第2話 ありていに言うと絶望
---っ!!!
背中の強い衝撃で目を覚ました。どうやら俺は「穴」に入った後、すぐに意識を失ってしまったらしい。
痛みで目が回り、しばらくうずくまっていたがここが迷宮の中であることを思い出して急速に意識が覚醒した。
「ここは……」
辺りを見渡す。殺風景な場所だった。周囲は土壁に覆われており、洞窟の中というのが一番正しい気がする。どういう原理か知らないがところどころある水晶のようなものが光源となり、不自然なくらいに明るさを保っていた。
自分が通ってきたのであろう入り口は既にどこにもなく、背後には壁しか存在しなかった。
(…………いや、これ帰れねぇじゃねえか)
早々に絶望した。
とりあえず何が起きてもいいように拳銃をポケットから抜いておく。
生き物の気配は自分のほかには何も感じない。自分の息遣いだけがやけにはっきり聞こえて、それが逆に気持ち悪かった。
情けない話だがヤクサは、というかほとんどの人間が迷宮について詳しいことを知らない。どんな魔物が棲んでいるのかとかどんな財宝があるのか、そして帰る方法すらも。
幾度かの葛藤はあったが俺は先に進んでみることにした。帰り道が閉ざされてしまっているのならば他にやれることはないという判断であった。
しばらく進むとすぐに進んだことを後悔した。「穴」入ってから初めて自分以外の生き物の気配がするのだ。今までヤクサが歩いてきた道は幸い一本道だった。それでも人が三人は並んで歩いても余裕のある幅と高さではあったが突然、突然広い空間に出た。野球場が1つすっぽり入ってしまうほどの広い空間ではあったが、そこに明らかに自分のものではない音が聞こえる。
ちゃっちゃっとどこかで聞いたことがあるようでそれが何か思い出せないようなそんな音。それに加えて時々ぐじゅぐじゅといったような音も交じって聞こえてくる。音の主は何かに夢中なようでこちらには目もくれない。
四足歩行のその生物は誰もが見たことのあるシルエットで、それでいて誰も見たことがないような巨体をしていた。体長はヤクサの身長を優に超していることから少なくても2メートルはあるだろう。その鋭い爪と牙は、人間の首くらいならなんなく千切ってしまうだろうという幻視をヤクサに抱かせた。その魔物はまさに狼というほかなかった。ただその体に秘められた殺傷能力は普通の狼とは一線を画している。
ヤクサは思わず数歩後退した。それがいけなかった。純粋な恐怖により動いた足はヤクサの思いとは裏腹に不本意な音を鳴らす。狼の顔が上がる。その時狼が何に夢中になっていたか明らかになった。咥えられていたのは頭だった・地面に横たわっていたのはぐしゃぐしゃに潰された胴体とあらぬ方向に折れ曲がった四肢、支えるはずだった重みをなくしてその断面をこちらに向けている首が視界に入った。
もう限界だった。恐怖に負けた足は逃げてしまいたいのにその役目を果たさず、その場に留まるだけとなった。いびつな呼吸音はもはや誰のものかも理解が出来ず、それを自分が発しているということに気づくこともない。思うように動くこともできず、かろうじて視点を上げる。
狼とヤクサの目が合う、合ってしまった。その瞳には何も映ってはおらず、黒曜石のような漆黒かじっとこちらを見ている。
俺は何となく、いつかのドキュメンタリーで見た、森でクマ等と会った時の対処法を思い出していた。猛獣と遭遇した際は、背を向けて走っては行けないらしい。それをしてしまった時点で捕食対象として見られてしまうからだ。まずは身体を背けないまま後退する。そして大声を出して威嚇して距離を離して逃げるそうだ。 俺の体はひとりでにそれを実行していた。息を吸い、発声する。
「――――――ぁ!」
かすれた喉から出た声は到底、威嚇と呼べるものでは無い。
...しくじった。そう思った。俺の感情を読み取ったように狼がこちらへ向かって地を蹴る。その巨体に見合わない軽快な速度で20mはあった距離を踏み潰す。
余談ではあるがヤクサが行った猛獣の対処法にはもう1つ大事な点があった。それは「決して対象と目を合わせてはいけない」だ。魔物に猛獣の対処法が当てはまるのかは誰も知らないが、少なくてもこうなるのは予定調和であった。
「クソっ!来るな!!!」
いつでも撃てるようにと右手に持っていた拳銃を構える。そして発砲。
手元で爆音がしたと思えば次の瞬間、右手が弾かれたように上に跳ぶ。そして狼の悲鳴が響いた。完全に幸運ではあったが命中したようだ。よく見ると狼の首元から血が流れている。
それでもまだ致命傷に至っているわけではないようで狼は低く唸りながらこちらを睨んでいる。御しやすい餌と見ていた獲物から手痛い反撃を貰ったので様子を見ているのだろうか。
また、ヤクサにとっての不幸は次の光景にあった。いつの間にか、首筋から流れていた血はとまり、じゅくじゅくと音をたてながら傷が治っていくのが見えた。
まずい!と本能的に思った。何が起きているのか理解はできていなかったがこのまま見ているだけでは殺されるだけだと悟る。
ドンドンッ!
次は2発、乾いた発砲音が響く。
1発目は狼の腹に、2発目は反動に耐えきれず明後日の方向へ飛んでいく。
放たれた激痛に今度こそ、狼が倒れた。
大きく息を吐き出し、俺は少し距離を詰めた。狼が死んでいるのか確認しないととりあえずの安心もできない。
死んでこそいなかったが狼は虫の息という所だった。首の傷はもうほとんど癒えていたが、新しく出来た腹の銃創からはとめどなく血が溢れてきている。
俺はもう一度銃を構えた。今度はよく狙って、頭部目がけて発砲した。
ビクンッ!と大きく体が跳ね、ついに狼は死んだようだ。
俺は全身から汗が吹き出ていることを遅れて理解した。とにかく疲れている。命の奪り合いというものがどれほど精神を摩耗させるのか、少なくても今すぐに座り込んでしばらく休みたいと思えるほどには体も心もガタガタだった。
少し悩んだ後、ヤクサはこの場で一度休憩をとることに決めた。狼と人間の死体があって居心地は良くなかったが、魔物がどこから来るのか分からない以上、下手に移動して襲われるのも嫌だった。
自分が通ってきた通路の入口ともう1つの出口、その中間ほどの壁沿いで荷物を広げる。
食欲はそれほど無かったが気を紛らわす為にゼリー飲料を飲み干しながら銃の残弾を数える。狼の魔物に合計3発。銃に残っているのが6発。予備のマガジンも含めれば22発。これが多いのか少ないのか分からないがこれからも魔物に出会う危険がある以上、かなり心許ない数字に感じる。あらかたの確認を終え、荷物を戻そうとした時それは起こった。
それは振動だった。地面に置いた水が揺れているのを見なければ気づかなかったかもしれないほどかすかな地響き。地震とも違う何かだった。
音は次第に近づいてきて、ヤクサの感覚としてもハッキリ感じられるようになった時、地面が陥没した。ヤクサの立っていた場所ではなく、この空間の中心に放置していた狼の死体のあった所である。
俺はすぐに動けなかったが陥没した地面を注視した。狼の死体は既に消えており、陥没したと思った地面はきっと穴が空いているのだろうという事が伺えた。そしてその穴からはなんと形容すればいいのか、スコップのような形をした鉤爪と三角の鼻のようなものが顔を覗かせている。
(今度はなんなんだよ!)
悪態をつきながら拳銃と先程片付けそこなっていたサバイバルナイフを手にして素早く立ち上がる。
その''何か''は恐らく鼻と思われるものを小刻みに震わせたかと思うと、さっとそれを引っ込めた。
突然訪れた静寂に頭がおかしくなりそうだった。慎重に穴に近づいて奥を覗き込む。''何か''の姿は既に無く、また狼の死体も存在しなかった。とりあえずの危険は遠のいたと安心したのもつかの間――――再度の地響き。
今度は最初からハッキリと分かる。背後である。放置していた荷物があった場所に目を向けるとその瞬間、荷物が爆発した。
もうもうと立ち込める砂煙の中から先程見たスコップに見紛うほどの太く厚い鉤爪とその正体が顔を出す。ずるりと這い出てくる''何か''はまるで上半身がモグラ、下半身が蛇の化け物だった。
(……次から次へと)
やっと収まってきたはずの汗がヤクサの額を再び濡らした。
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