田舎令嬢、陰謀の一端に触れる。

 何か起きるかもしれないと思いながら仕事に臨んだ私だったけれど、その日も何事もなく終わった。料理長のオーバンさんは相変わらず元気がないけれど、ピエレット様に不審な点があるという話は誰もしていない。


 何も知らなければ本当にいつも通りの一日だったので、明日のお茶会は普通に催されるのではと思い始めた。ぎすぎすしたお茶会なんて嫌だけれど、何か企まれたお茶会よりはましよね。間違っても参加なんてしたくないけれど。


 調理場で夕食を取り、使用人の部屋で同僚とおしゃべりをし、それから横になった。今日も一日が終わり、起きたら明日が始まる。




 目が覚めると周囲は真っ暗だった。朝にはほど遠い、というよりこれは真夜中よね。


 周囲からは穏やかな寝息と寝返りを打つ音がかすかにする。


 そんな中、私は下腹部に圧迫を感じていた。お花を摘みに行きたいという欲求が強くなる。しばらく悩んだけど、結局諦めて寝台から起き上がった。


 寝ているみんなを起こさないよう私は静かに使用人の部屋を出る。もちろんほとんど見えないくらい暗い。目が暗さに慣れていて、更には勝手知ったるお屋敷の中だからこそ廊下を進める。


 ちなみに、部屋に桶を用意して用を足すお屋敷が多い中、ダケール侯爵家のお屋敷は屋外に汲み取り式のかわやがあった。これはかつて人の多い使用人の部屋で桶を蹴飛ばす事件が何度か発生したせいだと聞いている。そのため、私たち使用人は普段この屋外で用を済ませていた。


 その場所へと私は向かおうとしていた。それにしても、暗い室内って明るいときとは全然印象が違うわね。なぜか音を立てるのが憚られてしまう。必要ないはずなのに足音を立てないようゆっくりと歩いた。


 同じ距離をいつもより時間をかけて歩いていると調理場に差しかかった。屋敷の外に出る扉はその先にある。


 さっさと通り過ぎようとした私だったけれど、調理場から明かりが漏れているのが見えた。もしや誰かがつまみ食いをしている?


 気になった私は扉の隙間から調理場の中を覗いた。すると、何とか料理長のオーバンさんと女騎士ピエレット様の二人が話をしている。


「なぁ、ピエレット様、本当に作らなきゃいけないのか?」


「そうだ。どうしても必要なのだ。貴様もこの屋敷で働くのなら、主人のために役立つべきだろう」


「そりゃそうだが、毒入りの焼き菓子なんて誰に食べさせるんだ」


「それは貴様の知るところではない。」


「ワシは自分の料理を食べて喜んでもらうために作ってるんだ。殺すためじゃない」


「ええい、さっきから同じ事を何度も繰り返すな。お嬢様の勘気に触れたいのか」


 聞いてはいけないことを聞いた気がした。けれど、これは正に陰謀の一端じゃないの。たぶん、オルガ様の部屋で聞いた話の続きだ。まさかこんな実際の現場を見ることになるなんて。


 どうするべきか迷った私だったけれども、そのとき下腹部により強い圧迫を感じた。そして、自分が今何をする所だったのかを思い出す。


 まさかここで漏らすわけにもいかないので、私はそのまま足音を忍ばせてゆっくりと外に出た。そうして、緊張で凝り固まった体の力を抜く。


「うっ、まずいわ」


 力を抜きすぎて危うくなった私は急いで厠へと向かった。まずは何はともあれ、すっきりとして自分の体を落ち着きのある状態にしないと。




 すっかり体が軽くなった私は厠を背に立っていた。暗闇の中、わずかに見える屋敷の輪郭を眺めながら考える。


 さっき調理場で見た光景は衝撃的だった。ピエレット様がオーバンさんに毒入り焼き菓子を作らせようとしていた。しかも、あの言い方だとオルガ様の命令で。


 ということは、もしかして明日のお茶会でその作った毒入り焼き菓子をイレーヌ様に食べさせようとしているの? しかも私がそこに絡むということは私が食べさせる?


 冗談じゃないわ、そんなことをしてたまるものですか!


 何とかして回避しないと、イレーヌ様が死んで私は破滅してしまう。


 どうしようかしばらく考えた後に、私はお屋敷の外を回って調理場にたどり着いた。窓からはかすかな光が漏れていて、焼き菓子を作る音もいくらか聞こえてくる。


 一番良いのは毒入り焼き菓子と毒の入った入れ物を奪ってしまうことね。これを取り上げてしまえば悪いことはできなくなるし、ついでに証拠も手に入る。でも、そんな都合良くやれるとも思えない。


 だったらどうするべきかと考えるけど妙案は浮かばないまま。


 壁の向こうでオーバンさんが焼き菓子を作る音を聞きながら私は壁にもたれて座り込んだ。大きなため息をついてうなだれる。このままじゃ、犯行を目の前にして何もできない。


 色々と考えているとそのうちまぶたが重くなり、やがて意識が落ちる。


「はっ!?」


 いつの間にか眠っていた私は目を覚ました。周囲は相変わらず暗いのでまだ朝は迎えていないらしい。ゆっくりと立ち上がると小さなあくびをする。


 どのくらいの時間が過ぎたのかさっぱりわらかない。ここで何をしていたのか思い出す。随分とのんきに思えたが、普段は寝ている時間なんだから仕方がないと思う。


 これからどうしようかと考えて何気なく壁を見た私は、向こう側から音がしていないことに気が付いた。ほんのりと焼き菓子の匂いがする。おいしそうなんだけれども、毒入りだということを思い出して慌てて鼻に手を当てた。


 焼き菓子が完成したらしいことを知った私は意を決して屋敷内へと戻る。そして、調理場の中を覗き込んだ。


 明かりは相変わらず漏れているけれども中に人は誰もいなかった。ピエレット様はもちろん、オーバンさんも。周囲を見て誰もいないことを確認すると中に入る。


 香ばしい焼き菓子の匂いがする調理場には使い終わった道具が机の上に置いてあった。どれも実際に使われているところを見たことがある物ばかり。でも、そんな道具たちの中で、とある小瓶だけ見覚えがなかった。


 不思議に思って手に取ってみたけれど、小瓶の表面には何も書かれていない。瓶詰めの調味料や香辛料の場合は、文字か絵、あるいは模様で中身が区別できるように大抵なっている。


「もしかして、これが?」


 何となくこれが毒の入った小瓶だと私は思った。中身は見えないけれど小さく振ってみて液体が入っていることがわかる。調味料や香辛料は粒だし、蜂蜜は振ってもこんなに動かない。やっぱりこの小瓶の中身は普段ここで使われているものじゃない。


 私はこれを持ち出すことにした。とはいっても、今すぐ敷地の外に出て誰かに渡すということはさすがにできない。でも、ずっと持っているのも危ない。これが毒の入った小瓶だとしたら、なくなったと知ったオーバンさんやピエレット様は探し回るだろう。身体検査や持ち物検査だってされるかもしれない。


 とりあえず私は屋敷の外へと足を運んだ。そうして、倉庫の裏手に回って隠す。ここなら普段は誰も来ないからめったなことでは見つからないはず。


 当面の難を逃れた私は再び屋敷の中へと戻った。今度こそ使用人の部屋へと戻れる。朝までどのくらいあるのかわからないけれどぐっすり眠ろう。


 そう思っていたけれど、最後の最後で運が離れていったらしい。廊下の向こう側から明かりを持ったピエレット様がこっち向かっていらっしゃる。


「そこの貴様、止まれ」


「はい。どうしたんですか?」


「そこで何をしていた?」


「厠に行っていたんですけれど」


「使用人の部屋からあそこまで行くならこの廊下を通る必要があるが、先程からここを通った者を見かけもしなかったし、足音もしなかったぞ」


「私が厠に行ったときは廊下に誰もいませんでしたけど。でも、調理場ではオーバンが焼き菓子を作っていらっしゃいましたね」


「結構前に通ったのか」


「はい。その、恥ずかしいんですけど、ちょっとお腹が悪くて長居してしまって」


 言いにくそうに返答するとピエレット様は顔をしかめた。そして、調理場からは顔色の悪そうなオーバンさんが姿を現す。


「ピエレット様、やっぱり見つかりません」


「貴様は黙っていろ。早く調理場に戻れ。それでシルヴィ、どうして焼き菓子を作っているとわかったんだ?」


「匂いです。調理場とその周りは焼き菓子の甘い匂いがしているでしょう?」


「そうか。最後に身体検査をする。じっとしていろ」


 宣言したピエレット様は明かりを脇に置くと私の全身を丁寧に探し回った。もちろん何も出てくるはずはない。


 何も出てこないとわかると、私は苦々しげな顔をしたピエレット様にこの場から立ち去るように命じられた。一礼するとその言葉に従う。


 使用人の部屋に戻った私は大きな息を吐き出した。そのまま寝台に倒れ込む。とりあえずこの場はしのげた。


 次はどうなるのかと思いながら私は天井を見つめた。

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