第3章 陰謀編

田舎令嬢、火中へと放り込まれる。

 今日も私はダケール侯爵家のお屋敷で働いている。夕方に学園から戻ってきて、家政婦のカロルさんに指示をもらいながら動き回っていた。


 その仕事も日没直前には終わって夕食となる。朝食や昼食とは違って後は寝るだけなので私たち使用人の表情は明るい。


 食事を済ませた私はコレットと一緒に使用人の部屋へと戻る。みんな寝るまでのわずかな間はおしゃべりに忙しい。


 私は思いきり背伸びをして自分の寝台へと座る。


「終わったぁ」


「最近はお屋敷の中がぴりぴりしてきて嫌よねぇ」


「早くマルセル殿下の婚約者選びが終わってほしいわ」


「他人事だと誰が選ばれるのか予想するのが楽しいんだけど、不機嫌なご当主やお嬢様とすれ違うときは緊張するわね」


 緩みきった私とコレットは好き放題しゃべっていた。でも、気にする同僚は誰もいない。周りのみんなも同じだからね。


 そうして一時の花を咲かせていると突然家政婦のカロルさんが部屋に入ってきた。めったにないことなので全員が口を閉じてカロルさんへと顔を向ける。


「シルヴィ、仕事です。来なさい」


「えぇ?」


 まさかの命令に私は愕然とした。もう後は眠るだけだと思っていたのに。隣に座るコレットは思いきり同情の眼差しを向けてくる。それなら代わってくれないかしら。


 家政婦の命令に逆らえるわけもなく、私は渋々立ち上がって部屋を出た。廊下で振り向いたカロルさんが私に告げてくる。


「オルガ様の部屋付きの使用人が一人体調不良で倒れたので、あなたが代わりを務めなさい」


「私、色々とお手伝いをしてきましたけど、部屋付きの仕事はしたことないですよ?」


「そんなことは知っています。今いる使用人の中で、所作が上位貴族にも通用して容姿も整っているのはあなたしかいないから命じているのです。オルガお嬢様が部屋に戻られる前に行きなさい」


「わかりました」


 有無を言わせぬ口調ながら理由を説明してもらった私はすぐにお屋敷の二階へと上がった。前に掃除をしたときにオルガ様のお部屋には入ったことがあるので場所は知っている。


 静かに中へと入ると部屋の隅に三人の部屋付き使用人が立っているのを私は目にした。物の陰になるような場所なのでわかりにくい。


 あらかじめ知っていた私はそちらへと向かう。


「倒れた人の代役で来たシルヴィです」


「あなた、部屋付き用のドレスはもらっていなかったの?」


「え? はい」


「それじゃこっちに来て」


 オルガ様の部屋付き使用人のまとめ役であるソレーヌに続いて私は使用人の部屋に入った。そこで三人が着ているものと同じ仕事着を手渡される。


「シルヴィ、着替えながら聞いてちょうだい。部屋付きの仕事は、ここだとお嬢様のために室内の雑事をこなすことになるの。使用人の人数は四人、あなたは倒れたロザリーの代わりね。予定ではお嬢様が翌朝学園に出発なさるまでよ」


「私も学園に登校しないといけないんですが」


「明日の朝は諦めて。それで、一晩中交代しながらお嬢様にお仕えすることになるの。ただし、いきなりやって来たあなたをお嬢様の前に出すことはしないわ。あなたにしてほしいのは裏方の仕事よ」


「夜勤の交代要員が必要だけれど、不慣れだから裏方の仕事だけを担当するわけですね」


「その通り。だからあんまり緊張しなくてもいいわよ」


「最近オルガ様はぴりついているって聞いていたから安心しました」


「裏方の仕事でもやらかすと怒られるのは私たちだから気を付けて」


 一部言いたいことはあるものの、思ったほど厳しくなさそうなので私は安心した。


 服を着替え終わった私はそこからソレーヌに裏方の仕事を教えてもらう。作業そのものは大体やったことのあることばかりだけど、問題は貴人に直接ご提供したことはないってことね。この点はソレーヌたちが最終確認をすることになった。


 ということで、私は基本的に使用人の部屋で待機することになる。表に出るときはお嬢様が就寝された後、交代で休憩するときの要員としてのみ。なので、同じ部屋にいながらもオルガ様とは顔を合わせることはないはずだった。


 部屋の主であるお嬢様がやって来るまでやることはない。けれど、私は教えられたことを頭の中で繰り返していたので暇ということはなかった。


 これでなんとかやれそうと私が自信を得たとき、ついにオルガ様が入室される。


 さぁ、仕事の始まりよ。などと気合いを入れたものの、大抵の作業は表の三人で事足りた。たまに私にも仕事が振られるけれど今のところは大したことはない。


 意外に何とかなりそうだと私が安心していると、護衛騎士であるピエレット様が入室された。そういえば、いつもオルガ様に付き従っているのに珍しいわね。


 などと陰からこっそり覗きながら考えていると、ソレーヌたち三人が使用人の部屋に入ってくる。


「どうされたんです?」


「人払いよ。聞かれたくない話をされる場合はこういうこともあるの。そうそう、シルヴィはちょっとその陰になるぎりぎりの所に立っていて」


「話を聞いたらまずいんじゃないんですか?」


「何事にも例外っていうのがあるのよ。呼ばれるときは大抵鈴を鳴らされるんだけど、たまに声で呼ばれることもあるの。こっちの部屋だと聞き取りにくいから、あそこで立ってお嬢様が私たちを呼んだらすぐに知らせて。それまで私たちは休んでおくから」


 早口で説明された私は部屋の外、オルガ様からはほぼ見えない物の陰の位置に立った。すると、ピエレット様との会話がかすかに聞こえてくる。


「はっ、次は必ず手に入れてみせます」


「よろしい。では、実行なさい」


「承知しました。それと、ひとつお耳に入れておきたいことがあります」


「なんですか?」


「以前、家政婦に余計なことを報告した使用人ですが、厄介なことが判明いたしました。この者、アベラール男爵家のシルヴィというのですが、どうも母親がラファルグ公爵家の出身らしいのです」


「なんですって? 男爵家の妻なのでしょう? 良くて伯爵家出身のはず」


「それが、十数年前に現アベラール男爵家当主の元へ駆け落ち同然で籍を入れたらしいのです。ただ、そのせいでラファルグ公爵家との縁は切れているようですが」


「なんですかそれは」


 薄らと聞こえる話の内容に私は全身を硬直させた。どうしてピエレット様が私の素性を調べているの?


「オルガ様、このシルヴィという使用人をこのまま放っておいてもよろしいのでしょうか。私としてはすぐにでも屋敷から放逐するべきだと考えますが」


「そうですわね。普段ならまだしも、今の時期に敵方と繋がっている可能性のある者を内に抱えているのはよろしくないでしょう」


「オルガ様、では」


「待ちなさい。そのシルヴィという使用人、使えるかもしれません」


「何に使うのですか?」


「母親は駆け落ちしてラファルグ公爵家と縁が切れているのでしょう? 娘のシルヴィがそのことでラファルグ公爵家を恨み、イレーヌ様に近づいたとしても不思議ではないと思いませんか?」


「え? それは、そうかもしれませんが」


「そういうことにするのですよ。次に事件が起きてしまったときには」


「ああ」


 言葉は耳に入ってきたけれど、それを理解するのに時間がかかった。具体的に何を私にさせるのかということは二人とも何もおっしゃっていない。でも、こんな密談で話題に出てきてまともなことをさせるとはとても思えなかった。


 これは放っておくと大変なことになる、私も。


 話はそれで終わりのようで、後は特にこれといって危なさそうな話はなかった。でも、私はそれどころじゃない。


 呼び出し鈴の音が鳴った。私は強ばった体を無理に動かして使用人の部屋へと入る。


「あの」


「聞こえたから大丈夫、って、あなた顔が青いわよ」


「ちょっと緊張しすぎて」


「嫌な話を聞いたのね。でも、それは黙っておきなさいよ。しゃべってもいいことなんてないから」


 声をかけてくれたソレーヌが同僚二人を率いてオルガ様の元へと向かった。


 私は椅子に座って大きく息を吐き出す。確かにこのお屋敷で今聞いたことを話しても悪いことにしかならないでしょう。


 あの小瓶が割れたときのことを私は思い出した。お屋敷の中でも話はまったく聞かなかったからもう大丈夫だと思っていたけれど、それは勘違いだった。小瓶を割ったせいでオルガ様とピエレット様に目を付けられていただなんて。


 私はラファルグ公爵家に恨みなんてないし、よからぬことを考えてイレーヌ様に近づいたこともない。でも何かが起きたら、きっと私の言うことなんて誰も信じないでしょう。噂は噂をする人に都合の良い形にしかならないから。


「誰かに相談しないと」


 これはもう一人でどうにかできることじゃない。


 とにかく、今は一刻も早くこのお勤めが終わることを私は願った。

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