第17話 ゆで卵

 さて、今回は何と「ゆで卵」を取り上げていきたい。簡単なレシピを目指しつつも、ついつい手の込んだ料理を紹介しがちだったこの「クロジのレシピ帖」だが、今回は思いっきり単純なレシピに振り切ったゆで卵を紹介していきたい。特に、最近いろいろと調べて覚えた「省エネできやすいゆで方」を紹介しようと思う。


「……と、いうわけで『ゆで卵』を紹介するよっ!」

「えらい簡単な料理じゃねえか」

「でも、意外とうまく剥けなかったりするんですよねぇ……」

「なので、今日はクマの手でも簡単に剥けるゆで卵のつくり方だよっ!」


 用意して頂くのはフライパンでも片手鍋でもいいが、ちゃんと蓋が出来るものが必要になる。できれば無水調理が可能な密閉タイプの蓋がつくと良いが、普通のフライパンでも蓋がついていれば調理可能だ。


「じゃあ、卵を用意するよっ!」

「ひとり一個で、3個用意しましょうかねぇ!」

「鍋も用意したぜ!」


「じゃあ、このお鍋に冷蔵庫から出したての卵を置くよっ!」

「常温にもどさなくていいのか?」

「大丈夫だよっ!」


「で、お水を用意しました」

「だいたい、鍋底から1㎝くらいに浅く水を張って欲しいよっ!」

「張りました!」

「こんなに水が少なくて、大丈夫なのかよ?」

「それが、大丈夫なんだよっ!」


 そうしたら、火をつけて中火にし、沸騰するまで待つ。この間、黄身が中心になるように卵を菜箸で静かにコロコロと転がしてやる。


「ころがすのは、普通のゆで卵と一緒だな!」

「黄身の方が密度が高いので、遠心力によって軽い白身が周りに行くんですねぇ!」

「沸騰したら蓋を閉めるよっ!」


 沸騰したら蓋を閉め、このまま4分間、中火で加熱し続ける。


「4分たちました!」

「じゃあ、火を消して、ここから待つことになるよ!」

「固さによって待ち時間が違うんじゃねえのか?」

「とろとろの黄身の場合は3分、固ゆでは10分で、あとは各々おのおのの好みで調節してねっ!今日は5分待つよっ!」


 ただただ、5分待つだけとなる。まことに簡単な料理だ。


「5分たちました!」

「じゃあ、ボウルにとって流水で冷やすよっ!」

「ある程度流したら、粗熱が取れるまで水につけて待つぜ!」


 粗熱がとれたので、剥いていくことにする。


「これが、難しいんですよねぇ……」

「ああ、殻とくっついてボロボロになっちまったりな」

「とにかく、剥いてみてっ!」


「あれっ、なんだかツルっと向けますねぇ!」

「これ、古い卵じゃねえよな?」

「新しい卵だよっ!」


 このやり方でつくると、なぜかツルっと卵が剥けるので不思議だ。


「確かに簡単だけど、なんでたっぷりのお湯でゆでるのと違うんだろうな?」

「わからないよっ!」


 クマイさんはしばらく難しい顔をしていたが、カッと目を見開くとやや早口で喋り始めた。


「これは、ボクの仮説でしかないのですが……」

「なんだ?」

「どうしたの?」


「物理的に何の違いがあるかと考えた場合、普通の『ゆで卵』と今回の『蒸し卵』の違いは、卵の周囲にあるのが液体の水か、水蒸気になった水かの違いだと思うんですよねぇ…… どちらも温度はほぼ100℃と考えて間違いないと思います」

「温度が同じなら、同じように火が通るんじゃねえか?」


「いえ、理科年表を見ると…… 100℃の水の密度が958.393 kg/m3 であるところ、100℃の水蒸気の密度は0.587 kg/m3 となりますねぇ! 密度が全く違うんですよ!」


 ちょっとスマホの電卓機能で計算してみる。


「計算すると、1632倍…… 有効数字2桁として、おおむね1600倍も違うんだねっ!」

「そんなに違うのかよ!」

「ええ、気体と液体では同じ体積での重さがまったく異なるんですよねぇ! ここで、温度とは何かを考えてみましょうねぇ」


「そもそも温度ってなんだろうねっ!」

「じつは、これは大変難しい問題で、岩波『理化学辞典』によれば『物体の温かさ、冷たさを示す語。物理的には熱平衡を特徴づける尺度である』とされてますねぇ」

「ぜんぜんわからないぜっ!」


「簡単に言いますと、二つの温度の異なる物体をくっつけると、温度の高い方から温度の低い方へエネルギーが流れて、最終的に2つは同じ温度になるというような意味合いですねぇ。その時のエネルギーの流れの方向性をきめる数値的指標が、温度ということになります」

「うーん、何となくわかるぜ!」


「熱平衡とは、二つの温度の違う物体が接触した場合に、最終的には同じ温度になろうとすること、または同じ温度に達した状態のことをいいます。たとえば、お湯に温度計を入れた場合、実はそれはお湯の温度そのものを計っているわけでは無いと言ったらわかりますかねぇ?」

「わからないよっ!」

「実は、温度計はお湯の温度そのものを計っているわけではなく、温度計の先端の部分の温度なんです。お湯に入れた時に温度計の先端とお湯が熱平衡に達して、同じ温度になっているという前提で、それを『お湯の温度だ』として計測してるわけですねぇ」

「あー、なるほど。とりあず、この料理の場合は、温度の高い水または水蒸気から、温度の低い卵へエネルギーが移動するんだねっ!」


「そう言うことになりますねぇ。そして、温度というのは、微視的に見れば分子のエネルギーの状態が高いか低いかを表す事になりますねぇ!」

「高校の時の物理を思い出して来たよっ!」

「たしか、分子が激しく運動しているほうが温度が高くて、あまり運動してねえと温度が低いんだよな!」

「そうですねぇ、すべての分子は −273.15 ℃になるとすべての運動を停止すると言われています。これがいわゆる絶対零度、0Kケルビンになります!」

「なんか習った気がしてきたぜ!」


「とりあえず、100℃の水も水蒸気も、分子1個の単位でみれば、ほぼ同じエネルギーを持ってると言えます! さて、巨視的にみると、さっきボクの指摘した違いはなんでしたかねぇ?」

「密度の違いと言ってたよっ!」


「そうです、つまり、同じエネルギーを持った分子がいたとしても、水蒸気は分子がスカスカで、熱湯は分子がみっしり集まっていると考えられますねぇ」

「そういうことだな!」

「そうすると、何の違いが出るのかなっ?」


「温度の移動については、2つの物体を構成する分子同士の衝突によっておこることになります。つまり、熱湯ではみっしり詰まった水分子が卵の殻にすごく頻繁に衝突するのに対して、水蒸気では比較するとたまにしか衝突しないという事になります」

「なるほどな……」

「でも、同じ100℃じゃないのっ?」


 クマイさんは基本的におしゃべりだが、今日はいつになく多弁になっている。


「サウナを想像して欲しいんですが、サウナって90℃から100℃ありますよねぇ? でも、10分程度入っているだけでは火傷しませんよねぇ!」

「なるほどな!」

「具体例をあげられると実感がわくよっ!」


「メガネを持っている方は経験があるかとおもうんですが、サウナにメガネをもっていくとフレームが熱くなって火傷しませんかねぇ?」

「出ようと思って触ったら熱っ!ってなったことがあるよっ!」

「タオルにくるまねえとあぶねえって言われるな!」


「あれは、密度が高く、薄くて熱が入りやすい金属フレームがすぐに高温に達して、それを指で触れると急速に熱が伝わるために熱いんですよ!」

「あー、なるほどな」

「つまり、ボクたちは『温度』で熱さを感じるわけじゃなくて、『体への熱エネルギーの出入り』で熱さ寒さを感じているわけです!」

「なんか、わかってきたよっ!」


 高校の物理の先生も、クマイさんくらいわかりやすく説明してくれたらもっと物理が好きになったかもしれないと僕は思った。


「極端な例ですが、こちらのNASAが開発したスペースシャトル用の断熱材を2200℃まで熱して、素手でつかむ動画を見てください」

「うわっ!真っ赤だよっ!」

「手が焦げちまうだろ!」

「それが、この真っ赤に焼けたものを触ってもなんともないんです。これは、断熱材の熱伝導率が極端に低く、手に熱が移動するのが極めてゆっくりだからですねぇ!」

「すげえな……」


 クマイさんから紹介された、炉から出した真っ赤に焼けた四角い物体をつかむ動画を末尾につけるので、読者のみなさんも見て欲しい。


「で……だいぶ話はそれましたが、お湯でゆでる場合は卵が急速に温まろうとし、水蒸気で蒸す場合は比較的ゆっくりと熱エネルギーが移動することになります」

「そういうことになるよな」


「ここで、卵の中の熱の移動を考えるわけですが、物体にはすべて『熱伝導率』というのがあって、ある時間内に物体内の温度差によって移動する熱エネルギーの量は『熱伝導率』によって決まった限界以上のスピードでは移動できないんですよ」

「簡単に言うと、卵の中で移動する熱の量には限界があるってことだねっ!」

「そうすると、どうなるんだ?」


「熱湯でゆでる場合は、周りからガンガン熱が入ろうとしますが、中まで浸透するには限界がありますので、殻の近くがどんどん茹で上がることになります」

「なるほど、外側だけカチカチにゆだって、中にはなかなか入って行かねえんだな」

「と、言うことは殻の近くの白身がすぐにカチカチに固まることになるので、殻と白身がくっつきやすくなるんじゃないか、というのがボクの仮説です」

「逆に言うと、『蒸し卵』の場合はゆっくりと熱が入ることになるので、白身のタンパク質がゆっくりと徐々に縮みながら固くなるってことだねっ!!」

「だから、剥きやすくなるのではないかというのが、ボクの仮説です! 実験的に証明はしていませんが、そういう仮説です!」

「なんだか、ゆで卵ひとつでえらい考えさせられたぜ……」

「そろそろ、食べてみようねっ!」


 なぜ剥きやすくなるのかの原因推定でやたらと時間を使った間に、卵は火傷しないくらいの温度まで下がっていた。


「ほどよく半熟で、美味しいねっ!」

「今度はトロトロの黄身のも作ってみようぜ!」

「ボクは固ゆでにして、卵サンドを作りたいですねぇ!」


 レシピの応用としては、剥いた後でめんつゆや、顆粒だし、顆粒鶏ガラスープや醤油などと一緒にポリ袋にいれておくと簡単に味付け卵ができるので、ぜひ試して欲しい。


【作り方のまとめ】


材料

・卵数個


 卵を蓋つきの鍋に入れ、1㎝程度水を注いで中火にかける


 沸騰したら蓋をして、中火のまま4分待つ


 4分経ったら火を消し、蒸らす(半熟3分、固ゆで10分)


 流水にとって粗熱をとる


 十分に冷えたら、殻をむく



NASAの断熱材の実験デモ映像

https://www.youtube.com/watch?v=Pp9Yax8UNoM

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