ボクと君とのマリアージュ

猫井はなマル

ボクと君とのマリアージュ

壁は冷えている。

空間調節ユニットの取っ手を握りながら、千乃ゆきのに尋ねる。

「寒くない?ボクは寒い」

千乃は、「茉音まいんが寒いなら温度上げていいよ」と微笑む。やはり、千乃を何かにたとえるなら、天使である。

ボクは、取っ手を思い切り引いた。部屋の温度がぐんぐん上がる。

「やっぱりこのシェルターって、性能いいよね」

千乃が笑う。ボクは千乃の笑顔が好きだ。

○○○

「このシェルターは避難場所です。放射線や化学物質、爆風、災害などありとあらゆる害をシャットアウトできます。」

中学校の、避難訓練。

まさか本当にシェルターを使う日が来るなど、思っていなかった。

鬱陶しくてたまらなかった避難訓練も、今では恋しい。恋しすぎる。

「中には、皆さんの家庭にもあるでしょう空間調節ユニットが設置してあります。これによりシェルター内の温度、湿度、気流、酸素量は自由自在です。」

この時はまだ元気だった先生。

「しかし、普通の空間調節ユニットとは少し違います。シェルター内をVR空間にして、好きな風景や自然音を得られるのです。」

それだけではありません、と先生が咳払いする。

「温度や湿度の調節を、家庭用より簡単に、それでいて正確にできます。」

どうせ使う日など来ないのだからと、半分しか聞いていなかったため、ここから先の話の記憶はない。

○○○

冷えた壁があたたまり始めた。千乃がまた笑う。

「茉音の寒がり。前はそこまでじゃなかったのにね〜。今日、結構、調節前の気温も高いのに」

ボクは寒いのが嫌なんじゃない。あの凍えるような吹雪の日を思い出すのが嫌なのだ。

○○○

シェルターは学校の裏山に鎮座していた。

登下校中はよく、千乃と、「やっぱおっきいね」「全校生徒入るかな」なんてくだらない話をしていた。

忌々しい、あの日。もう半年前のことだ。

ココ最近の異常気象のせいで、ひどい吹雪だった。千乃のほおに触れる白い雪。じんわり赤くなるほおを見て、白雪姫みたいだなと思ったものだ。千乃はとても可愛いのだ。

話を戻す。

異常気象、環境破壊、大気汚染。あの時にはすでに地球は壊れていたのかもしれない。ゆるやかな滅びを待つ、老衰した星だった。でも、今より幾分マシだ。もう地球は死んでしまった。

いつものように学校へ向かう。いつものように千乃と。ボクはそれだけでよかった。

目を焼くような光が見えた。

耳を割くような轟音がした。

何の前触れもなく。

空にチリが舞い上がり、一面黒くなった。とっさに千乃を見る。無事だった。

「茉音、コレ」

「わかんない…!」

身体中が熱くなる。ヤケドするほどに熱くなる。

突風に飛ばされ、ボクも千乃も瓦礫の下敷きになった。なんだこれなんだこれ。

「茉音、茉音!!起き上がって、シェルターに避難しよう」

身体をよじらせ、千乃が言う。ボクも真似した。ゴホゴホと止まらない咳を気にする暇も余裕もなく、シェルターへ向かった。

ようやくたどり着いたシェルターには、誰もいなかった。テレビに目をやると、

「核兵器」「放射線」「避難」

なんて文字が羅列していた。

その日は、空間調節ユニットを操作することも忘れ、千乃とくっついて寝た。女の子同士で幼なじみなくせして、ドキドキしている、と千乃に伝えたら、

「とんでもないことが起きて動揺しているだけだ」と濁されてしまった。

きっと夜が明けたら、全部夢だったと気づくんだよ。千乃が寂しそうに言う。ボクはうなずいた。

でも、夢ではなかった。

テレビはどの局も砂嵐、シェルター内からわかる限り、外は昨日の喧騒が嘘のように静かだった。千乃は、外に出ようと言うボクをひきとめた。

「助けが来るまで2人でいよう。非常食も2人なら1年分くらいはもつ。」

そして今。助けが来ないまま半年たった。

2050年、6月20日(多分)。

何もかも死滅してしまったであろう世界で、外に1歩も出られない生活の中、2人は生きている。

○○○

体内にこびりついた放射線を取り除く特効薬、「インラージ」。

ボク達はシェルターに避難した日から、毎日2錠インラージを飲んでいる。非常食収納ボックスの中に入っていたものだ。こちらは、約半年分ある。インラージを飲んでいなければ、ボク達はすぐに死んでいただろう。

ボク達が今でも何とか生きていられるのは、放射線を断絶するこのシェルターと、インラージのおかげだ。

「茉音ほら飲んで。最近飲むのサボってるでしょ」

「いらない」

薬箱を持ってきてくれた千乃から目をそらす。

「ボクが飲む分を千乃に飲んで欲しいの」

「またそんなこと。どうせもうすぐ無くなるじゃん。」

「でも……」

「ずっと外に出ずに服用し続けたんだから、あと少し我慢して飲めば必要無くなるんだよ。体から放射線が絶滅するの」

千乃が嬉しそうに言う。

「わかったから」

根負けして、インラージを受け取った。

「まぁ…『千乃に飲んで欲しい』、つまりわたしに生きて欲しい、ってことでしょ?それは嬉しいよ」

ボクの考えることは全てお見通しなようだ。

「久しぶりに空間調節ユニット使おうか」

千乃が取っ手を握る。そして幻惑ボタンを押した。

天井に満天の星が広がった。

「綺麗だよね」

千乃がころころ音を立てて笑う。

「千乃のが綺麗」

勢いに任せて恥ずかしいことを口走ってしまい、せっかくの星空をほおって目を閉じた。

「ふふふ。ありがと」

千乃はボクの気持ちに気づいてくれているのか。わかった上でこんな対応をとるのだろうか。

胸の奥から湧き上がってくる恋情に蓋をしたら、シェルターの外で普通の毎日を送っていた頃の想い出がよみがえってきて、虚しくなった。

○○○

窓も何も無いこの地下シェルターは、死んだ世界から孤立して生き続けている。

体内時計は狂った。ついさっき起きたものの、今が朝なのか夜なのかわからない。だからボクは起きる度に、「今どっち」と千乃に尋ねる。

「ねえ、今どっち?」

「朝だよー、9時くらい?」

壊れかけの時計を見ながら千乃がこたえる。

幼なじみの千乃。

ボクの好きな人。

孤立したシェルターに唯一残ったボクの想い出の結晶体。

「はい朝ごはん」

「いらない」

「食べなさい」

果物のカンヅメを差し出される。

食料はあと半年分。

「…いただきます」

ボクも千乃も、ずいぶん痩せた。

「茉音。寂しくても、おいしいでしょ?」

その一言に、悲しくなった。千乃が、寂しがっている。こんな生活、当然だが。

「ボクがいるから寂しがらないで」

「茉音、最近どうしたの?愛の告白?」

笑う千乃。引き下がるボク。

片想いを両想いに変えるには、どうすればいいのだろう。

ものすごいスピードで桃とパインをかきこむと、きしむ身体を引きずってノートを取りに行った。

一日中、絵と物語を描いて過ごしている。それくらいしかやることがない。

いや、モニターから外を見ることもできるから、「これだけ」ということは無いのだが、瓦礫と枯れ交じる草を見ていても、何も楽しくない。せめて生き物がいればいいのだが、何もいないのだ。

そんなモニターを千乃は毎日覗いている。助けを待っているそうだ。

「じゃ、モニター見てくる」

今日も見に行くらしい。ノートを取って戻ってきたボクに千乃が言う。

「…来ないよ、救助なんて」

ボクはため息を漏らした。千乃は、苦く笑いながら、

「諦めちゃダメだよ、茉音」

と声をほおり出した。

今日も2人は、希望と絶望を持ちながら、来ない救助と、意味の無い駄文をわめいている。

こうして日々が、淡々と過ぎていくその中に、生きていく理由を問う、なんでもないボク。

きっとその理由は、なんでもなくない君、千乃。

君がいなければもうボクは、明日も見ないうちに皮膚をむき、「茉音」って呼ぶ天国の声に導かれていた。

千乃がいるから。千乃がいるから生きていける。

○○○

核戦争により滅んだ、何も無い世界の中、ボクの恋心は千乃の声に息づいている。

絶対的な、揺るぎのない終わりを迎える時、君のとなりでボクは泣けているだろうか。

「千乃」

ノートをふと閉じて、

「大好きだよ」

震え声を出した。

「…愛の告白?」

と千乃。

「うん」

閉ざされた世界、逃げ場も死に場も何も無い。2人の声しか響かない。あっさり、キッパリとした告白、千乃の胸に届いたのかな。

「そうかぁ」

千乃は上を見ている。

「もしも世界が生き返ったなら、『大好き』って言ってあげてもいいよ」

ボクの人生をかけた告白は、意味をなせなかったみたいだ。

○○○

静かで冷えた空間。

千乃はまたモニターを覗く。純粋な気持ちで、千乃が好きだ。千乃も、ボクを好きだったらいいのに。

「希望は捨てちゃダメだよ」

と千乃。

世界が生き返り、助けが来ることを望んでいるなら。ボクに「大好き」って伝えることになる。

嫌じゃないのか。千乃は希望を信じている。

千乃…ボクと結ばれてもいいのかな。

結ばれていいって思っている?

もしかしてボクと結ばれたい?


性別を超えた愛。生物学的な劣情などと形容できないこの気持ちはなんだ。

ご飯を食べる。

物語と絵をかく。

それから寝る。

なんだろう。なんなのだろう。これが人間か。

好きな人さえいたら生きられる。

○○○

瓦礫しか見えないモニターと空間調節ユニット、壊れかけの時計に使い古されたノート。

このシェルターにあるもの全ての色があせて見える。

ひどい夜だ。

インラージを飲む。眠気に襲われる。

千乃が、「おやすみ」と言ってくれる。

○○○

毎日、同じことの繰り返し。

千乃がいるなら楽しいだろ、と思いながら部屋の温度を上げる。

吹雪を思い出さないために。

否が応でも、千乃を見ると、崩壊した世界を思い出すにもかかわらず。

いや、吹雪と一緒にするな。千乃は大切な大切な「想い人」だ。

○○○

星空をセットする千乃。ボクはそれを見ている。夏の大三角が浮かび上がる。

「綺麗」

「そうだね」

今度は、千乃の方が綺麗だとは言わなかった。

何故こんなにも悲しくなるのだろう。

ボク達以外誰もいない世界に、誰も来ないシェルターに、絶望したのか。

「もうインラージ残ってないから、飲まなくていいんだよw」

いたずらっぽく千乃が言う。

ここには、千乃がいる。

「身体から出ていったんだね、放射線」

千乃がコクコクうなずいた。

「好きだよ」

「わたしも」

ボクは、かたまった。

「ホント?」

「うん」

「世界が生き返ってから、言うんじゃなかった?」

「言いたくなっちゃった」

「なんで好きになってくれたの」

「前からだよ。一目惚れだから」

頭が痛い。嬉しい。嬉しい嬉しい悲しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい。

ボクは嬉しい。

ボクは…この生活を……。

人間らしくない、檻の中で生きたいか?ボクも千乃も、方向性は違えど、こんな生活うんざりだ、と思っている。

シェルターの外に夢を見ている。その方法が違うだけ。

未来の外か、過去の外かなだけだ。

○○○

千乃は寝ている。

ボクは、急に切なくなり、外につながる扉を開けた。

箱庭から出たかった。

夜の空気か放射線かも知らない、ヒリヒリした外気を身に包む。

今日もボクは、なんでもないまま終えてしまう。

「ごめんね千乃」

満天の星。偽物に慣れたこのボクを、残酷にうつし出す感涙の星。

気分が悪くなった。

外は、瓦礫しかなかった。希望など転がっていない。

骨の粒子さえも、ぶるぶる震えて凍りつく。

急いで戻り、何事もなく眠った。

○○○

「大丈夫?茉音、顔色悪いよ」

あと数メートル千乃が近づけば。数メートルで、彼女は…。

放射線にあてられた身体をよじり、目を伏せる。

「今日も2人で、ご飯を食べたら眠ろうね」

ボクが言うと、千乃は笑いだした。

「らしくないね、茉音が自分から」

○○○

だんだん身体が重くなっていく。

「茉音、ほんとに平気?」

「千乃も、辛そうじゃん」

ボクと同じくらい、顔色が悪い。ボクのせいだ。放射線にあてられたんだ。

「大好き」

「わたしも」

くちびるになにか触れる。

千乃。千乃のくちびる。ファーストキス。

「薬箱とってくる。いろいろ試そう」

呪いは果てた。そう思わなければ。

数メートルで、ボクは死ぬ。

○○○

数日。数週間。

症状は悪化こそすれど、改善されなかった。

なんで生きたいと願ったのか。

心も身体も、いつかは絶対滅ぶのに。

寒い。寒いよ。

でも千乃には言えない。

ボクの心は、ヒビが入って割れそうだけど。

最後に残った、人類の置き土産のボク達は、苦しさも何もかも背負っているんだ。

「好き」

「ボクも」

ベッドで抱き合う。そのままかたまる。動けない。

ボク達は死ぬ。ボクのせいで。

「大丈夫。きっと助けが……」

千乃が咳き込む。

「千乃。」

「何?」

「もう……寝るべきだよ。終わりにして寝るべき」

「そうだね、寝よっか!」

笑う千乃と、泣くボクは、つないだ手を頑なに離さなかった。

食料は、あとどれくらいだっけ。

「茉音」

「何?」

「好きになっちゃってごめんね」

「こっちのセリフ」

ボクの身体は冷えている。

千乃の身体と同じくらい。

絶対的な滅びも悲しい喜びも、包んだまま抱き合う、ただの2人だ。

○○○

「さよなら茉音」

「さよなら千乃」

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ボクと君とのマリアージュ 猫井はなマル @nekoihanamaru

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