田舎令嬢、自分の気持ちを知る。
一番の目的である毒薬の小瓶をロランに渡すという役目は果たせた。けれど、事態はまだ予断を許さない。強引に事を終わらせようとしたピエレット様に私は命を狙われている。このままだと私は剣の錆にされてしまいかねない。
武器があっても力では勝てそうにない相手ピエレット様は今、私を背中に庇ってくれているロランと夜の王都を警邏中の官憲二人に挟まれている。普通ならこれでもう安心なはずだけれど、剣を抜いたピエレット様の形相を前にそんなことは思えなかった。
ロランに向かってピエレット様が剣を構える。
「なるほど、貴様もその小娘と繋がっていたわけか。夜中の王都を巡回などと笑わせる。後ろの二人も本物の官憲か怪しいな」
「おいおい、そこから疑うのか」
「ふん、学園の生徒を引き連れて夜の警邏などおかしいだろう」
「卒業後、俺が警邏隊に入るのが決まっていて今から仕事を任されているかもしれないぜ?」
「例えそうだとしてもまずは昼間の巡回あたりが妥当だろう。自分の従者に官憲の服を着せて私を欺いていると考える方がまだ信じられる」
「こちらの言い分なんて最初から信じないってわけか」
「当たり前だ」
取り付く島のないピエレット様に私は息を飲んだ。もう話す気はないと言わんばかりの態度だ。何が何でも私を殺す気なんだろう。
小さくため息をついたロランが腰の剣を引き抜いた。構えてから奥の二人の官憲に声をかける。
「二人とも、こいつの相手は俺がする」
「いえしかし、ロラン様」
「無茶を言っているのは承知の上だ。何かあってもお前たちの責任じゃないことは保証する。シルヴィ、悪いが今の発言の証言者になってくれ」
「うん、わかったわ」
「いい子だ。下がっていてくれ」
不安に思いつつも私は何歩か後ろに下がった。事実上の決闘に私は目を見張る。
人通りのない真夜中の裏通りで、使用人の私と官憲の二人に見守られたロランとピエレット様が黙って対峙した。薄暗い月明かりの下、両者がじりじりと距離を詰めてゆく。
「ああそういえば、まだ名前を聞いていなかったな」
「ふん」
「まるで賊を相手にするみたいだな」
「貴様!」
挑発するかのような会話をきっかけにロランとピエレット様の戦いが始まった。
先手を取ったのはピエレット様で、剣先が見えないほど鋭い突きを放つ。
そんな見えないはずの一撃をロランは躱し、反対に剣を打ち込んだ。
剣技を学んだわけではない私ではその後の戦いぶりは充分に追えなかった。暗くて見づらいというだけでなく、そもそも何をやっているかわからないし、たまに見えないときもある。どちらが優勢でどちらが劣勢なのかも判然としない。
それでも、戦う両者の向こう側に立っている官憲二人の顔を見ると、どちらもすごい戦いをしているというのは理解できた。
かつて幼い頃にロランと一緒に森や原っぱを駆け巡ったときのことを思い出す。あのときはいつも私が先頭に立ってあちこち歩き、ロランはいつもその後ろをついてきていた。弱虫でいつも泣きそうな顔をしていたけれど、そういえば本当に泣いたところは一度も見たことがなかったわね。
今、私の目の前で戦っているロランはあのときとはまったく違う。強いというのはもちろんだけど、ここまで強くなるためにたくさん努力したことは理解できた。そして、それは私のためにだと
何もできずに私は見ているだけ。何か手伝えることがあれば良いのにと思うけれど、何も思い付かない。同じ舞台の上に立てないことを残念に思う。
「ああ、そっか」
ますます激しくなる戦いを見ながら私はやっと気付いた。ロランの告白を何となく受け入れられなかったその何となくというものが何かはっきりとする。
わかってしまえば本当につまらない、そしてひどい話。かつての弱虫の面影を引きずり、今も弟分としてしか見ていなかったんだ。お互いを対等な関係として見ずに、しかも無意識だから気付きもしなかった。ロランは一生懸命になって訴えていたというのに。
それに対して私はどうなのか。幼い頃に別れて以来、ロランと同じように努力して自分を高めようとしてきたか。頑張って生きてきたことは確かだけれど、努力はどうだろう。
戦いは優劣がはっきりとしてきた。ロランがピエレット様を押してきている。何もなければこのまま勝負が付くんだろう。
その姿を見ているとロランが格好良く見えてきた。容姿が整っているという意味では今までも格好良く見えたんだけど、そうではなくて、なんとうか、そのまっすぐな生き方が。
色々と考えて私が今までに気付けなかったことに気付いた頃、ロランとピエレット様の戦いに決着が付いた。ひときわ甲高い音が響いたかと思うと、ピエレット様の剣がはじかれて地面に落ちる。
「馬鹿な、こんな、小僧に」
「年齢だけで強さが決まるわけじゃないってことさ」
呆然とするピエレット様にロランが剣を突きつけていた。誰が見ても勝負は明らか。お屋敷からやって来たらしい兵隊さんも呆然とその様子を見ている。
私は体の力を抜いた。同時にお酒の入った小瓶を握りしめていたことを思い出す。
ロランが剣を降ろす様子を見ていると、ピエレット様が私へと顔を向けたことに気付いた。次第にその目に力が戻るところも目の当たりにする。
「貴様、その小瓶は」
「え、これは、お酒が」
「その小瓶を寄越せぇぇぇ!」
突然叫びだしたピエレット様が私めがけて突進してきた。なぜか故郷の森で猪に突っ込まれたことを思い出す。
驚いた私は何歩か下がったけれどピエレット様の方がはるかに速い。一気に距離を詰められて目前まで迫られた。顔を引きつらせた私は猪を避ける要領で横に避けようとする。
ところが、猪とは違って人間は二本脚で走り、更に腕は横にも延ばせることを私は忘れていた。突っ込んで来たピエレット様そのものは躱したけれど、延ばされた手で左の二の腕を掴まれてしまう。
「あぅ!」
「小娘ぇ!」
「シルヴィ!」
ロランの叫び声を聞きながら左の二の腕の痛みに私は耐えた。人とは思えない形相のピエレット様に睨まれて足がすくむ。このままだとひどいことをされかねない。
頭が混乱する中、私は右手に小瓶を握っていることを思い出した。入っているのはお酒だけれども、今のピエレット様はそう思っていない。それならば。
逃げようとする私と掴まえようとするピエレット様がくるくると回る。その間に私は何とか小瓶の蓋を開けた。そして、中身をピエレット様の顔にかける。
「この毒がほしいんですか!?」
「うあ! 貴様! いや、これは酒!?」
気付かれる一瞬前に緩んだ相手の手を振り払い、私はピエレット様から離れた。その直後、ロランに体当たりされたピエレット様が地面に倒れるのを見る。
「お前ら、こいつを捕らえろ!」
「はっ!」
「シルヴィ、無事か!?」
「ええ、何とか。せっかく分けてもらったお酒はなくなっちゃったけれど」
「そんなのはどうでもいい。何ともなくて良かった」
尚も暴れるピエレット様を官憲の二人が取り押さえた。ダケール侯爵家の兵隊さんと問答していたようだけれど、それを放り出してこちらにやって来る。
その脇で私はロランに抱き寄せられた私は自分のことで精一杯だった。てっきりもう終わりだと思っていたのに、まさかピエレット様に襲われるなんて思わなかった。ああまでして毒薬の小瓶を取り戻そうとするなんて。
たまたま同僚とぶつかったときに割れた小瓶にも毒薬が入っていたとしたなら、私は春以来ずっと毒薬に振り回されていたことになる。全然関係のないところで進められていた陰謀に巻き込まれて大変な目に遭い続けてもう散々よ。
「シルヴィ、大丈夫か?」
「ああ、ごめんなさい。ちょっと力が抜けちゃって」
「仕方がないさ。あんな怖い目に遭ったんだからな」
「殺されそうになるなんて今回が初めてよ。もうこれで最後にしたいわね」
力が抜けそうになる体に何とか活を入れて私は立ち上がろうとした。このままじゃ歩くこともままならない。
「それじゃシルヴィ、警邏隊の詰め所に行こうか」
「私が? どうして?」
「剣を持った女騎士が屋敷から飛び出してきて使用人を手打ちにしようとしたところを俺たち警邏が止めたんだぜ。捕まったあいつはもちろん、被害者のシルヴィも重要参考人として事情聴取しないといけないしな」
「このままお屋敷に戻れないんだ」
「戻ったら戻ったで面倒だろう。あれを見ろよ」
促されて目を向けた先にはダケール侯爵家の兵隊さんたちがいた。事情が良くわかっていない様子だけれどあまり良い印象は受けない。
状況を理解した私はロランの言葉に従う。けれど、警邏隊の詰め所へと向かう間、私はできるだけロランの顔を見ないようにしていた。
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