君が遺したモノがあるから

風宮 翠霞

柊日記

「……久しぶり」


 ピーポー、ピーポー……。


 とびっきりの懐かしさと、そして感傷。

 薄暗い間接照明の明かりだけが灯る自室で、そんな複雑な感情を全て込めて呟いた一言。


 その声は、孤独な部屋で誰にも届かず……そのまま近くを走る緊急車両のサイレンにき消される。


 唯一僕の言葉を知っているのは、声をかけた先の木箱。

 先程机の引き出しから出した、その箱中に入っているのは……一度仕舞い込んだ、一冊の手帳。


ひいらぎ日記』


 それだけ書かれた、【君】の日記帳だ。

 病院で書いた日記なはずなのに、の字が一つもないその日記タイトルは「闘病とうびょう」という言葉はあまり好きじゃないと言っていた、君らしい日記のタイトルだと……。

 君とたった半月以下の付き合いの僕だけど、この日記を見る度に本当にそう思う。


「やっと、君の願いが叶えられたよ……」


 つい数日前の事を思い出して感慨かんがい深くなりながら、丸っこい字で書かれた君の名前を指先でそっとなぞって……。

 意を決して、ずっと封印していたその日記の表紙を、めくった。


『貴方は、いつも何かを諦めたような……そんな、暗い目をしていた。

 そういう、人だった。』


 最初は、窓の向こうの木の写真と共に病気の記録が書かれていたけれど……半分程進んだところ。そんな書き出しで始まる一ページからは、どうにも様子が違う。


 僕は、この先の内容を知っている。


 君が、僕に隠していた事も。

 君が、僕に伝えたかった事も。


 全て知った上で、僕はもう一度君の軌跡きせきを見る。


 そうしなければ、ならないから。

 そうしたいと、思うから。


 君が生きた記録を受け止めようと……かすれたページに乾いた指で触れて、震える指で破いてしまわないように。慎重しんちょうに、慎重に……一頁を右から左へと移動させる。


『優しい貴方へ。』


 そう銘打たれた、僕へ宛てたメッセージがあるその先を……。

 何一つ取りこぼさないように、ゆっくりと文字をなぞっていった。

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