第10話 ハーレム
金曜の2時間目は体育だった。体操服のハーフパンツは唯一のズボンらしい服で、着替えるたびに「やっぱりこれが落ち着く」と思う。
しかし、周囲は女子ばかりという現実が悠を苦しめる。
今日の種目はバレーボール。女子たちは運動も得意で、悠が混ざっても特に浮かないのは救いだったが、それ以上に困るのが目のやり場だ。
薄手の体操服は身体のラインを際立たせ、ブラジャーが透けて見える子もいる。ハーフパンツから伸びる脚もまぶしい。
「悠くん、トスお願い!」
沙紀が笑顔で声をかけてきた。元気いっぱいの彼女に応えようとトスを上げると、見事なスパイクを決めた。
彼女はあふれんばかりの笑顔でハイタッチを求め悠のもとに近づいてくる。その愛くるしい笑顔に、ギュッと抱きしめたいという衝動に駆られてしまうが、必死の思いで堪える。
同じチームのアリーナも「Good job!」と微笑みながら近づいてきた。ハイタッチをかわした瞬間漂ってきた甘い香りが鼻をくすぐる。
体育の授業だが、鍛えられるのは運動神経ではなく悠の自制心だった。
授業が終わると、ネットやボールの片づけが始まった。男子として唯一の悠は、重たいポール運びを率先して手伝うことに。体育倉庫に向かう途中でアリーナと合流し、ポールの片側を持ってくれた。
「瀬川さん、男子が持ってくれると助かるね」
アリーナが笑顔でそう言いながら、軽々とポールを持ち上げる姿に悠は少し感心していた。
倉庫の所定の位置にポールを収めると、悠はフーッと息をついた。だがその瞬間――。
「……えっ?」
急に腕を掴まれ、訳も分からぬまま宙を舞う。次の瞬間、悠は体操用のマットの上に叩きつけられていた。
「ちょ、何――!?」
目を開けると、アリーナが悠の上にまたがり、完全なマウントポジションを取っていた。
「抵抗しても無駄ね。 アリーナ、こう見えてもサンボの black belt よ」
冗談めかして笑うアリーナだったが、その技のキレは冗談じゃなかった。悠は抵抗する間もなく投げ飛ばされた自分を思い出し、納得せざるを得ない。
「瀬川さん、『L』と『R』の発音の違い、教えてあげるね。舌の使い方がポイントよ」
アリーナの顔がぐっと近づいてくる。甘い香りが鼻をかすめ、悠の頭は真っ白になる。
「ま、待っ――!」
唇が触れる寸前――ガラッと倉庫の扉が開いた。
「新田さん、何してるの?」
その声に、アリーナは体を起こす。入り口には、もう一本のポールを運んできた女子生徒が立ち尽くしていた。
「えっ、えーっと、これは違うの!」
悠が慌てて弁解しようとするが、状況が状況だ。
「ズルいわ、新田さん一人だけ!」
「ちょっと私も混ぜて~!」
次々に女子たちが集まってきて、悠はワラワラと取り囲まれる。体操服は上着は既に脱がされ、女子の手はハーフパンツに伸びていた。
「お、お願いだからやめて――!」
内心で「こんなハーレム、求めてない!」と叫ぶ悠だったが、女子たちに聞き入れられるわけもない。
「みなさん、仲が良いのは結構ですが、次の授業に遅れますよ」
冷静な声が響く。振り返ると、由紀が腕を組みながら立っていた。彼女の冷たい視線に、女子たちは冷静さを取り戻した。
「さ、行きますよ。瀬川さんも準備を」
お嬢様然とした微笑みを浮かべる由紀に助けられ、悠はようやく解放された。
◇ ◇ ◇
3時間目の現代文の授業が終わると、待ちに待ったお昼休みがやってきた。とくに今日は体育があったせいか、悠のお腹は「エネルギー切れ」のランプが点灯していた。
先生が教室を出るのを確認するや否や、悠はカバンからお弁当箱を取り出した。その様子を見ていた隣の席の由紀が、ふわりと微笑みながら声をかける。
「あら、瀬川さん。今日はお弁当なのね。せっかくだから、ご一緒してもいいかしら?」
初日に沙紀から奢ってもらい、その後も日替わりでクラスメイトに学食へ連れ出され、毎回おごってもらう日々が続いていた。
ありがたい反面、毎日おごられっぱなしというのは気が引けるし、遠慮して注文するかけそばにもそろそろ飽きてきた。
「今日は自分で作ってきたんです」
悠はお弁当箱を開けながら答えた。
ふたを開けると、そこに収まっていたのはシンプルを通り越してちょっと寂しげな中身。おにぎりが二つと、フライパンで焼いただけのウインナーが三本。
料理の腕に自信のない悠がなんとか作くれるお弁当だった。
由紀も自分のお弁当箱を取り出し、そっとふたを開けた。ふわふわの卵焼き、鮮やかな焼き鮭、煮物に彩り豊かな野菜がきれいに詰められ、悠とは対照的な豪華なお弁当だった。
彼女は手を合わせ、「いただきます」と優雅に微笑むと、箸を使って一つ一つ丁寧に味わい始めた。
悠はおにぎりを片手に取り、次にウインナーを頬張りながら、お腹が減っていたのでガツガツと食べ進める。
「瀬川さん、ここについていますわよ」
由紀は悠の頬についたご飯粒を摘み取ると、そのまま口に運んだ。
続けて、ご飯粒がついた指先をそっと舐める仕草が、妙に艶やかで目を奪われる。
見入ってしまった悠の視線に気づいた由紀が、小首をかしげて微笑む。
「どうかされました?私に何かついていますか?」
「いや、違う!その、お弁当がすごく美味しそうだなって…」
慌てて視線をそらし、誤魔化そうとする悠。
「ふふ、でしたら、卵焼き、召し上がります?」
彼女は箸で卵焼きをつまむと、悠の目の前にそっと差し出した。
「あ、あ~ん…ですか?」
教室に残っているクラスメイトたちがちらちらと見守る中、悠は観念して口を開ける。
一口頬張ると、卵焼きから溢れる出汁の旨みが口いっぱいに広がり、ふんわりした食感がたまらない。ほんのり甘く優しい味わいに、思わず「これ、めちゃくちゃ美味しい…」と呟いてしまった。
「お口に合ったようでなによりですわ」
由紀はかすかに微笑みながら、きれいな箸使いで煮物の人参を口に運んだ。その所作があまりに優雅で、悠は思わず見入ってしまう。そんな悠に気を取られている間に、周囲の空気がざわつき始めていた。
「ねぇ、瀬川くん、私の卵焼きも食べてみて!」
「こっちのミートボールも絶品だよ!」
「野菜不足になっちゃうでしょ、ほら、ブロッコリー!」
女子たちがわらわらと悠の席に集まり、それぞれのお弁当を差し出し始める。悠の目の前には彩り豊かな料理が次々と現れ、まるで学園祭の屋台を巡っているかのようだ。
「ちょっと待って、私の唐揚げが一番美味しいんだから!」
「いやいや、うちの秘伝の煮物には勝てないわよ!」
各自が自慢の一品を悠に勧めようとする中、教室は軽い騒ぎ状態に。悠は親鳥に餌をねだるひな鳥のように食べさせられながら、内心で叫ぶ。
「こんなハーレム、求めてない!」
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