支えられている。

 その上には宝石のように美しいスイーツが並んでいた。上段にはカラフルなマカロンとクリームを絞ったタルト、中段にはしっとりとしたマフィンとフルーツタルトが彩りを添え、最下段には上品にカットされたサンドイッチがきっちりと並んでいる。

 すべてがまるで雑誌の1ページから飛び出したかのような完璧な配置だった。


 ティーポットから注がれる琥珀色の液体が、高級そうなティーカップを満たし、そのカップを手にした黒川は優雅に微笑みながら由紀に声をかける。


「今日の紅茶はファーストフラッシュのダージリンよ。爽やかな花のような香りと、繊細な渋みが特徴だけど、いかがかしら?」


 由紀はティーカップを軽く揺らしながら、ゆっくりと口元へ運んだ。その仕草一つ一つがまるで貴族のように上品だ。


「確かに、このファーストフラッシュはアールグレイと違って、ベルガモットの香りがない分、茶葉そのもののフレッシュな香りが楽しめますわね。渋みの中にも軽やかな甘みがあって、心地よいです」


「ええ、二煎目はもっとコクが出てくるから、ぜひ比べてみてちょうだい」と黒川が応じる。その会話は専門的で、悠には全く分からなかった。


 悠はカップを手に取り、割らないように恐る恐る口に運ぶ。一口飲んでみると、確かに香りはいいのだが、味わいの複雑さどころか、「渋い」という印象しか残らなかった。


 目の前に座る沙希とアリーナが、美術館の特別展について楽しげに語り合っている。


「今度の印象派展、絶対行くわよね?」

「モネにルノワール、それにドガも一度に見られるなんてWonderfulね」


 この華やかな会話は、悠にとって縁遠い世界のものだった。

 印象派という言葉くらいは聞いたことがあるが、それ以上のことは何もわからない。美術の知識など持ち合わせていない悠はひとり黙々とマカロンを食べる。

 悠がマフィンに手を伸ばした時、沙希が黒川に尋ねた。


「先生、校則の男女交際禁止って、具体的にどこからがアウトなんですか?」


「そうですわ。『交際』の線引きが気になりますわよね」


 と由紀も話を合わせた。


 黒川は優雅にティーカップを置きながら、ふと悠に目を向けた。その視線には、何かを見透かしたような含みがある。


「お互いの心が通い合って初めて交際と言えるんじゃないかしら。外から見ただけではわからないけどね」


 言われなくても、悠にはこの学校の生徒たちと付き合う未来が想像できなかった。


 3週間の生活を経て、彼女たちとの間にある埋めがたい格差を痛感していた。美術、音楽、紅茶の知識……すべてが別次元だ。このお嬢様たちと付き合っても、自分が幸せになれる未来などないと確信している。


 とはいえ、連日のように繰り出される誘惑には心が揺らぐ。柔らかい微笑み、さりげない接近、時には過剰とも言えるスキンシップ――それを拒みきるのは簡単なことではない。一瞬でも気を許せば、全てが崩れそうな危うさを感じていた。


「それだと、一方的な愛は交際ではない、ということですか?」


 と由紀が慎重に尋ねる。


 その問いに黒川はふっと微笑む。そして、悠を一瞥しながら、含みのある口調で答えた。


「そうね。一方的な気持ちは交際にはならないわ」


 黒川の言葉が落ちると同時に、沙希、アリーナ、由紀の3人が悠に視線を向けた。

 微笑み自体は上品で穏やかだが、その奥には鋭い狩猟者の目が潜んでいる。「交際ではない」という言葉を免罪符にして、何をしても許される――そんな確信が彼女たちの中に芽生えたのは明らかだった。


それぞれが紅茶を飲み終えると、沙希がカバンからトランプを取り出し、明るい声で提案した。


「せっかくだし、みんなでトランプしない?」


 別世界の会話についていけなかった悠にとっては、まさに渡りに船だった。トランプなら自分にもできる。「やろう!」と力強く賛成すると、由紀もアリーナも「いいですね」「楽しそう」と微笑みながら賛同した。


「このテーブルだとちょっとやりにくそうね」


 と由紀が言い、視線をソファの横に敷かれたふかふかのラグに向ける。


「あちらなら、みんなで囲めるしやりやすそうですわ」


 確かにダイニングテーブルでは距離があって、カードを扱うには不便だ。沙希も頷きながら、トランプを軽くシャッフルし始めた。


「それじゃあ、移動しよっか!」


 沙希の明るい声に促されて、4人はティーカップを片付けながらゆっくりとラグの方へ移動する。

 低いテーブルの横にはクッションがいくつも置かれ、居心地の良い空間が整っていた。

沙希がトランプを手に持ちながら、楽しげに問いかけた。


「それで、何して遊ぼっか?」


「まずは簡単なところで、ババ抜きなんていかがでしょう?」


 由紀が優雅な仕草で提案した。その知的な雰囲気からして、7並べやポーカーのような頭を使うゲームを持ち出すと思っていた悠は少し驚いた。ババ抜きのような単純な運ゲーを提案するとは意外だったが、むしろその方がありがたい。これなら自分でも勝てる可能性がある。


「いいね」と悠が頷くと、由紀は微笑みながらさらりと続けた。


「ただ、そのままだと少し味気ないですから……どうでしょう?負けた人が服を一枚脱ぐというルールにしてみるのは?」


 悠は思わず目を見開いた。まさかの脱衣ゲームの提案に、心臓がドキドキと早鐘を打つ。もちろん反対の声が上がるだろうと思ったが、沙希とアリーナの反応はまさかの好意的なものだった。


「楽しそう!」

「Nice idea! それは fantasticね!」


 二人が目を輝かせて賛成するのを見て、悠は慌てて黒川に助けを求めるように視線を送った。だが、黒川は赤い液体が注がれたワイングラスを手にしながら、まるで面白いショーを観ている観客のように、楽しげな笑みを浮かべてこちらを見つめている。


(ちょ、ちょっと待って……これ、冗談だよな?本当に負けたら脱ぐのか?)


 悠の心臓は今にも飛び出しそうだった。自分だけが冷や汗をかいていることに気づき、どうにか落ち着こうとするが、女子たちのキラキラした瞳と期待に満ちた表情にますます追い詰められていった。

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