第11話 ゴールデンウィーク
4月28日の朝。カーテン越しに明るい太陽の光が部屋に差し込んでいる。
スマホのアラームを切った悠は、布団にくるまりながら惰眠をむさぼっていた。
土曜日の今日、祝日の明日、そして振り替え休日の月曜日と、待ちに待った3連休。ゴールデンウィーク前半の初日ぐらい、のんびりと過ごしてもいいだろう。
昨日の帰り道に寄ったスーパーで、3日分の食料を買い込んだおかげで、外に出る必要もない。
「宿題は……明日から頑張ればいいか」
そんなことを自分に言い聞かせつつ、悠は布団の中でだらだらと過ごす至福の時間に浸っていた。
ふと、目を閉じたままこの3週間を振り返る。
聖心女学院での生活――。そこは男子校時代とはまるで違う、別世界のようだった。
話題といえばアニメやゲームの話で盛り上がっていた男子校の頃に比べ、こちらでは服飾や流行のコスメ、海外旅行の話など、違う世界の内容が飛び交い、悠は全くついていけない。
それだけでなく、会話にはどこか上品な響きがあり、悠にはまだそのリズムに完全には馴染めない。
それに加え、クラスメイトたちの誘惑が悠をさらに苦しめる。男女交際禁止という校則があるにもかかわらず、学校でただ一人の男子である悠に対して、彼女たちはあの手この手で距離を詰めてくるのだ。
沙紀の天真爛漫な笑顔――その無邪気さに、不意打ちのように心が揺れる。
アリーナの大胆なボディタッチ――その近さと香りが、理性を削り取っていく。
そして由紀の上品で艶やかな仕草――その一挙手一投足が、悠の防壁を音もなく崩していくようだった。
だが、それはほんの序章に過ぎない。他のクラスメイトたちも隙あらば悠に絡んでくる。些細な会話で甘い声を耳元にささやく者もいれば、偶然を装って身体が触れるほど近づいてくる者もいる。日々の生活そのものが、巧妙な罠の連続だった。
清楚可憐なお嬢様たちの誘惑に心が奪われそうになるたび、悠は必死に耐える。無事にこの一年を乗り切って、手付金をチャラしたうえで奨学金500万円をもらえば自分も大学に行けるかもしれない。
大学に行けば就職の幅も広がり、貧困のループから脱出できる。そんな希望が悠を支えていた。
だが、その苦しみを誰にも打ち明けられない孤独が、悠の心をさらに蝕んでいく。そして、そんな彼の葛藤を黒川はいつも冷ややかに見下ろしていた。
黒川にとって、悠が自制心を総動員して彼女たちの誘惑に耐えようとする姿は、まるで観賞用のエンターテインメントのようだった。その微笑みは、悠にとっては軽蔑にも似た憤りを覚えさせるものだったが、反論するすべもない。
スマホを手に取り時計を確認すると、時刻はまだ朝の9時。二度寝しようと枕に顔を埋めた瞬間、通知音がけたたましく鳴り響いた。
「……うるさい」
寝起きの不機嫌さを抱えながらスマホを覗くと、送り主は黒川だった。
「瀬川さん、休日だからってダラダラしてはダメよ。生活リズムを崩すと休み明けに困るわよ」
そのメッセージに、悠は天を仰いだ。彼女の目は、監視カメラ越しに自分を捉えているらしい。これでは自由に怠けることも許されない。
渋々ベッドから起き上がり、寝ぼけた足取りでトイレへ向かう。
部屋着代わりのルームワンピースの裾をたくし上げ、便座に座る。いつもの動作なのに、この時間は嫌でも自分の現実を突きつけてくる。
――そうだ、俺は男だ。
学校でどれだけ女子たちと馴染んでも、この事実が覆ることはない。特にトイレや、風呂上りにブラジャーをつける時は、自分が偽物であることを痛感させられる。
ふと見上げると、天井近くに設置された監視カメラが目に入った。
その先でほくそ笑んでいる彼女を想像するだけで、苛立ちが込み上げる。けれど、怒っても状況は変わらない。
洗面所で顔を洗い、クローゼットを開けると目に飛び込むフリルやリボンで埋め尽くされた明らかに「女の子」な衣服の数々にため息が漏れる。
本当はゆったりとしたルームワンピースで一日を過ごしたいが、監視カメラで見ている黒川の視線がある以上、それは叶わない。
仕方なくピンクのフリルブラウスと黒のミニスカートを手に取り、ベッドの端に腰掛けた。
頭からブラウスをかぶると、胸元に大きなリボンがふんわりと広がり、パールボタンがきらりと光る。その上、ズシリと重い制服のスカートとは違う軽やかなミニスカートを履くと、何も履いていないような感覚に戸惑いを覚えた。
視界にちらつくフリルやリボンに、否応なしに自分が「男」であることとのギャップが突き付けられるようで、胸が少し重くなる。
簡単な朝食を終え、なんとか気を取り直すように「さてと、宿題でもするか」と声に出してみる。
やる気は微塵も湧いてこないが、テレビも漫画もないこの部屋で他にできることはない。
勉強机に腰を下ろし、積み上がった宿題の山を眺めながら、心の中で「女装に加えて勉強漬けなんて、どんな罰ゲームだよ」とぼやいた。
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