(5)エルフと準備

フィリアが銭湯にやってきて二日目。


木曜日の朝、俺は押し入れの奥からフィリアに合いそうな服を探し出して、彼女に手渡した。男が選んだせいか、どうしてもボーイッシュな雰囲気になってしまったが、今はこれで我慢してもらうしかない。少し大きめのショートパンツと淡いブルーの半袖Tシャツに着替えたフィリアは、どこかあどけなさを残しつつも、まるで少年のような印象を漂わせていた。


鏡の前で戸惑いながらも自分の姿を確かめるフィリアの銀髪が、ふんわりと肩にかかり、光を受けて柔らかく輝いている。そのたびに鏡越しに揺れる銀髪は、まるで異国の風をまとっているようで、異世界からやってきた彼女の不思議な魅力を際立たせていた。少年のような装いと少女らしい無邪気さが混ざり合い、そのアンバランスさに目を引かれる。


フィリアは鏡越しにじっと自分の姿を見つめ、小首をかしげたあと、控えめに笑みを浮かべながらぽつりと呟く。


「こういうのも…悪くありませんわね…」


その表情には、新しい服を試す小さな喜びと、どこかくすぐったそうな気持ちが滲んでいて、俺も自然と温かい気持ちになる。「よく似合ってるよ」と声をかけると、彼女は一瞬驚いたように目を伏せたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべ、「あ、ありがとうございます…」と小さな声で返してくれた。その言葉が不思議と心にしみて、俺は自分の選んだ服が彼女に喜ばれたことに、思わず嬉しくなった。


朝食を済ませたあと、俺はフィリアに銭湯の仕組みについて説明を始めた。ばあちゃんから何度も聞かされてきた話を思い返しながら、どの言葉を選べば彼女に伝わりやすいか考える。初めて知る文化に、彼女がどう反応するのか少し緊張もした。


「うちの銭湯はね、水曜日が定休日なんだ。だから、今日は夕方から営業が始まるよ」と言うと、フィリアは小さく頷き、真剣な眼差しで話に耳を傾けてくれる。その瞳には、初めて世界を知る子供のような純粋な輝きがあり、この場所や日常を彼女と共有できることに、少し感慨深いものを感じた。


「で、営業時間は夕方の四時から、夜の十時までなんだ。他の銭湯より少し短めだけど、ばあちゃんの体力を考えると、これが今の限界なんだよ。」


「そうなのですね…」フィリアは一度深く頷いたあと、顔を上げて控えめに尋ねてきた。「そもそも…銭湯って…なんですの?」


その問いに俺は思わず笑ってしまった。彼女にとっては確かに異世界の話も同然だ。できるだけわかりやすく説明しようと考え、「銭湯っていうのはね、みんなでお湯を共有するお風呂のことなんだ。自宅にお風呂がない人や、仕事帰りに疲れを癒やしたい人たちが集まって、汗を流したりリフレッシュするための場所なんだよ」と説明した。


フィリアは「なるほど…」と深く頷きながら、俺の言葉を一つひとつ大切に心に刻んでいるようだった。銭湯という文化が、彼女の中で少しずつ形作られていくのが感じられる。


「それでね、今日なんだけど、夕方の営業中に番頭をお願いできるかな?夕方の四時から七時くらいまで手伝ってもらえると助かるんだ。」


俺がそう言うと、フィリアは「ば、番頭…?」と首をかしげた。その仕草がいちいち可愛くて、思わずニヤけそうになるのを必死で抑えた。瞳の奥には、「それって何でしょうか?」という素直な疑問と、俺の言葉を理解しようとする一生懸命さが滲んでいる。そして、その奥にほんの少しだけ「ちゃんとできるでしょうか…」という不安が揺れているようで、なんともいじらしい。


「番頭っていうのはね、お客さんに『いらっしゃいませ』って声をかけたり、タオルを貸したり、忘れ物を預かったりする仕事だよ。」

俺が丁寧に説明すると、フィリアの表情がふっと明るくなり、瞳がキラキラと輝き出した。その輝きはまるで、初めての冒険に挑む勇気を見つけたようで、俺の胸に小さな誇らしさを灯した。


「が、頑張りますわ!」

フィリアは緊張した顔つきながらも、力強い声で返事をしてくれた。その声の真剣さと意志の強さに、自然と「大丈夫だよ、きっとできる」と心の中で呟いていた。


でも、番頭をお願いするにあたって、ふと気になった。お客さんから彼女がどう呼ばれるのか、ということだ。やっぱり「フィリアちゃん」とかになるのだろうか。それとももっと別の呼ばれ方をするのか…。そんなことをぼんやり考えているうちに、今度は自分が彼女をどう呼べばいいのか決めていないことに気付いた。


さらに、自分の名前を彼女にきちんと教えていなかったことも今さら気付き、ちょっとした自己嫌悪を覚えつつ、改めてフィリアに向き合った。


「えーっと、これからたくさんの人と話すことになるだろうから、呼び名も決めておこうと思うんだ。」


フィリアは俺の提案に小さく頷きながら、「確かに…そうですわね…私はフィリア、で問題ございませんわ」と柔らかく微笑んだ。その仕草がどこか気品を漂わせていて、やっぱり「フィリア」という名前がしっくりくると改めて思った。


「そういえば、私はどうお呼びすればよろしいでしょうか…?」

フィリアが首をかしげて尋ねる。その純粋な瞳に見つめられると、何故か少し照れてしまい、視線を外しながら言葉を選んだ。


考えてみれば、彼女に名字で呼ばれるのはちょっとよそよそしいし、今の俺たちの関係には合わない気がする。もっとフランクに、でも自然に名前で呼んでもらった方がいいよな…。


「悠斗って、呼んでくれると嬉しいよ。」

少しだけ照れながら言うと、フィリアはふんわりと微笑んで、「ユウト、ですね。分かりましたわ。ただ…呼び捨てにするのは気が引けますので、ユウトさん、とお呼びしてもよろしいですか?」と小さく頭を下げた。その仕草がなんとも控えめで可愛らしくて、心の中で思わず(いいよ、もう何でも)と呟いてしまった。


こうして、お互いの呼び名が決まり、彼女の初めての番頭仕事が始まる準備が整った。フィリアにとっても、俺にとっても、これは新しい一歩になるに違いない。


「じゃあ、俺もちゃんとサポートするから、一緒に頑張ろうな。」

手を差し出すと、フィリアは一瞬戸惑ったように目を見開いたが、すぐに小さな手をそっと俺の手に重ねてくれた。その触れた瞬間、心の中がふっと軽くなる感覚がして、自然と微笑みがこぼれた。


なんだか、彼女と一緒ならこの銭湯も少し違った風景に見えるかもしれない――そんな予感が胸をよぎり、俺は静かに彼女との新しい日々を楽しみに思った。

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