第2話 条件
黒川玲奈の鋭い視線を受けながら、悠は頭の中で必死に状況を整理していた。確かに、女装して生活するなんて想像しただけでも大変そうだ。
しかし、それを乗り越えれば――お金がもらえる上に、むさくるしい男子校生活から解放され、華やかな女子高で唯一の男子として過ごせる。
これはつまり、ハーレム生活の幕開けじゃないか!?
そんな都合のいい未来を思い描き、気づけば悠は前のめりになって問いかけていた。
「それで、その条件って具体的には?」
黒川は悠の様子を楽しむように、軽く微笑んだ。
「条件は二つよ。まず一つ目。学校外の人に男子だとバレないこと。」
「それはまあ、当たり前ですよね……」
「そう、当然よ。地元ではお嬢様学校として知られる聖心女学院。そこに男子が通っているなんてことが外部に漏れたら、学校の信用問題になるわ。それに、学校内ではトイレや更衣室の問題もあるから、瀬川さんのことは話すけど、そのことは学校の外では秘密にするの。学外では絶対にバレないように、わかった?」
黒川の話を聞きながら、悠は頷いた。見た目は完全に女の子になり切れる自信はあるし、学校外を必要以上に出歩かなければバレるリスクは低そうだ。
「で、もう一つは?」
「二つ目の条件。それは……男女交際禁止。これは校則で厳しく定められているの。」
「男女交際禁止……?」
悠の心がズキッと痛んだ。
「ええ、生徒間はもちろん、生徒が外部の男子と会話するのも禁止されているわ。うちの生徒たちは皆きちんと守っているの。それが理由で、保護者たち――特に由緒ある家柄の保護者たちから、聖心女学院は絶大な信頼を得ているのよ。」
黒川は当たり前のように言葉を続けたが、悠にとっては衝撃の一言だった。
「でも、男子って僕だけですよね? それなのに交際禁止って……」
「あら、それが何か問題?」
黒川の涼しい声に、悠は返す言葉を失った。夢見ていたハーレム生活が頭の中でガラガラと崩れ落ちる音が聞こえる気がした。女子に囲まれて生活しながら、誰ともそんな関係になれないなんて――それって拷問じゃないか!?
黒川の視線が悠に絡みつくように注がれる中、彼はふと気づいてしまった。彼女の言葉の端々に込められた妙な期待感――それが何を意味するのか。
「苦しむ様子を見るのが好きだなんて……なんて悪趣味なんだ!」
思わず声を荒げた悠に、黒川は驚くどころか、まるで待っていたかのように楽しげに笑みを浮かべた。
「悪趣味? そうね、そうかもしれないわ。でも、あなたもそう思わない? 男子校でむさくるしい男ばかりに囲まれるより、女子高で一人、特別な存在として扱われる方がずっと楽しいでしょう?」
「いや、楽しいとかそういう問題じゃ――」
「それにね、瀬川さん」
黒川は悠の言葉を遮り、さらに言葉を重ねる。
「人間って面白いものよ。追い詰められるほどに、自分の本質がむき出しになる。私はその瞬間が見たいの。あなたがその特殊な環境で、どんな表情を見せてくれるのかしら――興奮しない?」
「し、しません!」
悠は席を立ちかけたまま凍りついた。
「せっかくのお話ですが、なかったことでお願いします!」
そう言い切って逃げようとしたその瞬間――
―——ガチャリ
校長室のドアが突然開いた。
「いいえ、悠。この話は受けるべきよ!」
「お母さん!? どうしてここに?」
現れたのは母だった。両手にはパンパンに膨らんだスーパーの袋を抱えている。袋の中身がちらりと見え、「和牛ステーキ」のラベルが目に入った瞬間、悠は嫌な予感を覚えた。
黒川は悠の反応を楽しむように笑みを浮かべると、カバンから数枚の書類を取り出し、悠の目の前に置いた。
「ここに来る前に、先にあなたのお母様とお話させてもらったの。『お宅の息子さんを一年間、私たちに預けてくれたら500万差し上げます』って言ったら、快くサインしていただけたわ。ほら、これが契約書よ。」
黒川が差し出した書類には、確かに母のサインが記されていた。悠は目を疑った。
「そ、そんな……お母さん!」
「何よ悠、母さんがどれだけ頑張って家計を支えてるかわかってるでしょう? たまには親孝行してもいいんじゃない?」
悠が反論する間もなく、さらにもう一人が校長室に入ってきた。
「お姉ちゃん!? 学校は?」
制服姿の姉は、平然と「早退してきた」と答えた。
「悠、この話を受けてよ。そうすれば私は大学に行けるの。大学を出れば、もっといい会社に入れるし、あんな狭い団地生活ともおさらばできる。お願い、助けると思って!」
姉の真剣な目に、悠は言葉を失った。確かに大学、そんな夢のような話は家の事情で諦めてきた。でも500万もらえるなら、自分だって大学進学の道が開ける。
(一年間だけの我慢だ……)
悠は心の中で必死に言い聞かせた。
「……それで、一年経ったら元に戻れるんですよね?」
黒川は待ってましたとばかりに笑顔を見せる。
「ようやく前向きに考えてくれたようね。ええ、一年経ったら元の学校に戻ってもいいし、そのままうちの学校に残ってもいいわ。」
そんな選択肢を考えるまでもない。一年だけ耐えて、500万を手にして逃げる。それが悠の決意だった。
「それじゃ、しっかりと準備してね。」
黒川は満足げに立ち上がる。その後ろ姿にサディスティックな喜びが滲み出ているのを悠は見逃さなかった。
悠の視線に気づいた黒川は部屋を出る直前立ち止り振り返った。
「あなたの一年間楽しませてもらうわ」
それだけ言うと、黒川は部屋から出て行ってしまった。
こうして、瀬川悠の逃げ場のない地獄のような――いや、ある意味夢のような――女子高生活が幕を開けたのだった。
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