幕間3

高貴な人々は起きた事柄に対応する。

(伯爵子弟ロラン)


 ちくしょう!


 俺は地面の小石を蹴り飛ばした。ここ数日は事態がが急展開してきて対応が後手に回っている。いや、最初から先手なんて打てていなかったな。


 本来なら、俺はイレーヌ様とオルガ様の争いをのんびりと周辺で見物しているはずだった。今の俺には雲の上の出来事だったからな。


 ところが、シルヴィがこの件に巻き込まれてしまったことから事態は変化した。そもそもがダケール侯爵家で使用人として働いているというのが俺からすると問題なのだが、それはとりあえず置いておこう。厄介なのは、ダケール侯爵家側が仕掛けた陰謀らしきものにシルヴィが割と致命的な関わりをしている点だ。


 最初は偶然小瓶を割り、次いで偶然毒入り焼き菓子を作っている場面に遭遇する。いくら相手の屋敷に住んでいるからといってこれはできすぎだろう。シルヴィが内偵なら満点だ。


 もちろんこれは危険なことだ。相手にシルヴィの存在が知られてしまうわけだから、最悪排除、良くても利用くらいはされてしまいかねない。


 というより、どうやら完全に目を付けられてしまったようだ。母方の実家についてばれてしまったせいで、ついにはオルガ様の陰謀に利用されてしまいそうになる。

さすがに俺は焦った。自分の好きな女に危険なことをさせるのは思いきり気が引ける。しかも、自分は大して何もできないということに腹が立った。


 ダケール侯爵家の様子を外から窺いながら何かできることはないか探していると、イレーヌ様とオルガ様がお茶会をする当日にシルヴィから思い切った提案をされる。内容を聞いた俺は不安だったが、当人が何よりも決心を固めていたから賛意を示す外なかった。


 呆れた俺がため息をつく。


「お前、よくそんなことを思い付いたなぁ」


「イレーヌ様を助けて、なおかつ毒入り焼き菓子を手に入れるにはこれしかないでしょう? しかも、うまく隠し通せたらオルガ様たちは何が何だかわからないままよ」


「シルヴィばっかりが危ない目に遭うのは何とも」


「男が入る余地なんてないんだから仕方ないわ。それに、もう準備は途中まで進めているから、今更止められないわよ」


「昨日までとは違って、今日のお前は迷いがないな。どうしてそんなに積極的なんだ?」


「ちょっとね、オルガ様のやり方が気に入らなくなったのよ」


「気負いすぎるなよ」


 こうなると、俺はせいぜい軽く忠告するくらいしか言えなかった。


 今回のシルヴィの計画では俺にもやることはあるのですぐに動く。まずは王都にあるバシュレ伯爵家の屋敷に使いを出し、次いで弟に今回のあらましと事後の報告を約束する手紙を急いで書く。そして、やや強引にイレーヌ様へと面会を求めた。


 光華館の本人の部屋で人払いを済ませてもらってから本題に入る。


「講義を休んでまでお伺いする価値のあるお話とは、一体どのようなものでしょうか?」


「今日の放課後にあるオルガ様とのお茶会の件です。端的に言いますと、オルガ様があなたを亡き者にしようとされています」


「オルガ殿が?」


 さすがに自分の命がかかっていると伝えられてイレーヌ様も興味が湧いたようだ。俺はシルヴィから聞いた話を中心に事のあらましを話した。更には、シルヴィが考えた作戦を伝える。


「事情は承知しました。わたくしを助けてくださるというのですから、喜んで協力いたしますわ」


「感謝します」


「ただ、今回の件で毒入り焼き菓子を手に入れても、それだけでは罪に問えませんわよね。そんな物は知らないと言われればそれまでですから」


「確かに、物的証拠と人を繋げるものがなければ、貴人の罪は問うことすらできませんからね。まぁそれでも、やりようはあります。そのためにもまずは証拠を得ないと」


「シルヴィにばかり危険なことをさせていますわね、わたくしたち」


「そうなんです。だから胸が痛くてしかたありませんよ」


「まぁそれは」


 イレーヌ様から面白そうに笑われたが苦笑いするのが精一杯だった。


 ともかく、これでイレーヌ様の方はどうにかなった。事前準備もすべて済ませ、放課後を迎える。


 計画では俺も役割があった。すり替えた毒入り焼き菓子を受け取るというものだ。シルヴィの危険を減らすためであり、オルガ様たちが動けないうちに毒入り焼き菓子をあちらの手の届かない場所に移すためでもある。


 今日の最後の講義が終わると俺は光華館へと向かった。目指すはオルガ様の部屋と繋がる使用人の部屋の窓だ。その横の壁にもたれかけて待つ。


 しばらくすると窓が開いた。そして、女の使用人が俺を見て目を見開く。声をかけようとしたところで首を引っ込められたので何も言えなかった。あれがシルヴィの言う協力者なのだろう。次いでシルヴィ本人が顔を出した。手を振ると袋を突き出される。


「はいこれ。片方に毒入り焼き菓子が入っているから。食べちゃ駄目よ」


「シルヴィの手作りじゃないのに食うもんか。今度俺のために作ってくれよ」


「時間があったらね。それに、あんまりおいしくないかもしれないわよ?」


「お前が作ってくれるんだったら何だっていいさ」


「それじゃ、早く行って」


「後は任せた。頑張れよ」


 小さい声で声援を送ると俺は足早にその場を離れた。とりあえず、これで自分の役目は果たせそうだ。残るはシルヴィがダケール侯爵家の敷地に隠した小瓶の回収だけになる。これさえうまくいけば犯人たちを追い込めるだろう。


 俺はシルヴィの無事と成功を祈りながら王城へと向かった。




(侯爵令嬢オルガ)


 わたくしの護衛騎士は案外使えないのかもしれない。最近そう思えてきました。もちろんピエレットの本業はわたくしの護衛であることは承知しています。しかし、簡単な使いさえもできないとなると、やはり評価を下げざるを得ません。


 以前、使用人に毒薬を購入させて小瓶を割られてしまったのに続き、今度は毒入り焼き菓子を料理人に作らせた後に毒薬の小瓶を紛失してしまったのです。目的の物自体は手に入りましたが、一体何をしているのかと思わずピエレットを問い詰めました。料理中はやることがないからとわたくしの護衛に戻るとは。


 その件は一旦脇に置きつつ、わたくしはお茶会当日を迎えました。使用人として働いているシルヴィに焼き菓子を持たせます。田舎娘らしくお茶会の規模の大きさにおののく姿には呆れましたが、特に言うべきこともなくそのときがやって参りました。


 庭園に向かうとイレーヌ様に迎えていただきました。そこから挨拶に入り、やがて頃合いを迎えます。


「まぁそうですの。ところでイレーヌ様、今日は大変不思議な縁というものをご紹介したいと思いますの」


「それはどのような縁でしょうか?」


「こちらの者はわたくしのお屋敷で使用人として働いているシルヴィと申す者です」


「アベラール男爵家のシルヴィです」


 所作に関しては充分なシルヴィが一礼をすると、わたくしはその素性を開陳しました。イレーヌ様をちくりと刺そうとしましたが躱されてしまいます。まぁ良いでしょう。


「そうでしたの。そういえば、シルヴィ、あなたは今日のために用意した物があるそうね」


「はい、イレーヌ様に食べていただこうと思い、焼き菓子を焼いて参りました」


「せっかくですから、ここでお渡しをしてはどうかしら」


 さぁいよいよです。シルヴィが言いつけを守らずイレーヌ様へ直接手渡ししなかったのは少し不快でしたが、神はわたくしに微笑んでくださったようです。


「リゼット、それをこちらへ」


「イレーヌ様? しかし」


「わたくしの従姉妹が作ってくださった焼き菓子です。心配することなど何もないでしょう」


 我が事成れり!


 イレーヌ様が毒入り焼き菓子を口にされた瞬間わたくしは心の内で歓喜しました。これで王妃の座はわたくしのものです!


 ところが、いくら待てども毒の効果は現れてきません。一体なぜ?


 結局、イレーヌ様はご無事なままお茶会は終わりました。何が起きたのかわたくしにはさっぱりわかりません。ピエレットにシルヴィを問い質させましたが怪しい点はなかったとのこと。


 本当に?


 思えばあのシルヴィは、最初に毒薬の小瓶を持った使用人とぶつかり、買い直した毒薬の小瓶が消え失せた直後に夜花を摘みに行ったと言ってその場に居合わせ、今また毒入り焼き菓子をイレーヌ様に食べさせたにもかかわらず効果がありませんでした。


 これは本当に単なる偶然でしょうか?


 あまりにも偶然が重なりすぎているように思えてなりません。


 そこで、紛失した毒薬の小瓶の捜索に加えて、ピエレットにシルヴィの監視を命じました。もしかしたらもしかするかもしれないので。


 あの者が単なる田舎娘なのか、それとも明確な意図を持ってわたくしを妨害しているのか見極める必要があります。

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