田舎令嬢、弱虫と再会する。

 ジュネス学園に入学してから十日が過ぎた。一応一通りの講義と実習を受けたけれども、得意なものと苦手なものがはっきりとわかりつつあった。


 友人のアンナと何とか支え合う中、この日も放課後まで何とか乗り切る。


「はぁ、やっと終わったわね」


「まったくね。さぁ、これからお茶会に行かなきゃ!」


「お茶会、いいなぁ」


「シルヴィもってごめんなさい。これからお仕事なのよね」


「そうなのよ。あ~もう、だるいわ」


「前から思っていたんだけれども、平日の夕方や休日は丸一日働いているとなると、お茶会や舞踏会に参加する暇がないんじゃない?」


「事前に伝えたらお休みをもらえるそうなのよ。学園生なのにお茶会にも舞踏会にもまったく出られないとなると、さすがにまずいってことらしくて」


 貴族子女の場合、お茶会や舞踏会で交友関係を広めたり強めたりするのは重要で、これができないと大人になってから孤立しやすい。何かあったときに人に頼るためにも、こういった催し物は参加しておくべきなのよね。


 だから、貴族の子弟子女を使用人として抱えているお屋敷では、お茶会と舞踏会で休むことは認められている。私もそのうち申し出るつもりよ。


「そのうちアンナの開くお茶会に参加させてもらうわね」


「春のうちに一度は開きたいと思っているから、そのときに招待するわ」


 遠くない将来の約束を交わした私たちは講義室で別れた。友人の後ろ姿が見えなくなったところで私も席を立つ。


 貴族子女が座学の講義を受ける刺繍堂の廊下には他の子女が何人かいた。友人とお話をしている人たちは楽しそう。


 その脇を通り抜けて刺繍堂の東側出口へと向かった。学園の外に出るならそこが最も近いからなんだけど、すれ違う子女たちがやたらと騒いでいるのに気付く。


「さっきの殿方見た? すっごいかっこよかったわよね!」


「あれって確か三年生の方だったわよね。誰かを待っているのかしら?」


「いいなぁ、あたしもあんな人にお迎えされたい!」


 すれ違った何人かは全員似たようなことを話していた。そんな美形を待たせるなんてどこのご令嬢なのかしらね。羨ましいわ。


 既に意識をお屋敷での仕事に向けていた私はまったくの他人事として周りの騒ぎを聞き流していた。そんな派手な出来事イベントとは無縁だもの。


 刺繍堂から外に出た私は少しだけ目を細めた。明るさに慣れるまでその場で立ち止まる。


「お、やっと出てきたな!」


 男の声を耳にしながら私は周囲に目を向けた。南側に大師館、南東側の先には目指すべき学園の正門、そして北東側に教職員と来客が宿泊する大休館が見える。


「おいおい、久しぶりに会ったっていうのに無視するなよ。悲しいぜ」


「は?」


 ようやく目が慣れたので歩き出そうとした私の行く手を男が遮った。さらさらの金髪の爽やか顔の美形だ。白色のシャツを着崩しているせいで筋肉質な胸元が見えている。


 頭一つ分以上背の高いその男は機嫌良さそうに笑っていた。久しぶりに会った? こんな派手な美形と過去に会ったことがあるのなら忘れるはずがない。


 不審げな表情を浮かべた私は男に確認してみる。


「人違いじゃありませんか?」


「そんなわけないだろう。あんた、アベラール男爵家のシルヴィだろ」


「そうですけど、どなたですか?」


「あれ、本当に忘れちまったのか。バシュレ伯爵家のロランだよ」


「ロラン?」


 聞いたことのある名前を耳にした私は首を傾げた。バシュレ伯爵家のロラン、ん?


 そのとき、私は幼い頃に一年ほど一緒に過ごした少年のことを思い出した。確かあの子の名前は。


「思い出した! 弱虫のロラン!」


「弱虫は余計だ! そこは思い出さなくてもいい!」


「どうしてよ、いっつも泣きそうな顔してたじゃない!」


「いやそうなんだけど、それだって最初だけだろ? 後半は俺だって立派に木の棒を振り回してたじゃないか」


「でも、年上のくせに頼りなさそうだったから印象に残ってて」


「あー、ちくしょう。そんな印象をずっと引きずられているとはなぁ」


 すっかりとしょげ返ったロランを見ながら私は内心でかなり驚いていた。何度過去のロランを思い出してみても今と一致しない。


「あんた、背丈はともかく、顔の形って魔法でも使って変えたの? 昔と全然違うじゃないのよ」


「魔法なんて使うわけないだろ。家族にはむしろあんまり変わってないって言われているんだぞ。たぶん、昔と印象が全然違うからじゃないか? 今は結構明るくなったし」


「明るくねぇ」


「それよりさ、約束は覚えているか?」


「約束?」


「くっ、そっちはまだ思い出してないのか。アベラール領を離れる直前に約束しただろ」


 何となく必死な様子のロランを目の前にして私は過去の記憶をまさぐった。確か、別れる何日か前に二人だけで話をした気がする。


「あたしのことを好きって言ってくれたんだっけ?」


「シルヴィって微妙に思い出してくれないんだな。それは告白の方だろう。その後の約束だよ。結婚の条件」


「あー、あれね。弱虫だから嫌って言った気がする」


「今聞いても微妙にヘコむな、その言葉。ともかく、それだ。強くなったら結婚してくれるって約束しただろ」


「あれって私、考えておくって返事をしなかった?」


「えぇ、そうだっけ?」


 お互いの記憶をすり合わせたところで微妙な齟齬が判明した。私は昔のことを忘れていて、ロランは自分に都合の良いところだけを覚えていたみたい。


 昔を思い出すような悲しそうな顔を見て、確かにあのときのロランだと確信できた私は尋ねてみる。


「強くなったって、具体的にどう強くなったのよ?」


「もちろん腕力が強くなったぞ。体もしっかり鍛えたしな! それに、たくさん勉強もした。俺、学園の三年生でもかなり優秀なんだぜ?」


「ああ、そうなんだ」


「なんだよ、反応薄いなぁ」


「だって、私の思っていたロランと何か違うし、チャラそうだし、性格まで全然違うんだもん。強さはともかく、それ以外があんまりにも」


「えぇ、そんなぁ」


 雰囲気だけ見ると今のロランは私の苦手な部類に入る人種になっていた。私としてはもっと落ち着いた人が好みなのよね。


 でも、たまに見せる悲しそうな顔やがっかりとした様子は昔のロランに通じるところがあった。だから、少しだけ懐かしい感じがしたりもする。


 この様子からすると、別れてからロランなりに頑張ったんだと思う。さすがに、その何年もの努力を勘違いの一言で全否定するのはさすがに気が引けた。


 そこで私はロランに提案してみる。


「それじゃ、まずはお友達からね」


「お友達かぁ」


「ある日突然現れて結婚してくれなんて言われても、応じられるわけがないでしょ。何年ぶりだと思っているのよ」


「まぁ、そう言われると、そう思えなくもない、か?」


「それに、こっちは生活で精一杯なんだから、とりあえず王都での暮らしが安定してからゆっくりと考えさせてよ」


「なんだそりゃ? 生活が不安定なのか?」


「あたしの実家は貧しいから、学費だけしか出してもらえなかったのよ。だから、今は裕福な貴族様の使用人をして糊口をしのいでるの」


「今そんな状態なのか」


 目を見開くロランに私はため息をついてみせた。小さい頃に少しいた男爵領のお家事情なんて覚えているわけもないから、その驚きも当然よね。


「なんか困ったことがあったら相談に乗るぞ」


「ありがとう。本当にどうにもならなくなったらそうするわ」


「自然に囲まれた村で遊び回ったっていう記憶はあったが、まさか王都に来てそんな苦労をしているだなんてな」


「他の家でもちょいちょいあるわよ。男爵家や子爵家だとね」


「なるほどなぁ」


 二人で話し込んでいる中、私はふと大師館へと目を向けた。すると、馬車が一台止まっているのを見つける。ロランも釣られてそちらへと振り向いた。


 そのとき、その馬車の扉が開いて大師館から出てきた人物が乗り込むのを私は見かける。結構離れていたけど、遠くの物を見るのは得意だからその容姿ははっきりとわかった。多少癖のある金髪に儚さを感じる美少年ね。


 扉が閉まる馬車を見ながらロランがつぶやくのを私は耳にする。


「マルセル殿下か。来年入学されるんだったか」


「本物の王子様?」


「ああ」


「入学の手続きかしら? 早すぎる気もするけど」


「そこまではわからないな。雲上人のことはさっぱりだ」


「確かにね」


 貴族とはいえ、下から数えた方がはるかに早い実家出身の私が関わることはない方々だった。王宮主催の舞踏会なんて参加することもないでしょうしね。


 ただ、何となくロランとマルセル殿下の何かが似ているという印象を私は抱いた。風貌も雰囲気も違うのに何がそう感じさせたのかは私にもわからない。何となくもやもやとしたものが心に残る。


 私とロランは正門から出るまで馬車を眺め続けた。

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