田舎令嬢、女騎士に追われる。

 本能が警鐘を鳴らし続けた状態で私はお屋敷の勝手口に触れようとした。その間、周囲に対しても感覚を張り詰める。それが功を奏した。


 暗い樹木の陰から圧迫感のようなものを感じた私は急いで何歩か後退する。直後、一瞬前まで私がいた場所に鈍い光を発した長い物が突き刺さった。


 樹木の陰の境まで下がった私はわずかな間を置いてそれが剣であることに気付く。それを突き出しているのは赤毛のショートヘアで目つきの鋭い女性だ。


 いつも見ているその顔を見ながら私はつぶやく。


「ピエレット様」


「ちっ、存外に勘がいいんだな。小娘ごときに躱されるとは思わなかったぞ」


「いきなり何をするんです! 刺さったら危ないじゃないですか!」


 忌々しそうに声をかけてこられたピエレット様に私は叫んだ。誰がどう見ても殺す気なのはわかっているけれど言わずにはいられない。


 最終的にはこの可能性もあるとは考えていた。でも、こんないきなり問答無用だとは思いもしなかった。


 私は睨み返しながら言葉を続ける。


「何のつもりですか?」


「オルガ様とダケール侯爵家の害になる虫を取り除こうとしているだけだ」


「だけだじゃないでしょう。私が何をしたっていうんですか?」


「春の小瓶を買ってきた使用人にぶつかった件、調理場から小瓶が消えた件、お茶会で焼き菓子をすり替えた件、すべてに関係する貴様が偶然その場に居合わせたなど信じられるものか」


「最後の焼き菓子の件は私がオルガ様に命じられたからじゃないですか」


「やかましい! それに今、こんな夜更けになぜ外へ出ようとするんだ?」


「それはちょっと、高いお酒を飲ませてあげたいお方がいまして」


「ならば昼間に持ち出して与えればいいだろう。この屋敷では別に逢い引き自体は禁止されていない。夜に出歩く理由自体がないぞ」


 うっ、今晩のピエレット様は鋭いですね。証拠がないという以外は大体当たっています。最初からこうだったら私はきっと手も足も出なかったでしょう。


「でもですね、いきなり証拠もなく殺すというのはいかがなものかと」


「王子殿下の婚約者選定は今大詰めを迎えている。ここで万が一を見逃すわけにはいかないのだ。そして、お前はその万が一に当たる。証拠など後でいくらでも揃えればいい。失った小瓶も屋敷を総当たりで探せば見つかるだろう。とにかく、貴様がちょこまかと動き回るのは危険なのだ」


 無茶苦茶な言い分だった。とりあえず殺すなんて!


 そういえば、ロランが言っていましたっけ。相手がいつも理性的な対応をしてくれるとは限らないって。これがそうなのね。


 今更実感しても遅いことだった。とりあえず、この場を切り抜けないといけない。


「でも、殺人事件になったら官憲の方がいらっしゃるから面倒なことになりませんか?」


「貴族の屋敷の敷地内はその当主の権限が優先されるのは当然だろう。捜査はこちらでやると言えばそれまでだ」


 そうだった。私は貴族にはいろんな特権があることを思い出す。お屋敷の中は貴族の領地そのもの。闇から闇へと葬るなんて造作もない。


 強ばる私の顔をご覧になったピエレット様が口元を釣り上げられる。


「理解できたか? ならば死ぬといい」


「嫌ですよ!」


 はいそうですねなんて言って死ねるわけがない。斬りかかってきたピエレット様の剣先から私は逃れる。武器を持っていない私に反撃の方法はない。これを皮切りに一方的な戦いが始まった。柔らかい月明かりの元、私は後ろに退きながら剣撃を躱し続ける。


 実家の山野で幼い頃から自主的に領地を見回りをしていたのは伊達じゃない。足腰は相応に鍛えられているから体を動かすのは得意なのよね。


 でも、まったく反撃できないとじり貧なのは確か。どうしよう。


「この、ちょこまかと!」


 怒りに顔を歪めたピエレット様が私に対して更に鋭く打ち込んで来られた。切っ先が切る空気の音がより鋭くなる。そのままでは躱しきれず、私は地面へと転がった。


 さすが本物の騎士様、ごっこ遊びで鍛えた私じゃすぐに対応できなくなってしまう。起き上がった私は躊躇わずに踵を返して走った。とりあえず逃げないと。


「貴様、待たんか!」


「待つわけないでしょ!」


 どうしてあんなでたらめな理屈で死ななきゃいけないのよ。元々人を毒殺しようとしたそっちが悪いのに!


 寝静まったダケール侯爵家の薄暗い敷地を私とピエレット様が走り回る。剣技では比べものにならないけど、体力ならば相応の自信があった。森でうり坊を追いかけ回したり原っぱで野犬に追いかけ回されていたりした積み重ねが今生きてくる。


 私は本邸を中心にその周りを走っていた。貴族のお屋敷は広いとはいっても、逃げ回るのに充分な広さがあるわけじゃない。ある程度大きさの障害物を盾に走り続けないとすぐに追いつかれてしまう。


 たぶん夜勤の兵隊さんはもう気付いていると思う。出てきたら助けを求めようかと思ったけれどやめた。立場を比べるとピエレット様の方が断然強いから、私の話はろくに聞いてもらえないでしょう。こういうとき立場が弱いと損よね。


 本邸の正門側に差しかかった。そのまま正面玄関の前を走りすぎる。ピエレット様との距離は少し開いた。私ほど足は速くないらしい。


 そうはいってもこのままだとじり貧だ。体力が切れたらもちろんのこと、そもそもお屋敷から出られなければ必ず追いつかれてしまう。


 でもどうやってお屋敷の外に出たら良いんだろうか。ダケール侯爵家のお屋敷の出入口は正門と勝手口の二箇所しかない。正門は立派な門で開けるのも閉じるのも手間がかかる。しかも確か開けるには錠前の鍵が必要だったはず。だから使えない。一方、勝手口は正門よりも簡単に開けられるし鍵も付いていないけれど、命を賭けた追いかけっこをしている今は開けている暇がない。だからやっぱり使えない。


 どうしよう、このままじゃ逃げられないわ!


 正面玄関の前からお屋敷の反対側に回り込んだ。こちら側には倉庫があり、その先に勝手口がある。壁に沿って並ぶ樹木の横をひたすら走る。


 あと何周走れるだろうか。そう考えてはたと気付いた。別に外に出るのに正門や勝手口を使う必要はないんじゃない?


 逃げる打算を思い付くと私は倉庫の裏手に入った。脚を緩めて暗闇の中で目を凝らす。かすかに見えた例の小瓶を拾った。その後は再び全速力で走る。どうせ計画は台無しになったんだから残りの手順はすっ飛ばそう!


「おとなしく死ね!」


「絶対に嫌!」


 力強く返事をした私はまっすぐ走り続けた。月明かりでわずかに見える樹木の中から登りやすそうな木を見極め、飛びついてそのまま急いで登る。ドレスのスカートが邪魔なのである程度たくし上げたせいで脚が痛い。


「貴様、そんなところに登っても、なんだと!?」


 割と太めの樹木に取り付いた私はそのまま登り、壁の向こうまで伸びている大きな枝の上を這うように進んだ。思いきり枝がしなってちょっと嫌な音を立てたけれど、どうにか壁の外へと飛び出す。


 体が宙に浮く何ともいえない感覚に顔をしかめながらも私は地面を見つめた。薄暗い生で距離感が曖昧だったけれど、自分の呼吸と着地の瞬間がぴったり一致したのは奇跡だと思う。


「シンディ!」


 勝手口近辺にいたロランが私に走り寄ってきた。顔色を変えて私を支えてくれる。


「どうして壁の上から飛んできたんだ!?」


「ちょっと昔を思い出して。それより、あちらの二人は?」


「王都の官憲だよ。今は夜の警邏中ってところさ」


 勝手口の近くで目を丸くしている官憲二人へと目を向ける私にロランが説明してくれた。自分で言った逢い引きの設定はどこにいったのかと問い詰めたいけれど、今はそれどころじゃない。


 私は手にしていた小瓶をロランに差し出す。


「これが前から言っていた毒薬の小瓶よ」


「ありがとう。さすがだな、シルヴィ」


「やっと終わったわ。って言いたいんだけれども、もう少しあるのよね」


「すぐに終わらせよう」


 手渡した毒薬の小瓶をロランが懐に入れると同時に勝手口が乱暴に開けられた。その勢いそのままにピエレット様が姿をお見せになる。


「貴様たちは何者だ?」


「俺はバシュレ伯爵家のロランだ。そっちの二人は王都の警邏隊だよ。そちらは?」


「私のことなどどうでもいい。早くその娘を渡せ!」


「夜中に王都を巡回していたら屋敷から突然使用人が飛び出してきて、更には剣を片手に血相を変えた騎士が現れた。とても無視できることではないな」


「思い出したぞ。貴様、先日学園でオルガ様に挨拶をしなかった小僧だな。確か、その小娘と知り合いだったか」


 私を庇うように立ったロランがピエレット様と対峙した。それに対してピエレット様は無言で剣を持って睨むばかり。


 剣呑な雰囲気が辺りを覆った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る