田舎令嬢、友人に問い詰められる。
この学園に入学して最初に友人となったのはアンナだった。素直で明るく、いつも笑顔の彼女も田舎から王都にやって来た一人で、生活に余裕がない点で意気投合したのがきっかけ。
それ以来、ほとんどの講義や実習に一緒に参加している。また、乗馬する前に着替えるときは部屋を借りることもすっかり当たり前になっていた。
つまり、私とアンナは仲良しなの。王都にやって来てこんな友人を得られるなんてとても幸運だと思う。
休日明けの朝、私は住み込み先のお屋敷から学園へと登校した。この日を憂鬱だと言う人もいるけれど、私にとっては丸一日働かずに済む日なので悪い印象はない。
学園の敷地に入ると講義室のある刺繍堂へと向かう。南の方には子弟のための試練堂が心なしか静かだと感じるのは、何人もの子弟たちが狩猟のために学園外へ出て行ったことを知っているからでしょうね。
そんなことを思いながら刺繍堂に入って目当ての講義室へと入る。中には既に何人もの子女がいくつかの小集団を作っておしゃべりに夢中だった。その中から私はアンナを見つけて隣に座る。
「おはよう、アンナ」
「やっときたわね、シルヴィ。待っていたわよ」
「え?」
友人のいつもと違う反応に私は戸惑った。先に講義室に来ていたのだから待っていたのはその通りなんだと思うけど、今の言葉の意味合いはたぶん違う。
こちらに向けてきた顔つきを見てもやっぱりいつもとは違った。朝、しかもおしゃべりする前からこんな気合いの入った顔をするところなんて初めて見る。先週の休日前に別れてから今までは会っていなかったから喧嘩をしたわけでもない。
何となく気後れした私は困惑しつつもアンナに尋ねかける。
「どうしたの?」
「まどろっこしいのはなしにするわね。シルヴィ、あんた昨日、大成館に行ったでしょう」
「え゛」
変な声が自分の口から吐き出されたことは私にも自覚できた。表情が凍り付いたことも理解している。なぜ、どうして知っているの?
「あたしが見たのはお昼過ぎだったかしら。昨日のお昼はちょうどお出かけしようと駐車場に向かっていたのよ。すると、黒い服を着た使用人みたいなあんたが大成館へ入っていくじゃない」
「なんで私だって思ったの?」
「思ったのも何も、あたしはほぼ毎日あんたの顔を見てるし、あの黒い服だって着ているところを何度も見ているもの」
「あーそういえばそうね」
「だいたい、あんな美人な使用人なんてめったにいるもんですか。あんたのその顔、自分で思っている以上に目立つのよ。あんまり自覚ないようだけど」
前に誰かさんからも似たようなご指摘を受けたことを私は思い出した。自分の噂なんて耳にしないからそのあたりが全然わからない。
「目立つって、誰か何か言っているの?」
「少し前まではあの子美人ねってくらいだったわね。ああでも、男の人の方でも話には出てくるそうよ。誰が美人かっていう話、あっちは好きそうだもんね」
「他には?」
「ラファルグ公爵家のイレーヌ様に似ているっていう話もあったわ。みんな遠縁なんじゃないかって噂をしていたかな」
「そうなんだ」
遠縁どころかイレーヌ様とは従姉妹なのよね。お母様がやらかしたせいで。でも、駆け落ちの件は意外と知られていないんだ。十何年も前の話だとさすがに知らないか。私だって知らなかったんだし。
「だから、あんたくらいの美人は常に誰かに見られていると思っておいた方がいいわよ」
「嫌な話ね」
「その辺は諦めなさい。持って生まれた者の宿命なんだから」
「まるで監視されているみたい」
「で、大成館に入ったあんたはとある殿方の部屋に入ったと」
「う゛」
また変な声が私の口から出てきた。あれ、おかしくない?
「ねぇアンナ、あんたって私の後を付けて大成館に入ったの?」
「そんなことをするわけないでしょ。お出かけから帰ってきたときに、試練堂近くで話し込んでいた男の人の声が聞こえたのよ。すっごい美人の使用人がロラン先輩の部屋にいるって。何度か出入りしていたって言っていたわよ」
「うわぁぁぁ」
絞り出すような声を私は自分の口から吐き出した。食材を買いに出かけたのがまずかったか。いやでも、買わないと夕飯も狩りのときの食事も作れなかったし。
この噂は広まりそうに思えた。どうしよう、昨日私の顔を見た男の人と舞踏の稽古に鉢合わせたらばれるじゃない。
頭を抱える私にアンナが声をかけてくる。
「でもなんで昨日あんたがロラン様の部屋に行っていたのよ?」
「色々と断れない理由があったのよ」
「だからそれは何なの?」
「今日、子弟の狩猟の実習をやっているはずなんだけれど、その準備を手伝ったの」
「あんたが?」
「そうよ。従者は風邪を引いて休んでいて、使用人はお休みが重なってどうにもならなくなったそうなの。だから、私が出向いて準備を一緒にしたわけ」
「ロラン様ってバシュレ伯爵家よね。王都にも邸宅をお持ちなんだから、そちらから人を寄越してもらえば済むんじゃなかったの?」
なかなか良い線を突かれて私は言葉に詰まりかけた。そりゃ私だってそう思ったわ。
「私の実家のアベラール男爵家って、バシュレ伯爵家の寄子なのよ。しかも、今の私って使用人の仕事をしているじゃない。更に言うと、実家にいたときにお父様の狩りの準備を手伝っていたから、一人で全部できる私が来てくれって言われたのよ」
「あー、そういう理由だったんだ。あんたの実家ってロラン様のところの寄子だったの」
「そうなのよ。だから半日仕事を休んでお手伝いしたの」
「うわ、大変ねぇ」
私の説明を聞いたアンナが同情の眼差しを向けてきた。よし、何とか乗り切ったわ。
「でも、あの噂は広まるかもしれないわね。男の人側だとあの美人は誰だって探すだろうし、こっち側もお忍びで男の人の部屋で逢い引きってことで盛り上がりそう」
「やっぱりそうなるわよね。あーもう、ひっぱたいてやりたいわ」
「寄親のご子息にいい度胸じゃない。でも、これを機に距離を縮めてもいいんじゃない?」
「アンナ?」
「ロラン様って言えば、家柄も悪くないし、ご本人の才能もなかなかのものだし、私たち子女にお優しいし、何よりもすっごい美形じゃない。そんなお相手とこんな噂になれる機会なんてめったにないわよ?」
端から見たらそういう評価になることを私は思い出した。確かに、冷静になれば結婚相手として不足はないのよね。確か伯爵家の三男だったから、侯爵家から男爵家まで入り婿に行ける。あれ、意外と悪くない相手じゃない?
その考えに達した私は動揺した。単純に家のことを考えれば充分にありだ。しかも寄親の息子なんだから誰にも文句を言われる筋合いはない。どうしてロランを拒んでいたんだっけ?
急に黙った私にアンナが顔を近づけてくる。
「それに、あのロラン様って、他の男の人にあんたのことが好きだって公言しているそうじゃない。あとはあんた次第だと思うんだけどなぁ」
「な゛」
「あの噂はこっち側にも入ってきているからね。もうすぐいろんな人に詮索されるんじゃないかな」
「ねぇ、今回私がロラン、様のお部屋に入ったことと結びつけている人ってどのくらいいるのかしら?」
「まだいないと思う。けど、もう時間の問題かもしれないわね」
すました顔で言ってくるアンナを私は微妙な顔で見返した。色々と心が追いついていなかったり整理しきれていなかったりした状態で外堀を埋められているような気分になる。面白くない状態ね。
そんな私に対してアンナが尋ねてくる。
「シルヴィとしてはロラン様のことをどう思っているの?」
「どうって、寄親の伯爵家のご子息と思っているけれど」
「んー、良くも悪くない感じか。だったら、婚約するのもありだと思っている?」
「それは」
「そこが引っかかるんだ。質問をちょっと変えるね。ロラン様の何が悪いの?」
悪意のない質問に私は答えられなかった。
再会したときは確か、かつてと全然雰囲気が違う、チャラそう、という理由で拒んだんだっけ。でも、かつてのあの弱虫が自分を変えようと頑張ったことは認めたからこそ、お友達からと言葉を返した。
あれから何度もロランと会って話をしていたけれど印象は悪くない。でも、気持ちは今より先へとまだ踏み込めそうになかった。
私はロランの何を認められないんだろう。
「あら、もう先生がいらっしゃったわね」
顔を上げると教壇に教師が上がったところだった。講義室のざわめきが急速に収まってゆく。
「この話はまた後でね」
心底嫌そうな顔を私はアンナに向けた。すると苦笑いされる。
その顔を見て私は我に返った。どうして朝早くからいきなりこんなことを話さなくちゃいけないのよ。
すっかり疲れ果てた私は教壇に立つ教師に顔を向けた。
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