第2話「断り文句」
◇◆◇
自室に戻って手紙を開けば、そこには思ったよりも、常識的な言葉が美しい文字として並んで居た。
優秀な代筆でも居るのかしら……日々耳に入る、彼のとんでもない噂話を聞く限り、こういった手紙を書くような男性には思えないのだけど……。
私もそれらしい返信を書きつつ、はあっとため息をついて手を止めた。
「出来れば……会わないままに、済ませられないかしら」
こうして独り言を呟いても、返してくれる人は居ない。
お付きのメイドたちもそろそろ昼食の準備で忙しい頃合いだし、私は一人の方が気楽なので、彼女たちも用事がある時と呼ばれた時以外はこの部屋に入ることはない。
もし、会えば会ったで王子様からの次の誘いは、断れなくなってしまう。
けれど、会わないままにアレックス殿下が次の興味へと気持ちを移してしまえば、私の事を忘れてしまうだろう。
……そうなれば良い。出来ることならば、会わないままで済ませたい。
私より美しい女性の姿絵をたくさん送って興味を逸らすとか……いいえ。人に自分の不幸を押し付けているようで、あまり良くないわよね。
不治の病気を装って、何度か誘いを断るとか……? 同居している父母を、騙し通せるはずがないわ。それに、その後奇跡的に健康になりました! と、夜会に現れるなんて出来るはずもないし、普通に断るようりも王族の不興を買ってしまいそうだし。
後に引く言い訳は駄目よね。もっと良い、それらしい断る理由はないかしら。
……あ! 私には……好きな男性が居ることにしようかしら。
腕を組んで策を悩んでいた私は名案を思いつき、ガタンと椅子倒し一人立ち上がった。
そうよ。求婚者が居る訳ではないけれど、どうしても好きで諦められない男性が居ると言えば、代わりなんていくらでも居るのだから、私のことなんてすぐに忘れてしまうはずよ。
それが良いわ。そうしましょう。嘘はいけないと思うけれど、もうこうするしかないのだわ。
仮に私がそれをしても、アレックス殿下は父には伝えないはずよ。
だって、王族や高位貴族は面子をなによりも大事にするから、私からそんな理由で振られたなんて彼は誰にも言わないはず。
……もし、私が未来、これから出会う他の男性と上手くいっても『あの時に好きだった方とは結婚することが出来ませんでしたが』と言ったとしても、それが誰かまでは追求されることはないと思う。
それに、その頃には私のことなんて忘れてしまっているわよ。
手紙にはそう書こうと決心した私は椅子を直して座り、目の前の白紙の手紙へと文字を書き出した。
◇◆◇
私はアレックス殿下への手紙には『どうしても好きな男性が居るので、アレックス殿下の事は敬愛しているけれど会うことは出来ません』と書いて、それをすぐに城へと届けるようにと執事へと渡した。
家族が集まる夕食時に父に『返事は書いたのか』と聞かれ『既に送っております』と答えれば、満足そうに頷いていた。
実は……その返事で会う事すら断っているのだけど、父は知る由もない。
「……旦那様! 旦那様!」
「どうしたんだ?」
走って来た初老の執事が食事中に慌てて室内へと入り、私たち四人は驚いていた。私だって生まれてこの方、こんなにも驚いている執事を見た事がない。
「殿下が! アレックス殿下が、フォスター家へといらっしゃっています!」
「なんだと!?」
父が慌てて立ち上がり、案内する執事に続いて出て行ってしまった。
私はというと、キラキラした目をした母、そして、なんとも言えない表情をした妹に無言で見つめられ、さっき口に入れたばかりの魚の切れ端を、なんとか飲み込んだ。
……嘘でしょう。こんな風にアレックス殿下が、フォスター伯爵邸までいらっしゃるなんて、思ってもいなかった。
『好きな人が居るから会えない』と書いた手紙を送り返して、数時間。
王族として公務もこなしているだろうアレックス殿下の手に届いた時間を考えると、もしかして、私の手紙を読んですぐにここへ来たということかしら?
私は全身に冷や汗をかきつつ、どうしようかと悩んだ。アレックス殿下がすぐにここへやって来た時点で、一度も会わないという選択肢はなくなってしまった。
今ここで邸から飛び出し家出をすれば、アレックス殿下には会わないままで済ませられるかもしれない。
けれど、父はそんな私を決して許さないだろうし、貴族令嬢としての普通の幸せを捨ててしまうことになる。だとすると、会うしかない。
ああ……まさか、こんな事になってしまうなんて。
「……ローズ。アレックス殿下が、お呼びだ」
突然の来訪に対応していた父が戻り、そんな死刑宣告にも似た響きに逆らえず、私は無言のまま力なく立ち上がった。
アレックス殿下が何を目的としてここへやって来たのかが、本当にわからない。もしかしたら、あんな理由で誘いを断ったことを不敬罪で罪に問われてしまうかもしれない。お父様お母様、これまで育ててくれてありがとう。
覚悟を決めた私が父に促されて部屋へと入ると、アレックス殿下は立ち上がって迎えてくれた。
彼はすっきりとした出で立ちの金髪碧眼の美男子で、自分が飽きればすぐに女性を捨ててしまうような人には見えない。
けれど、生粋の貴族である私は知っている。人を騙す詐欺師はそうと見えないように、上手く擬態する能力にも長けているのだと。
「アレックス殿下。お会い出来て光栄です」
横目で父が部屋を去って行くのを確認し、私は驚いていた……嘘でしょう。私一人で、王族の訪問に対応するの!?
「堅苦しい挨拶は良い。掛けて楽にしてくれないか」
私がカーテシーをして王族への最上級の敬意を表そうとしたのに、アレックス殿下はつれない素振りで前のソファに腰掛けるように指示した。
「はい」
使用人がお茶を置いてから、去って行った。そして、扉も完全に閉めてしまった。
待って待って……未婚の男女が二人きりになる時は、必ず扉を開けておくはずなのに? 忘れているのかしら。
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