第1章 上京編
田舎令嬢、貴族屋敷で働きながら学園に通う。
懐かしい夢を見た気がする。曖昧なのは現実に戻って来た途端に夢の内容を忘れてしまったから。なんかもやるのよね、これ。
意識がはっきりとすると、耳に入ってくる周りの音が明確になる。話し声、足音、衣擦れの音、物を置いた音などなど。ああ、今は朝方だから。
目を開けると、簡素な調度品がある使用人の部屋で何人かの女の使用人が忙しく動いていた。お互いにお喋りをしながら、動き回り、服を着替え、化粧道具を使っている。仕事前の準備ね。
私は硬い寝台から体を起こした。思いきり背伸びをする。
「あー、よく寝た」
「おはよう、シルヴィ。今日は学園に行く日なんだから、もっと寝てればいいのに」
「これだけ騒がしかったら嫌でも目が覚めちゃうわよ」
口元に笑みを浮かべたコレットに返答しながら私は立ち上がった。もう一度背伸びをする。うーん、完全に目が覚めちゃったわ。
黒色の仕事用ドレスに着替えたコレットに従って私は使用人の部屋を出た。調理場に入ると用意されている朝食の黒パンとスープをその場で食べ始める。味はお察し。
「シルヴィ、こっちに来てからの生活には慣れた?」
「さすがに十日も住めばいくらかは」
「感想は?」
「王都って意味なら人の多さにはまだ驚いているわね。ここのお屋敷に関しては、まぁ、思っていたのと全然違ったかしら」
「そりゃ田舎とはいえ領地持ちのお嬢様から使用人だもんね。落差は激しいと思うわよ」
「王都のご令嬢様と勘違いしていない? 私のところみたいな小さい男爵領の娘なんて、こっちの使用人とそう変わらないわよ。下働きの仕事は一通りやっていたし」
「ウソでしょ、田舎ってヤバすぎない?」
「畑を荒らす獣が村にやって来ることがあるから、王都よりかは危険かも」
「え、そんなヤバさもあるの!?」
私はどうもヤバいの意味を取り違えていたらしい。深く考えずに答えるとコレットにかなり引かれた。
スープにひたした黒パンのかけらを噛んでいるとコレットが軽く首を横に振る。
「今の話を聞いたら、平民でも王都で生まれ育って良かったと思うわ」
「コレットも私のところで生まれ育っていたら慣れていたわよ」
「どうかしらね。にしても、そんな田舎から上京してきただなんて、学園生っていうのは大変ねぇ」
「入学するのを義務にするなら、学費を免除してほしいわ」
ちぎった黒パンのかけらをスープにひたしながら私は愚痴を漏らした。
我らがルミエア王国では、毎年年頃になった貴族は王都のジュネス学園に入学することになっている。より高い教養を身に付け、貴族の団結力を高めるために。
とはいっても実際はお子様版社交界になっていて、割とどろっとした付き合いが繰り広げられていたりする。私はこういうの嫌だなぁ。
けれど、貴族の子弟子女にとって義務である以上、王都に上京して入学しないといけない。でも、学費と生活費は生徒の実家の全額負担なのが貧乏貴族にはきつかった。
いくつかの村を抱えるだけの自然豊かな私の実家もその中の一貴族で、学費の支払いで精一杯だ。学園内にある生徒寮の入寮費はもちろん、生活費もままならない。
こんな田舎育ちの貴族子弟子女は割といる。主に男爵家や子爵家に多い。なので、そういう場合は紹介状を片手に裕福な貴族の屋敷で使用人として働く。父方の親戚を頼ってダケール侯爵様のお屋敷で住み込みの使用人として働いている私もその一人ね。
ここで出会ったのが平民の商家出身のコレットで、家政婦に命じられて私の面倒を見るようになって以来友人になった。身分差はあれど分け隔てなく接してくれるのはかなり助かっている。
「貴族様も大変ねぇ」
「これも三年の我慢よ。早く結婚相手を見つけて田舎に帰るんだから」
「シルヴィは美人だから結婚相手なんてすぐに見つかるんじゃない?」
「貧乏な男爵貴族の跡継ぎになってくれる男がいてくれたらね」
「あんた一人娘なの?」
「そうなのよ。兄弟姉妹が何人かいてくれたらどこかに嫁げるんだけど」
「うわぁ。そうなると、社交界っていうところに出て探しまくらなきゃいけないんだ」
「ところが社交界に出るためのドレスが買えないのよねぇ」
絞り出すように声を出した私は肩を落とした。お母さまから聞いた話しか知らないけれど、社交界に出るためにはとにかくお金がかかるらしい。ドレス代、化粧代、その他色々と。生活費も事欠く今の私には縁のない世界ね。
同情の眼差しを向けてきたコレットが私の肩に手を置く。
「気長にやるしかなさそうね。幸い、このお屋敷じゃあんたの評判は悪くないんだから、当面は真面目に働きながら学園に通いなさいな。大して教えなくても一人前に働いてくれる後輩って、先輩からしたらかなり印象いいわよ」
「良かったわね。さ、私も着替えなきゃ」
朝食を食べ終わった私は調理場でコレットと別れた。仕事着のまま学園に行くわけにはいかない。
あまり人のいなくなった使用人の部屋に入ると私は勢い良く服を脱いだ。
茶色の質素なドレスに着替えた私は勤め先の屋敷を出た。本来貴族が移動するときは馬車を使うものだけど、生活費を自分で稼ぐ必要のある私は歩くしかない。目指すジュネス学園があまり遠くないのは救いね。
学園の門を
門の正面にある教員のための大師館を北側に通り抜けると刺繍堂という建物に入る。私たち貴族子女のための講義堂なので女の子しかいない。
講義室のひとつに入ると既に何人かが先に席に座っていた。私は青色の質素なドレスを着た知り合いに声をかける。
「アンナ、おはよう」
「シルヴィじゃない! さぁ、隣に座って!」
朝から賑やかなアンナがボブカットの薄い茶髪を揺らして私に笑顔を向けてきた。
その言葉に従ってアンナの隣に座った私は話を振る。
「アンナは王都の生活にはもう慣れた?」
「まだあんまり。実家とは何もかも違うから戸惑うばかりなのよ。さすが都会ね」
「そっちも田舎だったっけ。人の多さが特にね」
「そうなのよ。どうして歩いているだけでぶつかるほど人がいるのか不思議だわ。でも、そんな王都で働いているシルヴィはすごいわね!」
「正直きついわ。平日の昼は学園で勉強して、夕方からはお屋敷で仕事だもん」
「休日も働いているんだったかしら」
「丸一日ね」
友人から同情の眼差しを受けながら私はため息をついた。平日の昼間に働いていない分は収入が低くなるのもかなり厳しいのよね。寝床と賄いはあるけれど、必要な物を買うと手元に残る額なんてたかが知れているし。
「大変そう。それに比べたらあたしなんてまだましね。ぎりぎりだけども」
「三年間やっていけそうなの?」
「大丈夫だと思う。お姉様がここに通っていらしたときは何とかなったらしいけど」
「あんまり人のことを言うのは何だけど、お下がりをもらって何とかしのげないの?」
「やっているわよ。今着ているこのドレスもお姉様のお下がりだし」
アンナの実家であるバロー子爵家も私の実家と同じ田舎だと聞いていた。町をひとつ擁しているのでいくらかは経済力があるらしい。ただ、物価の高い王都で娘二人を三年間学園に通わせるのはさすがに厳しいらしく、妹のアンナは色々とやり繰りをしていた。
雑談をしていると教師が講義室に入ってきて講義を始める。入学して一週間が過ぎたけど、今のところ何とか教師の話にはついていけていた。
いくつかの講義が終わると昼休みになって、大師館の西側にある救心堂へアンナと二人で移って昼食を始める。
「シルヴィっていつもお屋敷で賄いが出るんですって? 羨ましいわね」
「働いている対価よ」
「その分厚いソーセージサンドも?」
「もちろん。もらえるものは何でももらっておかないと」
学園の慎ましい貴族子女からすると男性用にしか見えないソーセージサンドに私はかぶりついた。明らかに淑女の食べ方ではないけれど、学業だけでなく体力勝負の使用人も兼任している私は食欲を満たさないと倒れちゃう。
「アンナって社交界に出る予定ってある?」
「来年くらいにはデビューしたいなとは思っているけど、流行のドレスが高いのよね。シルヴィは?」
「今のままじゃ、そもそも出られそうにないわ。お母様のドレスを借りない限り」
「大変ねぇ。あたしのを差し上げられたら良かったんだけれど」
しみじみとした様子でアンナが感想を漏らした。手にしているサンドイッチは小ぶりで、私だととても腹持ちしそうにない。
色々と問題は山積みだけれども、仲の良い友人を学園で得られたのは良かった。これからこの輪を少しずつ広げていきたい。
そんなことを思いながら私はアンナとのおしゃべりを楽しんだ。
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