田舎令嬢、噂に振り回される日々を過ごす。

 王都で生活を始めて二ヵ月になろうとしている。最初は慣れないことばかりだったけれども、さすがにこの時期になると生活のリズムも安定してしてきた。学園での勉学もお屋敷での仕事も順調で毎日が楽しい。


 この日はお昼後に舞踏の稽古があったので私はアンナと一緒に舞踏館に向かった。同じ稽古を受ける他の生徒も周囲にちらほらといる。


「アンナ、最近周りの人が私に目を向けてくることが増えて来ているように思うんだけれど、気のせいかしら?」


「気のせいじゃないわ。あの噂が広まったから、みんなあんたに注目しているのよ」


 例のロランの部屋に入った件ね。朝の講義前にアンナと話をしてから一週間が過ぎたけど、その間に子弟から子女へと噂話として広がった。更にはロランの発言も一緒に持ち込まれたらしく、今ではすっかり私だとばれてしまっている。


「嫌だなぁ」


「寄親寄子の関係だから頼まれて断れなかったって話はそれとなくしてあげているわよ。断れない関係っていうことで余計に盛り上がっちゃったけど」


「駄目じゃない」


 好き勝手言われるだけなのは嫌だったので、私はアンナに私側の事情を広めてくれるように頼んでいた。けれど、他人事の話というのは面白おかしく脚色されてしまうものだから、結果的に例の噂を彩る一要素にしかならなかったらしい。


 もちろん自ら主張するということは真っ先に考えたわよ。でも、どんなに事実や正論を訴えたとしても最終的には面白い深読みの方を周囲は受け入れてしまう可能性が高い。事実、アンナからの話はそういう方向で受け取られてしまっている。


 それに、下手に発言をすると更に意見を求められてしまうのも問題だった。厄介なのがロランの普段の発言で、私のことを好きだと主張している以上、必ず私がロランのことをどう思っているのかと問われるのは間違いない。けれど、自分でもまだはっきりとしていない感情を表明することは無理だった。


 ということで、今はひたすら沈黙を貫いている。幸い、交友関係が限定されている上にどの仲良しグループとも接触はなかったから直接尋ねてくる人は今のところいない。


 舞踏館に入ると、先に中で待っていた人たちの話し声が館内にこだましていた。私とアンナは壁際に寄る。


「今日お相手する男の人って誰なのかな。アンナは知っている?」


「一年生と三年生とは聞いているけれど誰かまでは、あー、噂の人はいるのかしらね」


「今は来てほしくないんだけどな」


 来たら面倒なことになりそうだから困るけれど、誰を参加させるかは教師が決めることなのでどうにもならない。そして、こういうときの願いは大抵神様に受け入れてもらえないのが相場だ。


 舞踏館に入ってくる生徒をぼんやりと眺めていると、今一番避けるべき相手が入ってきた。その瞬間、私はため息をつく。


「シルヴィ、ロラン様がいらっしゃったわね」


「せめてペアにならないようにできないかな」


「それはそれで不仲説で盛り上がるわよ」


「でも、ペアになったらなったで今の噂が盛り上がるじゃない」


「どちらがましかって話よね。そこはあたしからは何とも言えないわ」


 逃げ口上っぽい正論を返された私はアンナに向かって唇を尖らせた。すると、力なく笑いながらアンナが諭してくる。


「まだこの程度の噂で済んでいることを幸運に思わないといけないわよ」


「どういうことよ?」


「普通、大人気の殿方に女の噂が立つと、大抵は女の方が妬みで叩かれるじゃない。今回はまだあんたに対してそれがないのよ」


「なんでまたないわけ?」


「一番大きいな理由は、イレーヌ様の遠縁説ね。下手に叩いて公爵家に睨まれるのは嫌だもの。前にお茶をお呼ばれしたことがあったでしょ。あれが地味に信憑性を持たせているの」


 意外な話を聞かされた私は目を丸くした。特に公言はしていなかったけれど、私がイレーヌ様にお茶を誘われた話は広まっていたらしい。そして、それが今の私を微妙に守っていてくれていることを知って二度驚く。


「これからどうなるかはわからないけれど、黙っているっていうのはたぶんこの場合正解だと思うの。だから、しばらくは我慢ね」


「わかったわ」


 教師が舞踏館に入ってくると稽古が始まった。今日の内容の説明が終わると男女でペアを作る。


 さっきアンナとの会話でどちらがましかという話になったけれど、私にはわからなかった。ただ、この舞踏の稽古でペアを組む組まないということがその話に一石を投じることになるのならよくよく考えないといけない。


 はずなんだけど、そもそもそんな時間は私に与えられなかった。ロランが真っ先にやって来たから。あいつはどうしてこうも。


「シルヴィ、ペアを組もうぜ」


「最近の私たちって噂になっているのに堂々としたものね」


「どうせ噂になるんなら、自分に都合良く動いた方がいいだろ?」


「どういうこと?」


「俺はシルヴィのことが好きだって公言しているんだから、その通りに動いた方がいいってことだよ」


「私の都合は関係ないってこと? ひどいじゃない」


「そうでもないぜ。理由はもうひとつある。仮にここで俺たちがお互いを避け続けたら不仲説が盛り上がっちまうが、そうなると俺たちの実家も困るだろ。バシュレ伯爵家とアベラール男爵家は寄親寄子の関係なんだ。どうせ噂が立つならいい噂の方が好都合だろ」


「あ」


 そんな観点はまるでなかった私は目を見開いた。実家と手紙のやり取りをするために寄親寄子の関係を利用したけれど、その点は考えていなかった。


 呆然とする私に対してロランが手を差し伸べてくる。


「ということで、ペアを組もう」


「そうね」


 こう言われると私は拒むこともできなくなった。ロランの手を取ってペアとなる。


 全員の相手が決まると教師の手拍子でペアとなった子弟子女がその場で踊り始めた。私とロランも踊る。


 舞踏は身に付けていたので始まれば体は動いてくれた。けれど、気持ちが整理しきれていないせいもあって、私はロランの顔を微妙に真正面から見ることができない。


 そんな私を笑顔で眺めているロランが声をかけてくる。


「前に買ったペンダント、身に付けてくれているんだな」


「せっかく買ってくれたんだから身に付けるわよ」


「そりゃ嬉しいな。似合っているよ、シルヴィ」


「だからあんたはどうしてそういうセリフを簡単に言うのよ」


 低めの穏やかな声で伝えられた感想を聞いた私は顔を少し赤くしてしまった。すると、それを見たロランがにやりと笑いかけてくる。


「おお、そんな顔をしてくれるんだな。これは毎回囁いた方がいいか」


「足を踏んづけるわよ」


「それは勘弁してくれ」


 苦笑いしたロランが私から顔を少し離した。後はそのまま無言で踊る。


 舞踏の稽古はその後もいつも通り続いて終わった。私とロランが踊ったことで一部の人たちが騒いでいたけれど、目立ったことはそのくらいだけだ。


 教師の解散という言葉と共に舞踏館内は騒がしくなる。同時に、次々と子弟子女が外へと出て行った。私とアンナもその中に混じって歩く。


「終わったわねぇ。結局、ちょっと騒がれたくらいで良かったじゃない」


「毎回ああだと地味にきついけれどね。早く噂が消えてなくならないかしら」


「しばらくは無理ね、って、あれは」


 アンナの視線の先を私も追いかけると、刺繍堂の手前でロランがオルガ様の派閥に叱責されていた。漏れ伝わる声を聞くと、ロランがオルガ様に礼をしなかったのを咎められているらしい。


 やがてロランが雑に一礼すると女騎士のピエレット様が前に出ようとする。けれど、オルガ様がそれを止められ、舞踏館へと足を向けられた。


 近づいて来る雇い主のご令嬢に私とアンナは道を空けて一礼する。オルガ様の集団は私たちを無視して舞踏館へと入られた。


 侯爵令嬢の姿が見えなくなると私とアンナは大きく息を吐き出す。


「オルガ様たち、最近は気が立っていらっしゃるわね。何が原因かしら」


「シルヴィ、あんた知らないの? 最近イレーヌ様の派閥と緊張感が増してきているのよ」


「もしかして、例の婚約者候補争い?」


「もしかしなくてもそうよ。今はオルガ様の方が一方的に張り合っているだけだけど、夏までには誰がマルセル殿下の婚約者になるのか発表されるようなの」


「ああそそれで」


 そういえば、住み込み先のお屋敷でもご当主様のご家族が最近ぴりついてきていると同僚から耳にしていたことを私は思い出した。特にオルガ様の癇癪が目立ってきたらしい。部屋付きの使用人でなくて良かったと最近は強く思っている。


 誰がマルセル殿下の婚約者になられるのか私は興味ないけれど、そのとばっちりを受けるのは何としても避けたい。こっちは自分のことで精一杯なんだから。


 私とアンナは首を横に振ってその場を後にした。

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