第1話 女装コンテスト
グラウンドに設置された文化祭の特設ステージ。両サイドに置かれた巨大スピーカーから、大げさなほどのドラムロールが響き渡る。観客のざわめきと相まって、空気はまさに頂点へ向かう緊張感に包まれていた。
「さあお待たせしました!男子校名物、ミス緑山コンテストの結果発表です!」
司会者が大きな声で煽る中、悠はステージ横のパイプ椅子に座りながら、胸の高鳴りを抑えようとしていた。乾いた秋風が、姉から借りたセーラー服のスカートを軽く揺らす。
「それでは発表します――栄えある優勝は……エントリーナンバー3番!1年2組の瀬川悠さん!」
一瞬、グラウンドが静まり返る。そして次の瞬間、割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。
「優勝おめでとうございます!」
司会者の声に促され、悠は立ち上がる。ステージ中央へ向かうその足取りは緊張で少し硬かったが、会場の視線は全て彼に釘付けだった。艶やかな黒髪のウィッグ、控えめなメイク、それを引き立てるセーラー服――その姿は、ただの「男の娘」を超え、誰が見ても「本物の女子」としか思えないレベルだった。
他の参加者もステージ後方で拍手を送っているが、その視線はどこか悔しげだ。わざとウケ狙いでヒゲ面のままでスカートを履いた生徒や、ムダ毛をそり落としたツルツルの脚をミニスカートで披露して大歓声を浴びた生徒もいたが、いずれも悠の完成度には及ばない。
「まあ当然だよね……女装歴が違うんだから」
悠は内心で苦笑した。彼が育ったのは、母子家庭で貧しい生活。そのため、彼の服はほとんどがおさがりだった。
スカートやワンピースは日常の一部で、部屋着として普通に着ていた。そんな経験が、この圧倒的なクオリティを生み出していた。
「副賞の学食利用券1万円分もプレゼントです!」
渡された目録を見て、悠の顔に笑みが浮かぶ。これで素うどんとおにぎりだけのわびしい食生活から解放される……。憧れの日替わり定食が食べられる日々がやってくるのだ。
歓声に包まれながら、悠の心はこれから始まる「新たな試練」を知る由もなかった。
――1か月後。
学食で夢のかつ丼を堪能していた悠は、担任の村中先生に不意に声をかけられた。
「おお、瀬川、ここにいたか。校長が呼んでいるから校長室に行ってくれ」
「えっ、校長先生が? なんの用ですか?」
「俺も知らん。ただ、すぐ行けって言われたからな。早くしてくれ」
担任の軽い言葉とは裏腹に、悠の心中はざわついていた。校長に呼び出されるような心当たりなどまるでない。だが、断るわけにもいかず、悠は学食を出て渡り廊下を渡り、職員棟へと向かう。
重厚な木目調のドアが存在感を放つ校長室の前で、悠は深呼吸を一つ。小さなノックの音が、廊下に響く。
「1年2組、瀬川悠、入ります!」
ピンと背筋を伸ばして入室し、一礼して顔を上げると、校長室の空気に思わず息を呑んだ。バーコード頭の校長の隣に、見知らぬ女性が座っていたのだ。
「ああ、そこに座りなさい」
校長に促され、悠は緊張しながら対面のソファに腰を下ろす。自然と視線は校長の隣に座る女性へと向かう。
黒く艶めく髪が肩にかかり、ベージュのタイトなスーツが細身の体を完璧に包んでいる。涼しげな目元に、上品な薄いピンクのリップ。すべてが計算されたように整ったその美貌に、悠は目を奪われた。
「初めまして、聖心女学院の校長をしている黒川玲奈です。あなたが噂の瀬川さんね」
柔らかくもどこか冷たい響きを持つ声が悠の耳に届いた。校長といえば、年齢は40代どころか50代に差し掛かる人が多いものだが、目の前の女性にはその片鱗すらない。
むしろ30代前半にしか見えないその美しさに、悠は呆然と見惚れてしまった。
「初めまして」
彼女――黒川玲奈は優雅に微笑みながら言葉を続けた。
「写真では見たけれど、実物はもっとかわいいわね」
にこやかな表情に優しい声。だが、その言葉に悠は一瞬フリーズした。男子の自分が「かわいい」と言われる状況に、どう反応するべきかわからず、仕方なくぎこちない作り笑いを浮かべる。
「瀬川さんにはね、来年の4月からうちの学校に来てほしいの」
「えっ……?」
予想外の言葉に、悠は素っ頓狂な声を上げた。動揺を隠せないまま口を開く。
「聖心女学院って、よく知らないですけど……名前からして、女子高ですよね?」
「まあ県を二つまたいでいるから知らないのも当然ね。由緒正しき伝統ある女子校として地元では誰もが知るお嬢様学校。だけど、瀬川さんなら女子としても十分やっていけると思うわ」
黒川はさらりと答えながら、手元にあった一枚の写真をテーブルの上にそっと置いた。それは、先月の文化祭で悠が優勝した女装コンテストの写真だった。姉から借りたセーラー服に身を包んだ自分が、笑顔で賞状を受け取っている――あまりに堂々とした「女子」の姿がそこにはあった。
「このクオリティなら、どこに出しても女子として通用するわ。だから今日スカウトに来たの」
「スカウトって……なんで?」
悠は戸惑いを隠せなかったが、黒川の返答はさらに拍子抜けするものだった。
「なんでって? 簡単よ。面白いから」
「えっ……?」
悠の口から反射的に漏れた声は、ほとんど悲鳴に近かった。
「そうよ。男子を無理やり女子高生にして、男子としても女子としても振る舞えずに悩む様子を観察するのが、私の趣味なの」
「そ、そんな趣味、聞いたことないですよ!」
悠は心の中で叫んだが、目の前の校長はまったく動じない。むしろ、その冷静な視線がさらに彼を追い詰める。
「もちろん、それなりの報酬は用意するわ」
黒川の声色は、淡々としていながらもどこか甘美だった。
「引っ越しや転校にかかる費用は全額負担、学費も無料。それに……手付金として500万円。そして、条件をクリアすればさらに500万円を上乗せするわ」
500万円――その額を聞いた途端、悠の脳裏に浮かんだのは、毎月ギリギリの生活をしている母親の姿だった。
「500万円……?」
思わず口に出してしまった自分に気づき、悠はハッとした。だが、その一言で黒川の薄い唇に笑みが浮かぶ。
「どう? 悪い話ではないでしょう?」
悠は唾を飲み込んだ。目の前の「美しき魔女」のような女性――黒川玲奈の微笑みは、まるで逃げ場のない迷宮の入り口のように見えた。
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