田舎令嬢、女騎士を出し抜こうとする。

 お茶会の後、私は普通に学園で学び、お屋敷で働いていた。自分で隠した毒薬の小瓶を早くロランに渡したかったけれど、ピエレット様の監視が思いの外厳しくて行動に移せなかった。けれど、それも今日で終わり。


 学園からお屋敷に戻ってきた私はいつも通り働いた。ピエレット様は相変わらず私を見張っておられ、同僚は以前よりもよそよそしくなっている。今のところ仕事に差し障りはないけれど、監視が続くとどうなるかわからないわね。


 その日も一日の仕事が終わり、調理場で夕食を食べる。けれど、この日はかなり遅めに時間をずらした。食事は私が最後になるくらいに。


 調理場のあちこちで料理人が後片付けをする中、私は自分の夕飯を食べていた。その間も料理長のオーバンさんの様子を窺い、近くにやって来たときに話しかける。


「オーバンさん、このシチューおいしいですね」


「そうだろう。何しろ今日のシチューには珍しく手に入った香辛料を入れてるからな。ひと味違うんだ」


「そんなの賄いに入れも良いんですか?」


「実は鮮度の落ちてきたやつをまとめて入れたんだよ。旦那様の料理にそんなの使うわけにはいかないだろ?」


「なーんだ」


 たまに良い材料が賄いに使われていることがあるけれど、大体そういうときは食材が傷んでいたりご主人様の舌に合わなかったりという場合が多い。今回も似たような感じね。


「でも、この前私が夜中に調理場を通りかかったときに、焼き菓子のおいしそうな匂いがしたんですよ。あれを次に焼くときがあったら味見させてくださいね」


「あ、ああ」


「あれを召し上がったイレーヌ様がお褒めになられていたから、気になっているんですよ」


「あれを召し上がった!?」


「はい。どうされたんですか?」


「いや別に。しかし、どうしてお前が知っているんだ?」


「だってオルガ様からあの焼き菓子を渡すように命じられたのが私だからですよ」


「お前そんなことをしていたのか!?」


 自分が作った毒入り焼き菓子を公爵令嬢様に食べさせたって目の前で言われたら、それは驚くわよね。中身はすり替えたんですけれど。


「シルヴィ、それでイレーヌ様は今どうされているんだ?」


「どうって言われても、お茶会が終わった後はいつも通りにされているんじゃないですか?」


「まぁそうだよな。そうか、生きていらっしゃるのか」


「どういうことですか?」


「なんでもない。はは、焼き菓子を食べたくらいでどうにかなるなんてこと、あるはずないもんな。ところで、そのお茶会の前日の夜中になんでお前はピエレット様に問い詰められていたんだ?」


「それが全然わからないんですよ。理由を聞いても教えてくださらないし。今だってたぶん入口辺りで私のことを見張っているはずですよ」


「そういえば、最近ずっとお前のことを見ているって聞いたことがあるな」


「あのせいで同僚にも避けられるようになったし、もう最悪ですよ」


 だいぶ打ち解けてきたと私は感じた。そろそろ本命のお願いをする。顔を近づけ声を小さくした。こうすると片付けの音で外から声は聞かれにくい。


「ところで、オーバンさん、ひとつお願いがあるんですが」


「なんだ?」


「先日の週末にご主人様がご友人を招待した晩餐のときにお出ししたあのお酒、まだ残っていますよね。あの棚にある小瓶にわけて味見させてもらえませんか?」


「シルヴィ、お前あの酒に興味があるのか?」


「実は、お友達の男の人にあのお高いお酒を飲ませてあげたいなぁって思いまして」


「ははぁ、シルヴィも年頃だもんな。そういうこともあるか」


「ただのお友達ですからね、変な想像はしないでください」


「高級酒を飲ませたいただのお友達ね」


「それと、小瓶はみんなが寝静まった夜中にここへ取りに来ます。今もらってもピエレット様に取り上げられそうですから」


「わかった。それなら、あの小瓶の棚の一番左端の手前に酒を入れたやつを置いておく」


「ありがとうございます」


「これくらい構わんさ」


 最近は見られなかった心底明るいオーバンさんの笑顔を私は久しぶりに見た。うん、やっぱりこのおじさんはこうやって笑っている方が似合う。


 ちょっとした密約を交わした私は残りの夕食を食べ終わると調理場を後にした。




 深夜になった。使用人の部屋には同僚が眠っている。最近はみんなとの距離が少し離れて悲しいけれど、今はそれを無視して起き上がった。


 夜のお屋敷内はいつも暗い。ほとんど何も見えないから経験と勘で進むことになる。


 廊下をゆっくりと歩き、調理場にたどり着くと中に入った。食材、香辛料、料理、油、水気などが混ざった匂いがする。人によっては臭いかもしれない。


 そんな調理場内を静かに歩く。小瓶の棚にはたくさんの小瓶が並べられていた。その中から一番左端の手前にある蓋が閉じられた小瓶を手にする。軽く振ると液体が揺れる感触がして、蓋を開けると酒気が鼻を突いた。


 密約が守られていたことに安心した私はそれを手に踵を返す。幸先は良い。


 調理場から出る前に廊下に頭だけを出した。周囲に目を向けてみたけれど暗くてほとんど見えない。ただ、何かがおかしいように思える。


 誰もいなさそうに思える廊下に出ると私はお屋敷の外に出る扉へと足を向けた。何回か夜のお屋敷の中を歩いているけれど、この不気味な雰囲気には慣れないわね。


 多少気が逸れつつも扉の前に立つとゆっくり外へと開ける。最近は満月が近づいているから遮る物がなければいくらか明るい。顔を半周ほど巡らせると周りがよく見えた。太陽の日差しとは違ってすべてが幻想的に見える。


 しばらくぼんやりとその風景を眺めていた私は軽く首を横に振った。今はのんびりとしている場合じゃない。


 お屋敷の脇に沿って続く石畳の上を私はゆっくりと歩いた。後ろめたいことをしている自覚があるせいか、自分に落ち着きがないことを感じている。


 私は分岐路で立ち止まった。ここからまっすぐ行けば厠に続き、左手に向かえば裏の勝手口と倉庫に続いている。左手の方は途中でもう一度分岐していて、そこを曲がると裏の勝手口が先にあった。


 計画ではここから倉庫に向かって怪しい動きをしてピエレット様に見つかって、ってあれ?


 先程から感じていたおかしさが具体的な言葉になって私は首を傾げる。


「ピエレット様は?」


 私と同僚の仲がおかしくなるほど毎日監視していた方が今日に限って姿を現さない。前は夜花を摘みに行ったときにでさえ私を見張っていたのに。


 まさか今晩は本当に見張っていない? でも、今日の仕事のときはしっかり見張られていたわよね。


 今まで微妙に見える位置で見張っていた人が姿を見せなくなるというのは落ち着かない。前提条件のひとつが崩れる不安になる。


 これが本当に監視されていないというのならば問題はない。さっさと毒薬の小瓶を手に取ってロランに渡してしまえば良い。問題はどこかに潜んでいるときね。そもそもその意図は何だろう。単に見張り方を変えただけなのかな。


 黙っているので周りはとても静か。でも、今はこの静けさが何よりも不安をかき立てる。


 こんな状況は考えていなかったのでどうしたら良いのかわからなかった。ただ、何となくこのまま計画通りに倉庫へ向かうのは良くないような気がする。


 色々と考えているうちに、ふとロランのことを思い出した。朝に打ち合わせたとおりならば、ロランは今頃勝手口の向こう側にいるはず。


 一人はどうにも心細かった私は待ってくれているはずのロランと一旦会うことにした。もし、ピエレット様と出会わなければ、勝手口を開けたまま毒薬の小瓶を取りに行けばいいしね。


 方針が決まると深呼吸を一回してから歩き始めた。ロランにさえ会えれば何とかなる。


 普段、勝手口を使っているときは屋敷からそれほど時間をかけずにたどり着けた。ダケール侯爵家のお屋敷が広いとはいっても、王都内にある以上はその広さも限られている。単純に広さだけを比べれば、私の実家のお屋敷の方が広いくらいだからね。


 でも今は、その距離が遠く感じられる。さっさと脚を動かせば良いのはわかっているけれどもそれができない。


 厠に続く道から左に曲がり、途中もう一度右に曲がってまっすぐに進む。見慣れている小道がいつもとはまったく違うように見える。勝手口近くは樹木が植えられているのでやたらと暗い。


 やっと勝手口にたどり着いた。進んでみれば何ともない。後はかんぬきを外して扉を開けるだけ。難しいことなんて何もない。


 だというのに、私の感覚はやたらと張り詰めていた。何もないはずなのに何かあると感じている。でも、それが何かわからない。


 全身が警鐘を鳴らしていたけれどこのままじっとしているわけにはいかない。私は手で勝手口に触れようとした。

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