第3話 聖心女学院

 4月までの5か月間、悠は「女子高生になる」という壮絶な挑戦に追われた。学校生活への不安や緊張感に押しつぶされそうになりながらも、黙々と準備を進めていった。


 黒川校長が手配してくれた脱毛サロンでは、ひげやすね毛、腕のムダ毛を根こそぎ処理。さらにエステでは肌のキメを整え、透明感のある陶器肌を手に入れた。美容院にも通い、短かった髪も肩にかかる長さまで伸び、ふんわりとカールしたスタイルに。


 そしてメイクの練習では、母や姉に手ほどきを受け、自然に見えるナチュラルメイクをマスター。涙袋を少し強調し、ほんのりピンクのチークで愛らしい印象を作り上げた。鏡に映る自分の姿を見ては、「これ、本当に俺なのか?」と驚き、照れくさくなったほどだ。


 小顔エステの効果もでてきて頬が少しシャープになり、まつ毛の長さや肌の滑らかさが際立つ顔立ちは、どこから見ても可憐な女子高生。努力の成果は、確実に彼を「彼女」へと変貌させていた。


 春の暖かい日差しが差し込む中、悠は電車を降りた。改札へ向かう途中、自分の姿をちらりと反射ガラスに映して確認する。

 聖心女学院の濃紺のセーラー服に白い襟、そこにあしらわれた金のラインがキラリと輝き、胸元には深紅のスカーフが可憐に揺れている。


 膝丈のプリーツスカートを揺らしながらホームを歩いていると、乗客たちの視線が自分に集まっているのに気づく。小学生くらいの女の子が母親に「ねえ、あの制服の子、聖心女学院だよね?かわいい!」と囁く声が聞こえてきた。


(……やっぱり有名なんだな)


 聖心女学院の制服は、地元では「お嬢様学校の象徴」として知られている。誰もが羨むエリート校の制服をまとった自分が注目を集めるのは仕方ない。だが、それが「男子」だと知られていないのを確認し、悠はほっと胸をなでおろした。


 改札を抜けると、悠は駅前で待っている人々の中に、見慣れた姿を見つけた。

 そこには、ベージュのトレンチコートを羽織った黒川玲奈が、颯爽と立っていた。周囲に視線を投げる余裕すらあるその様子は、相変わらずの女優のような佇まいだ。


「久しぶりだね、瀬川悠さん」


 黒川は悠の全身を眺め、満足げに微笑んだ。


「やっぱり似合うわね、その制服。どこからどう見ても完璧な聖心女学院のお嬢様だわ」


「いや……本当にバレないですかね?」


 悠が気まずそうに言うと、黒川は軽く笑いながら、「大丈夫よ。誰もあなたを疑ってない」と告げた。


 その言葉に悠の緊張が少しだけ緩んだ。黒川はカツカツとヒール音を響かせながら真っ赤な車のドアを開け、運転席に乗り込みながら声をかけた。


「さあ、車に乗って。」


 悠は言われるがまま助手席に乗り込むと、黒川も車をすぐに動かし始めた。

 駅から10分ほど走った交差点で信号待ちになったとき、黒川は右斜めに視線を送った。


「あれがウチの学校よ。」


 その言葉に悠もつられて視線を向けた。そこには小高い丘の上に立つ壮麗な校舎があった。


 赤茶色のレンガで組まれた建物は、どっしりとした佇まいの中にも尖塔やアーチ窓が配され、まるでヨーロッパの古城のような雰囲気を漂わせている。その正面には広々とした芝生の庭が広がり、門から丘の頂上へと続く緩やかな坂道が校舎へと誘う。


「……あれが、聖心女学院……?」


 悠は思わず呟いた。歴史と伝統が滲み出るその校舎の威圧感に、車内の空気が一瞬にして重くなった気さえした。「あんな立派な場所で、女子たちと……本当にやっていけるのか?」頭の中で不安が渦巻く。


 悠たちの乗った車の前を聖心女学院の制服を着た女子生徒が歩いていく。彼女たちは部活で登校しているのだろうか、スポーツバッグを肩にかけながら談笑している。

 清潔感のある制服に春の陽射しを受けて輝く髪。自然に浮かぶ笑顔。悠は思わず見惚れてしまった。


「……みんな、綺麗だな……」


 心の中でそう呟くと同時に、ある疑問が胸をよぎる。これから毎日こんな子たちと同じ校舎で過ごすのか――しかも、自分は唯一の男子として。男女交際禁止なんて、本当に守れるのだろうか?


「ふふっ、今、何を考えているのか、大体わかるわよ。」


 運転席から黒川がクスリと笑った。視線は前方を向いたままだが、その声には明らかに含みがある。


「ちょっと、何ですか!?」


 悠は慌てて否定しようとするが、黒川の口元の笑みは消えない。


「そんな顔して女の子を見ていたら、バレバレよ。あなたが“男女交際禁止”の校則を守れるかどうか、心配になっちゃうわねえ。」


「そ、それは……!」


 悠は顔を真っ赤にして口ごもった。


 すると黒川はわざとらしいため息をつきながら、冷たい声を落とした。


「まあ、いいわ。でも、念押ししておくけど、もし男女交際禁止を破ったら、その時点で退学。しかも、手付金の500万円は全額返金してもらうわよ。 もちろん、それまでに使ったお金は自腹でね。」


「えっ、そ、そんな……!」


 悠は驚愕の表情で黒川を見た。


「破らなければいい話よ。」


 黒川はにっこりと微笑んで言葉を続けた。


「あなたが自制できるか、それとも――本能に負けて地獄を見るのか。どちらになるのか、楽しみにしてるわ。」


 悠は座席に深く沈み込むようにして視線を逸らしたが、視界の端には再び女子生徒たちの笑顔が映り込んだ。内心の不安が、じわじわと押し寄せる。


「本当に、大丈夫かな……」


 呟くように漏らした声は、車のエンジン音に紛れて黒川には届かなかった――のかもしれない。

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