第2章 生活編
田舎令嬢、学園で勉学に励む。
ジュネス学園に入学して三週間が過ぎた。ダケール侯爵家のお屋敷で働きながら通っているので大変だけれども、それは言い換えると生活が充実しているとも言える。田舎にはない刺激がたくさんあって楽しいわ。
学園内ではすぐに仲良くなったアンナを筆頭に私は少しずつ友人を増やしていた。たまに孤立している子女を見つけてはアンナと一緒に声をかけているのよね。
いずれも私と同じ住み込みで働いている男爵令嬢や子爵令嬢なので、放課後や休日は働いている子女ばかり。だから、派閥というほど強い結びつきはない。たまにお昼を一緒に食べたり、同じ講義で隣り合って座るという程度の間柄だ。お茶会すら頻繁に開けない身なのでこの方がむしろ都合が良かったりするのよ。
そんな私は学園での勉学だって頑張っている。なけなしのお金を払ってくれた両親のためにも、そして日々働いている自分のためにも手は抜けない。
けれど、やっぱり得手不得手はある。得意なものは友人に教えて、不得意なものは逆に支えてもらう。そういうことをしながら日々学業に勤しんでいた。
大体田舎から王都にやって来る貴族の子弟子女の傾向として、勉学は苦手で実技は得意なことが多い。これは、田舎だと優秀な家庭教師を雇うのが難しく、また体を動かす方が好まれるからよ。だから、座学が苦手で実習は得意というのが一般的ね。
なので、詩歌や古典なんかは苦手な人が多い。
特に古典なんかは講義中、教壇に立つ教師が解説なんかをしていると、どうしても私は眠くなっちゃう。
「それではシルヴィ嬢、劇作家エドガールの代表作を二つ挙げなさい」
「ふぇ!? えっと、『秋空』と、あー、『夢の中で』です」
「『秋空』はグラシアンの作です」
「えぇ」
半分寝かかっていた私ははじかれるように立ち上がってとっさに答えた。けれど、片方は間違ってしまう。
「あー、うーん」
「『記憶よさらば』です。先程お話ししたはずですけどね」
「申し訳ありません」
講義室に忍び笑いが広がる中、私は席に着いた。途中まではちゃんと起きていたのに。あの先生、私が寝かかっているときを狙って当てているに違いないわ!
内心で悪態をつきながらも、古典の教師は一度当てたら同じ授業内ではもう当てないので以後は安心できる。意識を彼方へ旅立たせようとしているのは私だけではないんだから。
反対に、刺繍や料理は田舎者にとって得意科目になる。特に男爵令嬢や子爵令嬢は貧しいところが多いので、母親と一緒に小さい頃からやっていることが珍しくないからね。
もちろん私だってその一人。この実習になると眠気なんてすぐにどこかへ行っちゃう。
例えば料理の実習だと、下位貴族の子女が大活躍する。上になるほど教養は身に付けるけどこういう実技はあんまりやらなくなるみたいだから。
ということで、料理の実習では大抵田舎娘と都会っ子が二人一組で料理をすることになるのよ。こうなると、私たち田舎娘側が教師の代わりに都会っ子を指導することになる。
「シルヴィ、卵の殻ってどうしてなかなか割れないのかしら?」
「力が弱いからですよ。あんまり強く叩くと中身をぶちまけてしまいますけど」
「怖くて強くできないの」
「あーもー、わかりました。卵は割りますからかき混ぜてください」
さる伯爵令嬢様が、さっきから何度も卵を机の角に恐る恐るぶつけては私に顔を向けてきた。時間ばかりが過ぎるのでついに卵を受け取り、机の角に軽くぶつけて殻を割って中身を木製のボウルへと入れる。慣れていれば数秒もかからないんだけどなぁ。
そうして伯爵令嬢様に次は卵をかき混ぜてもらうんだけどれも、しばらくすると私にボウルの中身を見せてくる。
「こんなものかしら?」
「これではまだかき混ぜ始めたばかりです。全体が黄色くなるまで混ぜてください」
「腕が疲れちゃったのよ」
「そうですね。慣れていないと疲れた割になかなか混ざってくれないんですよね」
「うう、踊っている方がずっとましだわ」
気持ちはわかるけれどもここは頑張ってかき混ぜてもらうしかない。全部私がやってしまうと伯爵令嬢様のためにならないんだから。
こうして、田舎娘と都会っ子はそれぞれの得意分野と不得意分野を補い合って講義や実習を受けているの。本当に何もしなくても生きていけるのは一部の上位貴族だけなので、ここはいつも非情に徹している。やり過ぎると恨まれるのでさじ加減は難しいんだけど。
また、音楽や歌という実技もある。楽器を使った演奏と歌を歌うわけなんだけど、これは田舎や都会という区別は関係がない。こういうのは持って生まれた才能が何より重要だから。
私の場合だと楽器の演奏は人並みだけど、歌は結構上手だと評判だったりする。歌い方はお母様から教えてもらっていたし、小さい頃は領地の見回りのときに散々みんなと歌っていたから慣れたものよ。
アンナは逆に楽器の演奏が得意で歌は平均以下なのよね。
一通り打楽器を演奏した後、私はうなだれる。
「はぁ、うまくいかないわねぇ」
「あれだけ上手に歌えるんだから音感はあるはずなのに、何が悪いのかしら?」
「それがわかったらもっと上手になっているわよ。アンナの歌と同じよ」
「うっ、それを言わないで。不思議よね」
「まったくね」
お互いに不得意なことを確認し合った私とアンナはため息をついた。楽器も歌も周りに音が聞こえるのでこっそりと練習するのも難しい。光華館の部屋で生活しているアンナはもちろん、住み込みで働いている私は楽器を持ち込むのさえ不可能だもの。
他には、乗馬の実習なんてのもある。騎士のように自在に乗りこなす必要はないけれど、乗れる乗れないでは大違いの動物ね。特に田舎では。
というのも、都会だと道が石畳でちゃんと舗装されているから馬車が使えるけれど、田舎だと道なんてでこぼこだから乗れたものじゃない。その点、馬は一度乗り慣れると悪路もあんまり気にならないから便利なのよね。ゆっくりと歩かせた馬に乗るだけでも大違い。
ということで、ジュネス学園の南西側にある馬場でみんな馬を乗る練習をする。これに関しては田舎でも町に住んでいて外に出ないご令嬢は乗り慣れていない人も多い。私? 領地に村しかない男爵家で乗馬は必須よ。
乗馬の実習のときはスカート型のドレスではなくて子弟と同じズボンを穿く。中にはこれを嫌がる子女もいるけれど、その場合は横乗りの練習をすることになる。
私はアンナの部屋でいつも着替えさせてもらっていた。ジュネス学園って生徒寮で生活することが前提だから、私のような住み込みの生徒は地味に困るのよね。だから、最低限勉学に励めるだけの交友関係は必要になる。
ズボンに着替えた私とアンナは指導員から手綱を受け取った。学園の厩舎にいる馬はどれもおとなしく人なつっこいから扱いやすい。
最初に顔を撫でてやって挨拶を済ませると、私は馬の横に移って乗る。馬の背丈の分だけ目線が高くなった。その分視界が広くなる。
「シルヴィ嬢、アンナ嬢、先に馬場を一周してきなさい」
「はい」
「わかりました」
さっさと馬に乗った私とアンナは厩舎近くから馬場に入ってゆっくりと周回を始めた。
右手に横並びしたアンナが私に声をかけてくる。
「本当に当たり前のように乗りこなしているわね」
「実家にいた先月までよく乗っていたから、このくらいは」
「馬を全速で走らせたことってある?」
「何度かは。でも、あれって馬が疲れるから長くは走らせないわよ。アンナはあるの?」
「ないわ。たまに乗り回していただけ。それでもここじゃ優秀な方みたいだけど」
「これ、馬の世話まで実習にあったら、大半が脱落しそうね」
「やったことあるの?」
「何度かね。とりあえず知っておけって教えられたわ」
かつて馬の世話をしたときのことを思い出した私は遠くを見つめた。馬に限らず、動物の世話をするとなると大抵匂いがきつい。体力仕事なのはともかく、私はあの匂いが好きではなかった。いざとなれば我慢くらいはできるけど。
馬場を一周すると厩舎近くに戻って馬を下りた。次の子女と交代をする。
他の子女の様子を見ていると、馬に乗り慣れている人はあまり多くなかった。半分以上の人がおっかなびっくり乗っている。馬の手綱を持ってもらいながら馬場を回っている人も珍しくない。
こうして学園での一日が過ぎてゆく。この他にも貴族として必要な礼儀作法や語学などいくつものことを学ばないといけない。この合間を縫ってお茶会や舞踏会にも参加しないといけないんだから大変よね。
私のような住み込みで働いている子弟子女となると更に労働が加わるから厳しいけど、そこはどうにかして乗り越えないといけない。新生活は始まったばかりだから頑張らないと!
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