借金が返せないので迷宮に放り込まれました

ただのトカゲ

第1話 バイトってコレですか

 幸せの定義について考えたことはあるだろうか。

 誰もが一度は考えるこそばゆいこの題目にヤクサも思いふけっていた。

 恋人がいることだろうか?

 好きなものがあることだろうか?

 それとも夢を叶えること?

 否、否である。とヤクサは断じる。


「幸せの定義とは、金があることだ!」


 ヤクサという男は元来、金に恵まれていない人間であった。親はヤクサが小さいころ借金に耐え切れず蒸発したし、今月は二日に一回はもやし生活を送っている。親がいなくなった後、唯一面倒を見てくれたオヤジも蓋を開けてみればヤクザだった。常に金を渇望しているヤクサがこの結論に至るのも無理ないだろう。


「金が欲しい……」


 もやしの醤油炒めをもしゃもしゃしながら独りごちる。虚しい生活である。

 とそこに荒いノックが響いた。


「誰だ……こんな時間に……」


 憂鬱そうに返事をし、玄関を開けると見慣れた姿が目に入る。

 

「おう、起きてたか」

 

「シマさんか……どうしたんすか?こんな時間に」


「どうしたんすか?じゃねぇよ。ヤクサお前連絡できねぇから携帯買っとけって言っただろ。お前が連絡つかねえから用事終わりの俺が駆り出されてんだろうが」


「呼び出し?俺なんかやったかな……」


「あ~なんかバイトがどうだとか言ってたぞ、詳しくは俺も知らねぇ。ていうかまた栄養ねぇもん食ってんのか、奢ってやるから今から出るぞ」


「…………神ですか」


 シマさんはオヤジが取り仕切っている「榊組」の組員だ。親がいないヤクサのことをよく見てくれていてちょくちょく差し入れもしてくれるし感謝してもしきれない。最近では後光がさしているように見える時があるが髪が無いせいではないだろう。つい拝みそうになったがヤクサは自制した。


「お前、今なんか失礼なこと考えたろ」


「……いや、マジで考えてないです」


 直後振ってきた拳骨を脳天に食らって視界が明滅する。痛みにうずくまりながら頭を押さえるヤクサを見て、シマさんがため息をついた。


「まぁ、いいや。用があるのはカシラみてぇだから急ぐぞ。あんまりどやされたくもねぇしな」


「りょ、了解です」


 飯屋はヤクサの希望を聞いてくれるとのことだったのでラーメン屋にした。久しぶりのとんこつラーメンの味に涙が出そうになった。食事を済ませてから屋敷に向かう間、とりとめのない話をしていた。


「そういやヤクサ、お前今年でいくつになる?」


「ん?18だけど」


「そうか、デカくなったなぁ。知り合ったころはこんくらいだったのに」


 シマさんが指で輪っかを作って見せる。


「そんなに小さくねぇよ!ミジンコか!?」


 がははっと豪快に笑うシマさんを横目にして、不機嫌なオーラを出していると突然頭に手がのせられた。


「何すんだよ……」


「いや、なんとなくな」


「離せよ、殴られたとこまだ痛いんだよ……」


 それは悪かったなと笑いながらもなかなか撫でるのをやめてくれなかったが、ヤクサも特に手から逃げようとはしなかった。なんとも言えない時間がすぎていったが少しすると満足したのかシマさんも手を離してくれた。それからすぐに屋敷に着いたが、シマさんは何やら報告があるようでヤクサは先にオヤジの部屋に行くように促された。

 なぜ自分が呼ばれたのか未だにわかっていなかったがとりあえずは従っておくことにした。廊下をまっすぐ歩いて一番奥の部屋へと向かう。

 襖の前に着くとまずは深呼吸して息を整える。走ってきたわけでもないので息が荒れているというわけではなかったが、ここには妙な緊張感があるのでルーティンになってしまっていた。意を決してノックする。


「ヤクサです。今参りました」


 入れ。と淡白な返事が来たのを確認してからふすまを開ける。中には白いひげを蓄えたオヤジと若頭が立っていた。


「ようきたなヤクサ、元気かい?」


 はい、と端的に返す。オヤジは一代で組を東京の三本指に入るところまで押し上げた力のある人間だ。座っているだけでも威厳を隠せていない。

 肩っ苦しいのはよせ。と座るように促されたので用意してあった座布団に正座で座る。何かため息をつかれたが気を張らないというのはなかなか難しいことである。

 そのあとも学校はどうだとか、恋人はできたのかとかとりとめもない話をいくつかされたがオヤジの真意が見えなかった。こんな時間に呼び出した割に長くなりそうだな、なんて考え始めたこともあり、いっそ聞いてみることにした。


「そういえばシマさんからバイトがどうだとか聞いてるんですがなんだったんです?」


「……そうせっつくことねぇだろ。まぁいい、ヤクサお前新しいしのぎに興味ねぇか」


 言われたことがすぐには理解できなかった。オヤジに拾われてから今までそういった組の仕事からは遠ざけられていた。今になってお鉢が回ってきたことに少々の驚きを隠せなかった。


「タカ、説明してやんな」


 オヤジの隣で沈黙を保っていた若頭のタカさんが話し始める。


「こないだこの屋敷に「穴」が発生した。お前にはこの「穴」に入ってもらう。」


 突拍子のない言葉にまた思考が停止した。

「穴」とは数十年前、世界のあちこちに出現した。迷宮の入り口の事である。迷宮には財宝が眠っており、持ち帰った者は一生遊んで暮らせるくらいの金が手に入ると言われている。「穴」の出現は予測不可能で現在では「穴」を発見したものはただちに機関へ報告する義務があるらしい。


「ヤクサ、お前にはお前の親が残した借金があるだろ。いままでは不問にしてやってたがお前もいい年だからな。返済してもらおうと思う。」


 迷宮は金になる反面、死のリスクがある。迷宮に棲む魔物と呼ばれる生物は常識を逸脱していて、口から火を噴くものや体が水でできているものもいるという。普通なら機関に認可された人間が重火器などで武装して挑むものと聞いている。財宝の中には特殊な力を得ることが出来るものもあり、その力で戦う人間もいるそうだが眉唾である。

 とにかくまともな武器も用意できないようなヤクザの手には余る案件だと思った。せいぜい拳銃を用意するのが限界だろう。


「オヤジ、本気なんですか?」


「あぁ、そうだ」


 正直な話、拒否したい気持ちもある。なんで俺がという気持ちの方が大きい。親の借金のせいでこんな目にあうなんてたまったもんじゃなかった。だがそれ以上に、無関係の自分をここまで育ててくれたオヤジに報いたい気持ちもある。


「……いつからなんですか」


 オヤジに聞いたつもりだったがタカさんが答える。


「そうだな、今日からだ。今は春休みだろ」


「……随分急な話ですね」


「急いでいるんだ。文句に付き合う時間はないぞ」

 

 ……言いたいことは分かる。なにせ「穴」についてはまだ分かっていることが少ない。機関が情報を止めていることもあるのだろうが、「穴」発生するようになってから数十年は経つのに「穴」の中がどうなっているのか未だに解明されてはないのだ。

 可能性の話ではあるが「穴」から魔物が出てくるということも考えられる。それほど分からないことが多すぎるのだ。

 だが、少なくてもヤクサが単身「穴」に入れば生きて出てこれる可能性は低いだろう。早々に魔物に襲われて餌にされる未来が手に取るようにわかる。

 恐怖はある。しかしオヤジに感謝しているのも本当だ。


「…………分かりました」


 こう言うしかなかった。

 拒否権がないのは呼び出された段階である程度察しがついていたことでもある。内容には驚かされたがやらなければいけないことはやらなければいけないのだ。と納得することにした。

 たとえ俺が死んだとしても。


 話が終わった後、ヤクサはタカに連れられていた。屋敷の下、つまりは地下室である。


「こんな部屋があったんですね」


「まぁここは俺とカシラ含め、あとは数人しか知らない部屋だ。お前が知らないのも無理はない」


 そこは屋敷には似つかない、コンクリートが敷き詰められた部屋だった。無骨な雰囲気と春にしては冷たい空気で満たされていて中には簡素なベットが置かれている。そのそばにはそれなりに大きなリュックが一つ。そして部屋の角には、ともすれば地獄にでもつながっているのではないかと思わせる不気味な「穴」があった。


「ベットは自由に使っていい、それと必要そうなものはその中に大体入ってる。それじゃあな」


 それだけ言い残してタカは部屋から出て行った。やけに響く足音が遠のいたのを感じてからヤクサは一息ついた。


「……とんでもないことになったなぁ」


 今自分に起きていることにあまり現実感がない。それもそうだ、極道の道に拾われた割にヤクサはその手の事柄に関わる機会がなかった。変な話だが借金返済の話も今までされたことがない。いままでがおかしかったのだと一人で納得した。

 とりあえずリュックの中身を確認してみることにする。リュックにはゼリーやらの携帯食料に寝袋、サバイバル道具一式が無造作に突っ込んであった。中身をひっくり返していると指先に硬質な手ごたえを感じる。


「……なんだこれ」


 引っ張り出してみるとそれがフィクションでよく見る拳銃であることが分かった。ここにあってもまぁおかしくないものに感じるが意外と軽量であり、そこに秘められた殺傷能力を想像して異質な感覚に妙な汗がにじみ出てくる。


「ちゃんと予備の弾も用意してあるんだな……」


 リュックの底を漁ると予備のマガジンが二本出てきた。すぐに装填できた方がいいと考え、ズボンのポケットに入れる。銃の方はパーカーの腹ポケットに入れておいた。ひっくり返した荷物はもう一度リュックの中に押し入れ、背中に背負う。準備は良さそうだ。

「穴」の前に立ってから一度深呼吸をする。


「……覚悟決めろ。俺……」


 意を決して足を踏み出すと地面の感覚が消え、ヤクサの全身を強烈な浮遊感が襲った。


 そして、ヤクサが「穴」に入った後、ゆっくりと穴が閉じていくのを天井にある黒い眼だけが確認していた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る