第4話 新居

 黒川がハンドルを軽く左に切り、「ここよ」とマンションの地下駐車場へと車を滑り込ませた。

 悠の新居となるこのマンションは、学校から徒歩10分もかからない距離にあり、通学には便利そうだ。


「エレベーターに乗りましょう」と促され、悠は荷物を抱えて黒川のあとについて行く。

 エレベーターの中で、黒川はカバンから鍵を取り出して悠に手渡した。


「これがあなたの部屋の鍵よ。部屋番号は302号室」


 鍵を受け取ると同時に、エレベーターが3階に到着した。黒川に続いて廊下を進み、302号室のドアの前に立つと、悠は鍵を差し込んで回した。


 ドアが開くと、まず右手にコンパクトなキッチンが目に入った。調理器具や食器類はすでに揃えられており、生活感が漂っている。左側には洗面台とバスルーム、トイレがそれぞれ分かれて設置されており、清潔感がある。


 キッチンの奥には引き戸があり、悠がそっとそれを開けると、次の瞬間、思わず声が漏れた。


「……広い。」


 8畳ほどの洋室が広がっており、今まで住んでいた団地の4畳半と比べると倍近い広さだ。そのゆとりある空間に、悠はしばし感動して立ち尽くす。


 しかし、部屋を見渡すと、感動の余韻は徐々に薄れ、別の感情が押し寄せてきた。左側にはシンプルなベッドが置かれているが、掛け布団のシーツは薄いピンク色。窓には同じく淡いピンクのカーテンが揺れている。

 部屋の中央に置かれたローテーブルには花柄のテーブルクロスがかけられ、その上には淡い色合いのクッション。右奥の勉強机には整然と文房具が並んでいるが、その横には小さなぬいぐるみがいくつか飾られていた。


「……これ、全部、俺の部屋?」


「そうよ。女の子の部屋らしいでしょ」


 悠が戸惑った表情を浮かべると、黒川は肩をすくめるようにしてあっさりと言い放った。


「もう男には戻れないんだから、早く慣れなさい。」


 その言葉に呆然としながら部屋を見渡していると、不意にスカートの裾がふわりと持ち上げられた。


「なっ、何するんですか!?」


 悠は慌ててスカートを押さえ、頬を膨らませて抗議する。しかし、黒川は全く意にも介さず冷静に言い放つ。


「ふん、ちゃんと下着も履いてるみたいね。」


 黒川の視線は、悠が履いている薄いピンクのショーツに注がれていた。制服と一緒に女性用の下着セットも送られいた。

 それを付けていることに彼女は満足そうにうなずき、さらに言葉を続けた。


「ここ、女性専用マンションなのよ。もし男性用の下着なんか干してたら、すぐに正体がバレるでしょ? ほかの入居者に迷惑をかけないように、絶対に気を抜かないこと。ちなみに、このマンションのオーナーは私だから、何かあればすぐに報告が入ると思って。」


 悠はスカートをぎゅっと押さえ込みながら、視線を落とす。男性でありながら女性専用マンションに住むという事実に、改めて息苦しさを感じた。


 黒川はそんな悠の様子を面白そうに眺めると、さらりと揶揄する。


「やっぱり男子でも、スカートめくられるのは恥ずかしいんだ?」


「当たり前ですよ!」


 悠が真っ赤になって反論すると、黒川は声を上げて笑った。彼女のその反応が、悠にとっての新たな環境の厳しさをひしひしと感じさせた。


 ふと視線を上げた悠は、右奥の天井に取り付けられた丸い物体を見つけた。


「あれ、なんですか?」


「ああ、あれは監視カメラよ。この部屋には死角がないように配置してあるから、24時間常に見守られていると思って。暗視モード付きだから、夜間でも何をしているかはバッチリ分かるわ」


 黒川は相変わらず平然と答える。


「……なんでそんなものが、この部屋に?」


「当たり前じゃない。瀬川さんが女子生徒を連れ込まないか監視するためよ。ここだけじゃなくて、死角がないように部屋中に設置してあるの。部屋の中でも常に女の子らしく振る舞いなさい。胡坐なんかかいちゃダメよ」


 悠は深くため息をついた。プライバシーという言葉が脳裏をよぎるが、黒川に言っても無駄だと直感で悟る。


 そのとき、ふと気づいた。送ったはずの自分の荷物が見当たらない。


「あの~、送っておいた荷物はどこですか?」


「送られてきた荷物ね……ごめんなさい。ちょっと古くて使えそうになかったものが多かったから、こちらで新しいものを揃えておいたのよ」


 悠は呆然とした。確かに特別なものは入れていなかったが、こっそり忍ばせていた18禁の本が惜しい。とはいえ、もう諦めるしかない。


「はい、これ」


 突然差し出された小さな箱に目を留めた。


「……これって、もしかしてスマホですか?」


「もしかしなくてもスマホよ。持ってないって聞いたから用意しておいたの」


「ありがとうございます!」


 貧乏暮らしでスマホを持つのを諦めていた悠は、思わず感謝の言葉を口にした。これさえあれば、18禁の本がなくても大丈夫だ、と心の中でガッツポーズを取る。


「ただし」


 黒川が不意に釘を刺すような声を出す。


「ネットで何を見ているか私にも分かるように設定してあるから、エッチなサイトは絶対に見ちゃダメよ。それからGPSもオンにしておいたから、どこにいるかはすぐに分かるからね。」


 悠の希望は一瞬で打ち砕かれた。


「……やっぱり悪魔ですね。」


 ぼそりとつぶやく悠の横で、黒川は笑みを浮かべるだけだった。


「それじゃ、私はこのマンションの5階に住んでいるから、何かあったらいつでも来なさい。」


それだけ言い残すと、黒川は優雅に部屋を後にした。


 静かになった部屋に残された悠は、一息つこうとベッドに腰掛けたが、制服が皺になるのが気になって、部屋着に着替えるべくクローゼットの扉に手を伸ばした。


「さて、どんな服が用意されてるのかな……」


 軽い気持ちで扉を開けた瞬間、言葉を失った。


 そこには、ひらひらとしたフェミニンなミニスカートや、レースやフリルがあしらわれたミニ丈のワンピースがずらりと並んでいた。ピンク、ホワイト、パステルカラー――どれもこれも女の子らしい服ばかりだ。


「……え、ちょっと待って、これ全部俺の?」


 震える手で水色のかわいらしいチェック柄のスカートを引っ張り出してみると、膝丈20cmはあろうかというミニ丈だった。


「いやいや、こんなの着るの無理だって……!」


 こんなの着て外を歩けば、嫌が上でも目立ったしまう。目立った結果、男とバレたら退学になってしまう。

 いや、今はそんなことより、部屋着に着替えたい。


 もっと部屋着に相応しい服はないのかと探し、衣装ダンスの引き出しを開けてみる。

 そこには、下着と共にリボンがあしらわれた淡いピンクやクリーム色のルームワンピースが 折りたたまれていた。柔らかい素材感が一目で伝わるようなデザインで、裾にはフリルまでついている。


「スカート以外の選択肢が……ないのかよ……」


 絶望的な気持ちで、淡いピンクのルームワンピースを手に取る。手触りは柔らかく、袖口のレースが微妙に可愛らしさを主張している。


 悠は仕方なく、淡いピンクのルームワンピースに袖を通した。柔らかい生地の感触に、思わずゾワリと背筋が寒くなる。

「こんなの着るなんて……俺、完全に終わってるじゃないか。」


 ため息をつきながら鏡を覗き込むと、そこに映るのはどう見ても普通の女子高生だった。


「……なんで似合うんだよ。」


 鏡に映る自分に呆れながらも、どこか現実を突きつけられる思いで、視線をそらした。その視線の先に監視カメラがあることを思い出し、悠はぎくりと身体をこわばらせる。


「……きっと黒川のやつ、今頃これを見て楽しんでるんだろうな。」


 女子の部屋で、女子の服を着ている自分。ここまで「男」を否定された環境に置かれている現実に、ため息が止まらない。


「……完全に、黒川の手のひらの上ってわけか」


 悠は仕方なくベッドに腰を下ろした。部屋の柔らかい雰囲気に囲まれながら、頭の片隅には、黒川の楽しそうな顔が浮かんでいた。

 

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