第12話 アフタヌーンティー
冷凍パスタで昼ご飯を済ませた悠は、山積みの宿題の中から英語の課題に取り掛かることにした。机に広げた参考書と辞書、そしてノートを前にして、英作文の問題とにらめっこする。
「Write about your favorite memory, huh...」
英語の文法や単語の選び方が頭の中で絡まり、何をどう書けばいいのか分からない。参考書の例文を片っ端から探してはノートに書き写し、辞書を引いては意味を確認するが、文章は一向に進まない。
「う~ん、これでいいのかな…」
一文を書き上げるだけで疲れ果て、鉛筆を机に放り投げた。英語の授業でさらりと答えられるクラスメイトの姿を思い浮かべると、羨ましさと同時に自分の不甲斐なさが胸に刺さる。
そんな時、机の上に置いてあったスマホが振動し、画面が光った。メッセージの送信者は黒川だった。
「午後2時に私の部屋に来ること」
淡々とした命令口調の一文に、悠はため息をついた。黒川らしい強引な誘いというよりも、もはや指令に近い内容に辟易する。
「自分の予定くらい聞けよ…」とぼやきながら、机に肘をついて画面を見つめる。しかし、ふと頭をよぎるのは英語の宿題のこと。
もし行けば、黒川なら教えてくれるかもしれない。あの冷酷な黒川だが、一応は教師。生徒が質問すれば教えてくれる可能性もゼロではない。
「まあ…宿題のためってことで…」
辟易とした気持ちを抱えながらも、一縷の期待を胸に悠はスマホを置いた。
◇ ◇ ◇
1時50分になると、勉強道具を抱えて悠は部屋を出た。
ミニスカートで外に出ると、外気が素足に触れ、その無防備さが一層際立つように感じられ、不安が胸を締めつけた。
風でめくれないようにスカートの裾を押さえながら、エレベーターのボタンを押す。
エレベーターが5階に着き、扉が開くと、そこにはたった一つのドアだけが静かに佇んでいた。ワンフロアに黒川一人の部屋しかないという贅沢な空間に、悠は思わずため息をつく。
「瀬川です」
チャイムを押して声をかけると、すぐに「入ってきて」という冷静な返事とともに、ガチャリと鍵が解錠される音がした。
ドアを開けて「お邪魔します」と控えめに挨拶しながら足を踏み入れると、目の前には広々としたリビングが広がっていた。
天井は高く、窓からたっぷりと陽光が差し込み、豪華なシャンデリアが輝いている。深い色合いの革張りのソファと大理石のローテーブル、壁にはアンティーク調の時計や絵画が飾られていて、まるで高級ホテルのロビーのようだった。
「瀬川さん、よく来てくれたわね。飲み物はコーヒーでいい?今日はちょっと暑いからアイスがいいわよね。そこに座って」
いつになく上機嫌な黒川の様子に、悠は不安を感じつつも言われた通り、10人は座れそうな大きなダイニングテーブルに腰を下ろした。
黒川が手際よく用意したアイスコーヒーを運んできたのを受け取ると、悠はそっと口をつけた。
「今日は、何の用ですか?」
恐る恐る尋ねると、黒川は軽く微笑んで答えた。
「宿題に苦戦しているようだったから、呼んだの。どの問題が分からないの?」
思わぬ返答に、悠は初めて監視カメラの存在をありがたいと感じた。
悩んでいた英作文の課題を早速相談すると、黒川は教師のような落ち着いた態度で優しく指導を始めた。
アイスコーヒーの氷がほとんど溶け、水面に浮かぶ薄い氷片が揺れはじめた。
「いい?英作文はね、無理に難しい単語を使おうとしなくていいのよ。たとえば、『私は本を読むのが好きです』って言いたいなら、 I like to read books. で十分。それを、少し工夫して『どんな本が好きか』を付け加えればもっと良くなるわ。たとえば、I like to read books about history. みたいにね」
具体的な例を示す黒川のアドバイスに、悠は思わず頷いた。表向きは親切な先生を演じる彼女の言葉に助けられた気がしていたが、その笑みの裏に何か隠されている気配に気づくことはなかった。
――ピーンポーン
突然チャイムが鳴り、黒川は手早くインターホンのボタンを押した。モニターは悠の位置からは見えないが、「こんにちは」という明るい声が聞こえると、黒川は「入ってきて」と返事をした。
「来客のようでしたら、私はこれで失礼しますね」
悠が教科書やノートを片づけ始めると、黒川が手でそれを制した。
「帰らなくていいわよ。瀬川さんの知っている人だし」
「えっ?誰ですか?」
「それはもうじきわかるわよ」
黒川の含み笑いに、悠は嫌な予感がしたものの、その場を離れることもできずにいた。
――ピーンポーン
二度目のチャイムが鳴る黒川は再びインターホンを操作し、玄関の鍵を開けた。このインターホンで玄関のかぎも開錠できるようだった。
「お邪魔します」
リビングのドア越しに、聞き覚えのある声が複数重なって聞こえてきた。まさかと思った瞬間、ドアが開き、沙希、アリーナ、そして由紀が次々と姿を現した。
「わ~広い!」
「家具もすごくstylishね」
「先生、お休みのところご招待いただきありがとうございます」
それぞれの声が耳に飛び込んできた瞬間、悠は内心の混乱を隠せなかった。そして、彼女たちの私服姿が目に飛び込んできた瞬間、さらに戸惑いは増した。
沙希は膝上20センチはあろうかという大胆なミニスカートを履いており、悠のスカートよりもさらに短いそれは、一歩動くたびに危うさを感じさせた。
アリーナはニットとジャンパースカートの組み合わせで、その胸元を引き立たせるデザインが視線を強く引きつける。
由紀は一見落ち着いた紺色のワンピース姿だが、素材の透け感が絶妙で、動きに合わせてほんのりと肌が覗くたびに艶めかしさが漂っていた。
3人の私服はそれぞれ異なる魅力を放ち、どこか官能的ですらあった。
目のやり場を必死に探すものの、どこを見ても地雷原。
視線を下げれば沙希の短すぎるスカート、正面を見ればアリーナの胸元、そして上を見れば由紀のほんのり透ける肩が視界に入る。
目のやり場に困り視線をあちらこちらにさまよわせている悠に、黒川が3人を呼んだ理由を話した。
「せっかくの連休だし、アフタヌーンティーに招待したの。瀬川さんも一緒に午後の紅茶をたのしみましょ」
言うが早いか、黒川はキッチンへと向かい、準備を始めた。その隙に、沙希たちは満面の笑みで悠を取り囲む。
「わ~、悠ちゃんの私服初めてみた」
「とってもcuteね!ミニスカート似合ってるじゃない」
「悠さんはそのような服が好みなんですね。乙女チックでよろしいと思いますよ」
転入から3週間、いつの間にかクラスメイトからは下の名前で呼ばれるようになっていた。親しみを込めた彼女たちの言葉は、悠の耳にはなぜか誘惑しているように聞こえる。
人の視線が一斉に自分に注がれる中、悠はただただ困惑し、頭の中で冷静さを保とうと必死だった。
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