(6)エルフと番頭

昼ご飯を終え、フィリアと一緒に営業準備を進めているうちに、気づけば時計の針は夕方の四時を指そうとしていた。俺は一つ深呼吸し、暖簾をそっと掲げる。こうして銭湯の一日が始まる。今日はフィリアが初めて番台を手伝う日だ。初めての環境で彼女がどんなふうに馴染んでいくのか、その様子を見るのが楽しみでもあり、少し緊張もしていた。


最初にやって来たのは、ばあちゃんの知り合いのおばあちゃんたち。暖簾をくぐった瞬間、受付で待機していた麦わら帽子姿のフィリアに気づいた彼女たちは、顔をほころばせて「あらあら、今日は若い子がいるのねえ!」と声をかけてくれた。フィリアは少しぎこちなく、「い、いらっしゃいませ…」と控えめに頭を下げる。練習通りの挨拶だけど、やはりまだ初々しさが残っている。しかし、そのぎこちなさが逆に可愛らしかったのか、おばあちゃんたちは「若いっていいわねえ、うちの孫もこんなに可愛ければ…」とほのぼのした様子で話しかけてくれる。


その光景を見て、俺は自然と肩の力が抜けた。フィリアのあどけない笑顔と一生懸命な態度が、思った以上におばあちゃんたちの心を和ませているようで、すんなりと受け入れられたことにほっとした。


続いてやって来たのは、常連の屈強なお兄さんたち。番台に立つフィリアを見つけると、驚いたように「今日は可愛い子がいるじゃん」「毎日通っちゃおうかな」などと冗談を飛ばし、いつも以上に賑やかだ。フィリアは照れくさそうに、「い、いらっしゃいませ…」と小さな声で返す。初めて見る男性客たちに戸惑いながらも、一生懸命に応じようとする姿が微笑ましい。お兄さんたちも彼女の初々しい対応に満足そうで、「銭湯が一気に華やかになったな」と笑っている。


そんな中、お兄さんの一人がふと尋ねた。「お嬢ちゃん、どうして麦わら帽子なんかかぶってんの?」その問いにフィリアは一瞬固まったが、事前に話し合っていた設定を思い出し、「わ、私は…日本の夏が大好きですので…」と、少し恥ずかしそうに小声で答えた。


その言葉に、お兄さんたちは「おう、俺たちも夏が一番だぜ!」と陽気に応じ、おばあちゃんたちも「ええ、本当に私も夏が好きよ」と笑顔で賛同してくれる。フィリアの表情にも少しずつ緊張がほぐれていくのがわかり、照れながら微笑む彼女を見ていると、俺の胸も温かくなった。


さらに、フィリアの銀髪とエメラルド色の瞳に気づいた常連のお兄さんが、「お嬢ちゃん、どこの国から来たの?」と軽い調子で尋ねてきた。その声にフィリアは一瞬ピクリと反応し、視線を一瞬だけ俺に送った後、少し緊張しながらも、「わ、私は…き、北の国から来ましたの…」と控えめに答えた。その姿はまるで、初めてのお使いに挑む子供のようで、見ているだけでハラハラしてしまう。


彼女の言葉に、お兄さんたちは「やっぱり外国からか!日本語うまいじゃん!」と感心した様子で頷いている。その無邪気な反応に、俺も少し安心した。フィリアが「北の国」という曖昧な答えで済ませたのに、深く追及されなくて本当に良かった。


そしてもちろん、名前も聞かれる展開になった。「お嬢さんのお名前は?」と常連のおばあちゃんが優しい声で尋ねてきた。フィリアは一瞬だけ視線を泳がせ、けれどもすぐに気を取り直して、「フィ、フィリアと申します…」と小さな声で答えた。その言葉を聞いたおばあちゃんは、「あらまぁ、なんて品のあるお名前。名は体を表すとは正にこのことね」と嬉しそうに目を細める。フィリアが少しずつこの銭湯に溶け込んでいく様子を、周囲の人たちも微笑ましく見守っているようだった。


周囲の温かい反応に、フィリアの表情が徐々に和らいでいくのが分かる。緊張で少し硬かった顔が、次第に自然な笑顔に変わり、その笑顔が不思議と場の雰囲気をさらに柔らかくする。あの小さな体から、こんなにも周囲を和ませる力が出ているのかと思うと、俺はなんだか誇らしい気持ちになった。


そして時計をふと見ると、もう夕方の五時を過ぎていた。そのとき、銭湯の前に見慣れた白いバンがゆっくりと停まるのが目に入る。ばあちゃんがショートステイから帰ってきたのだ。


フィリアをばあちゃんにどう説明するか——これが俺たちにとって最初の大きな試練になる。静かに高鳴る鼓動を抑えながら、俺はフィリアと自分を心の中で励まし、ばあちゃんとの対面に備えた。

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