第7話 学食

 自分の食券を買うと、沙希はさっと横にずれて悠に順番を譲った。


「何でもいいよ」


 優しく声をかけてくれる沙希に感謝しつつも、ずらりと並ぶ1000円オーバーのメニューを前に遠慮してしまい、結局一番安いかけそばのボタンを押した。


 麺類コーナーで食券と引き換えにそばを受け取り、食堂の後方に空いていた席に座る。湯気とともに立ち上る出汁のいい香りが空腹を刺激する。向かいの席に座った沙希のトレイには、かつ丼とハーフサイズの肉うどんが乗っていた。女子にしてはなかなかボリュームのある注文だな、と思いつつ、手を合わせる。


「いただきます」


 箸でそばを持ち上げて口に運ぶと、蕎麦の風味が鼻を抜け、しっかりとした出汁の味が舌に広がる。その学食とは思えないクオリティに感動し、自然と顔がほころんだ。


 向かいに座る沙希は、かつ丼をがっつり食べながら楽しそうに話し続けている。悠はそばをすすりつつ、適当に相槌を打ちながらその話を聞いた。


「バスケ部では、私だけが2年でレギュラーなんだよね。だから、練習とか試合とか本当に大変だけど、充実してるよ」


「へえ、すごいね」


 彼女はさらに、犬よりも猫が好きなことや、英語の勉強にと観始めた海外ドラマにすっかりはまってしまったことなど、話題を次々と変えながら話していった。


「なんか、沙希さんって本当にエネルギッシュだね」


 悠が感心して言うと、沙希は満足げに笑った。


 そばの最後の一本を名残惜しく口に運んでいると、ふと周囲の女子生徒がこちらをチラチラ見ていることに気付いた。


「ねぇ、周りのひとたち、私たちのこと見てない?」


悠が小声で尋ねると、沙希は視線を横目で受け止めて肩をすくめた。


「まあね。瀬川くん、噂の転校生だもん。学校中の注目の的だよ」


「えっ、私が注目されるようなことしてないよ」


「男子が来るなんて、ここでは一大ニュースだもん。私だって、2年S組に男子が来るって聞いて、絶対にS組に入りたいって思ったんだから」


 沙希は箸を置いて、少し真剣な表情になった。


「私たち、中学からずーっと男子と隔離されてたの。ずっとね。校則で男女交際も禁止だし、他校の男子と話すだけで停学になっちゃうし。それが急に『男子が来る』って噂になったら、みんな必死になるよ。私も勉強に部活に、頑張ってS組に入ったんだから」


 沙希が熱っぽく語る様子に、悠は自然と背筋が伸びた。彼女の言葉には、冗談とは思えないほどの重みがある。


「はぁ~、かつ丼と肉うどん、どっちも食べたかったけどやっぱり多すぎた。残すのはもったいないし、瀬川くん、よかったら食べて?」


 沙希は、半分ずつ残ったかつ丼と肉うどんをこちらに差し出してきた。


「えっ?いいの?」


 遠慮がちに聞き返しつつも、かけそば一杯では到底足りていない悠は素直に受け取った。


 箸を伸ばしてかつ丼をひと口。重厚なとんかつに甘じょっぱいタレがしっかり染み込み、とろりとした半熟卵がそれを包み込む。ご飯に染みたタレの味も絶妙で、口の中いっぱいに広がる旨味に思わずため息が出た。

「これ、めちゃくちゃ美味しい……」悠は、心の中で感動しながら次のひと口を運ぶ。


 そんな悠を見て、沙希は満足そうに笑いながら話を続ける。


「貴重な青春時代をさ、男女交際禁止で過ごすとか……親はそれでいいと思ってるかもしれないけど、本人からしたらつまらないでしょ?だからみんな、瀬川くんと仲良くしたいと思ってるんだよ。それどころか……あわよくば付き合いたい、なんて考えてる子も多いと思うよ。もちろん、私もね」


「げっ、ゲフッ!」


 その突然の告白に、悠は思わずかつ丼を喉に詰まらせた。慌ててトレイに手を伸ばし、麦茶を一気に飲み干す。


「でも、男女交際なんてバレたら退学じゃないの?」


 悠が息を整えながら恐る恐る尋ねると、沙希は肩をすくめて笑った。


「そんなの、バレなきゃ大丈夫でしょ?最悪バレて退学になったって、別の学校に入ればいいだけだし。それに、ここにいる子たちのほとんどが、親から勧められて仕方なく来たんだよ。親の言うことを素直に聞く真面目な子ばっかりだからさ、受験してここに来たけど、入学してから男女交際禁止の校則を知って『マジかよ』って思ってる子、多いんだよね」


 沙希の言葉を聞きながら、胸の奥が重くなった。裕福な家庭の彼女たちなら退学しても転校すれば済む話かもしれない。

 でも、彼女たちにとっては退学しても、別の学校へ進む道が開けているのかもしれない。でも、俺にはその余裕はない。手付金を返さないといけない家の事情が、まるで逃げ場を塞ぐ壁のように思えた。

 女子たちの注目を浴び続ける中、男女交際禁止を貫けるかという不安が胸を締め付ける。


 その不安を隠すように、悠はかつ丼を食べ終えると、肉うどんに手を伸ばした。甘辛い肉の旨みと、だしの効いたスープが絶妙だ。もちもちした麺がスープを絡み、箸を止める暇もない美味しさだった。


 丼を持ち上げてスープをすすろうとしたとき、視界の端で沙希が頬を赤く染めているのが見えた。


 その瞬間、「これって間接キスじゃないか」と気づいてしまい、顔が熱くなる。沙希が嬉しそうに視線を泳がせているのを感じたが、恥ずかしさに耐えきれずその話題には触れられない。

 黙々と肉うどんを平らげ、湯気を立てる空の丼を見つめて静かに息をついた。


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