第5話
自宅は物音ひとつしない。両親はこの一週間旅行に出かけており、僕はその間ひとりだ。僕は自室にカバンを置くと、制服を脱ぎ、私服に着替えて一階に降りた。
風呂掃除をしなければならない。僕はズボンを脱ぐと風呂場に足を踏み入れる。床はタイル式で水滴は残ってはいない。一般家庭の風呂にしては広い方だろう。
僕は栓を抜きお風呂のお湯を抜く。音を立てながらみるみるうちにお湯は空になった。僕は洗剤を湯舟に振りかけると、スポンジで擦っていく。服が濡れないように注意しながら、作業を進めていく。
一通り擦り終えたので、シャワーで湯舟の中を洗い流していく。風呂掃除を終えた僕は栓をするとお湯を張る。
風呂場から出た僕は台所に移動し、冷蔵庫を確認する。晩御飯の材料があるかどうかを確認したのだが、冷蔵庫は空だった。
しかたない。何か買ってくるか。
僕は親から渡されている財布を手に取ると、家を出る。自転車に跨り、近くのコンビニに出掛ける。
僕は自炊をしない。だから夕食はコンビニ弁当だ。コンビニは家から自転車で五分ほどのところにある。
コンビニに着くと僕は自転車から下り、店の中へ入る。適当にコンビニ弁当を物色し、一つ手に取る。あとはカップ麺を一つ手に取りレジへ向かう。
レジを済ませ、袋を受け取ると店を出る。すると野球部の岡崎が店に入ってきた。
「さっきはどうも」
「えっと、ああ」
岡崎はどことなく怯えた様子で周囲を伺っている。三島の名前をリベンジャーに書き込んだと自白した彼だが、自分に何か天罰が下るのではないかと恐れているのかもしれない。
「岡崎、もうちょっと話を聞かせてくれないか」
せっかく外で会ったし、時間も限られていない。僕は少しでも情報を集めようと、岡崎に声を掛ける。
「あんまり詮索しないでくれ」
岡崎はやんわり拒絶してきたが、罪の意識がある分断りはしなかった。がっくりと肩を落とすと店の外で立ち止まる。
「それで、何を聞きたい?」
「リベンジャーについてだ。どうしてそこに辿り着いた」
岡崎はわずかに目を泳がせると、溜め息を吐く。
「裏掲示板って知ってるか」
「ああ。リベンジャーに繋がっているサイトだろ」
「俺は裏掲示板でよくコメントをしていたんだが……ある時、リベンジャーというサイトができてた」
「それはいつ頃」
「一か月ぐらい前かな。多分、裏掲示板にいたやつらだったら、みんな見てるサイトだと思う」
裏掲示板。詳細は見ていないが、山滝高校の噂話を主に書かれているサイトだと聞く。僕は利用したことがないからわからないが、多くの生徒が利用していたのは間違いないだろう。
「その裏掲示板に書き込みがあったんだ。復讐したい相手はいないかって。復讐を代行するっていう過激な書き込みがあって、信じてるやつはほとんどいなかった。俺も半信半疑で利用したからまさかあんなことになるなんてほんとに思わなかったんだ」
岡崎は懺悔する。岡崎は復讐したいという気持ちも抱きつつ、あのサイトを利用したはずだ。だが、まさか本当に三島に危害が及ぶとは考え至らなかったのだろう。ちょっと考えれば名前だけならともかく住所まで書く時点でそのあたりの危険性を想像できないのは、想像力の欠如と言わざるを得ない。
岡崎にも勿論非はあるし、同情はできない。だが、本人は今、罰を受けている最中だ。罪の意識に苛まれ、げっそりと痩せている。
曽谷から聞いた話だが練習にも身が入っていないらしい。
「裏掲示板を僕はよく知らないんだけど、どんなことが書かれてるの?」
僕がそう聞くと岡崎はさらに顔を青くして、目を泳がせた。
「他人の悪口だ。俺は愚痴を書き込むために使ってた。どいつがどうだとか、悪口しか書かれてないよ」
なるほど。やはり裏掲示板に秩序があったとは思えない。学校の裏掲示板を知る何者かが、リベンジャーのサイトを埋め込んだのだろう。
「裏掲示板ってどれぐらいの人が利用してたの?」
「それはわからないが存在を知っていたのは全校生徒の三分の一ぐらいじゃないか」
「結構多いね」
「有名だったからな」
少なくとも僕と笹鳴さんは知らなかった。そんな恐ろしいサイトがあると知っていたら、僕はこの高校を選ばずに外に出て行っただろう。
「俺からも聞いていいか?」
「何?」
「あの女子はなんだ?」
「あの女子って?」
「ほら、今日一緒にお前についてきた小さな女子だよ」
笹鳴さんのことか。岡崎と話しているときは笹鳴さんは特に何も話していなかったような気がするけど。
「笹鳴さんがどうかした?」
「なんか怖いんだよあの女子。俺のことじっと見てきて薄く笑ってて」
「勘違いじゃない?」
「絶対勘違いじゃない。あの顔は俺を嘲笑していた」
笹鳴さんが人を嘲笑するところなんて見たことがないけど。多分、岡崎の被害妄想だろう。僕はあまり気にしないようにした。
「じゃあ裏掲示板にどんなことが書いてあったか、覚えてる範囲で教えてもらえる?」
「嫌なこと聞いてくるな。そうだな」
岡崎は思案すると裏掲示板に書いてあった内容を教えてくれる。なかなかにえげつない内容が書かれてあったようだ。
「ていうか、それ書いたの岡崎でしょ」
「うっ」
図星だったのか、岡崎は渋面を作る。だって内容が三島はヤリマンビッチで男をとっかえひっかえしてるとかだったし、岡崎の私怨が表に出すぎている。
「まあそれ以外も結構えぐいから君だけを責めるのはお門違いかもしれないけど」
そこに書かれてある内容を聞いた僕は吐き気がするほど気持ち悪くなっていた。同じ学校の生徒でそこまでの悪口を書く生徒がいるなんて思いたくはなかった。
だが、現実にそれを書いてしまう生徒がいることは間違いない。
「わかったよ。話を聞かせてくれてありがとう」
「もうできたらこれきりにしてくれ」
「ああ、気を付けるよ」
岡崎と分かれる。僕は自転車に跨ると、家に向かって飛ばす。家に帰ると、僕は買ってきたコンビニ弁当をリビングのテーブルに放置し、風呂場に移動する。お湯が沸いたようで、風呂の準備が整っていた。
僕は服を脱ぎ捨てると風呂に入る。
まずは体を洗いながら、僕は思案する。
裏掲示板。そんなものがあるなんて僕は知らなかった。あとで調べてみようとは思うが、人の悪意に触れることで気持ち悪くなるかもしれない。
人間は薄汚い。平気で人を悪く言うし、名前を出さずに人を非難する。卑怯な生き物だと僕は思う。
ふと、岡崎の言葉が蘇る。笹鳴さんが怖いという言葉だ。さすがに勘違いだとは思う。笹鳴さんは基本的に知らない人の前であまりしゃべらない。だから無言で見つめている顔が岡崎には怖く映ったのだろうと思う。
高校から笹鳴さんの友人をやっているが、怖いと感じたことは一度もない。控えめだし、出しゃばったりしないし、穏やかな女の子だと思う。
だが、他人から見ればそういう印象に見えるのか。勉強になるな。
僕はそう考えながら頭を洗い流す。
タオルで頭を拭き、湯船に浸かる。ふーっと一息吐いてリラックスする。しばらく浸かって上がると、僕は体を拭いてドライヤーで頭を乾かす。男は髪が短いからすぐに乾く。
風呂から上がった僕は寝間着に着替えるとリビングに移動する。テレビを着けて適当にバラエティ番組を流しながら、コンビニ弁当を開封する。カップ麺にお湯を注ぐのも忘れない。
お弁当を食べながらテレビを見る。売れない芸人が滑った発言をして失笑を買っていた。
スマホに通知が来る。笹鳴さんから電話だ。
「はい、もしもし」
「静木くん。今いい?」
「いいよ。どうしたの」
「実はあの後、もう一度美緒の家に行ったんだけど」
僕と分かれたあの後、もう一度石動さんの家に行ったらしい。
「それで、何かわかった?」
「うん。実は美緒の手記らしきものを見つけて。まだ新しいんだけど、行方不明になる直前のことが書かれてあるみたいなの」
「それは興味深いね。何か手掛かりになりそうなことは書いてあった?」
「うん。これは人に見せていいものかわからないけど、静木くんなら口が堅いし、美緒も心配だしこの際いいと思う」
確かに手記を人に見られたくはないだろう。だが、糸井の日記も見てしまった後だし、今更感がある。
「わかった。そうだな。じゃあ明日持ってきてくれる?」
「ええ。そうするわ」
僕は箸で焼き魚を突きながら、笹鳴さんの言葉を聞く。
「そうだ。僕もさっき岡崎に会っていろいろ聞いたんだけど、その話また明日するね」
「そうなんだ。わかった」
「あと岡崎がおもしろいことを言ってて。笹鳴さんのことを怖いって言うんだ」
「私が?」
笹鳴さんは驚いたように声を絞る。
「うん。なんか岡崎が嘲笑されているように感じるって」
「それ、静木くんはどう思った?」
「僕は岡崎の勘違いだろうって言ったんだけどね。だって笹鳴さんだし」
「ふふ、それ、案外静木くんが私の一面を知らないだけかもよ」
「え?」
笹鳴さんの声色が変わる。まるで猫をもてあそぶような、嗜虐的な色を帯びる。
「冗談よ」
「なんだ冗談か」
僕は一瞬どきりとさせられた。僕の知らない笹鳴さん。そんな一面があるのだろうか。確かに僕はこれまで笹鳴さんと深く関わってきたわけじゃない。だから、そんな一面があってもなんら不思議はない。
「それじゃまた明日ね」
「うん、また学校で」
そう言って電話を切る。僕は電話を切った後、しばらく呆然とスマホを握りしめていた。笹鳴さんのさっきの声色の変化がやけに耳に残ったのだ。
僕の笹鳴さんのイメージは人見知りでおとなしい子というイメージだ。初めて会う人に自分から話していくことはしないし、積極的に会話に混ざろうともしない。そんな人だ。だが、笹鳴さんにも裏掲示板にいる人間のような黒い一面があるのだとしたら。
それでも僕は彼女の友人でい続けるだろう。もし、彼女が何か悪いことをしでかしたのなら注意すればいい。そうして正しい道に引き戻して、一緒に歩んでいけばいい。
岡崎の所為でバカなことを考えてしまった。僕は弁当を食べ終えると、ゴミをゴミ箱に投げ捨て、自室に戻る。
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